Zooey's Diary

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奇跡のような実話「ボストン1947」

2024年09月12日 | 映画

1936年のベルリンオリンピック、マラソンの金メダリストは、朝鮮人のソン・ギジョン、銅メダルはナム・スンニョンであった。しかし当時の韓国は日本の植民地であり、彼らは日本人選手として走り、表彰台では君が代が演奏された。
それから10年後、日本の敗戦で韓国は解放されたが、国は貧しく希望もない。
アメリカのボストンマラソンに韓国からも選手を出そうとソンやナムは切望し、ソ・ユンボクを始めとする若手選手を必死に訓練する。しかしアメリカの保証人、多額の保証金、そして渡米費用も必要と、事態は難航する。
ボストンマラソンの出征式で、どうにもお金が捻出できないと無念の思いを告げると、多くの市民が貧しい中から寄付をしてくれ、募金が集まったのだった。
必死の思いで渡米すると、米国統治下の韓国の彼らに支給されたのは、星条旗のついたユニフォームだった。太極旗を胸につけて走りたいと、ソンはマラソン関係者の前で一世一代のスピーチをする。



日本が極悪宗主国として描かれ、観て辛いものはありますが、事実であれば仕方がない。
祖国というものを普段、突き詰めて考えたこともないのですが、それでもオリンピックでは日本選手の活躍に見入ってしまうし、日の丸が揚がれば感動する。
他国の旗を胸につけられたら、それは口惜しいことでしょう。
その口惜しさをバネに、ボストンの美しい街並みをトップに躍り出て走るソ選手。
カメラワークも巧みで、まるで無名であった韓国の小さな選手が、欧米の優勝候補者たちを次々と抜いて走る姿には、胸を熱くせずにはいられません。



監督は「シュリ」「ブラザーフッド」のカン・ジェギュ。
この実話は、韓国の40代以上の人なら殆どが知っているが、若い世代は知らない人が多いと監督は言う。それを広く知らしめたいという思いがあったようです。
失意のうちにマラソンを引退して酒に入り浸っていたソン、貧しく御飯もろくに食べられない若いソ選手のエピソードも絡めて、笑いあり涙ありの感動的なエンタメに仕上げています。
にしても、あれだけ活躍した韓国のマラソン、今はどうなってしまったのか…?
英語タイトルは「Road to Boston」。

「ボストン1947」公式HP 

コメント (2)
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