Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

ハニーマスタードチキン・ホットサンド

2015年12月04日 | グルメ


FaceBook創始者のマーク・ザッカーバーグ氏がお嬢さんの誕生をきっかけに
株式の99%、450億ドル(5兆5500億円)を寄付するって。
彼の自伝的な映画観た時にはその変人ぶりに驚きましたが、
やることが半端ないですねえ!
http://jp.techcrunch.com/2015/12/02/20151201mark-zuckerberg-is-now-a-dad-pledges-to-give-away-99-of-his-shares/


ついでに映画の前のランチ。
マツコ・デラックスが「今年食ったものの中で一番うまい」と言ったという
パパスカフェ玉川高島屋店の「ハニーマスタードチキン・ホットサンド」。
塩胡椒とオリーブオイルで味をつけ、丸一日寝かせた後ハニーマスタードで和えた
という鶏肉は、確かに美味しい。
今年一番、というほどのものかとは思いますが。
チョコバナナ・パンケーキも頼んで友人とシェア。



パパスカフェ高島屋店 http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131708/13040617/
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「黄金のアデーレ」

2015年12月03日 | 映画


ウィーンを訪ねた時、ベルヴェデーレ宮殿のクリムトの「接吻」に圧倒されました。
豪壮なバロック様式の白亜の宮殿の中で、その絵は燦然と輝いていました。
ただもう大きく、眩しく、美しい!
そのクリムトの別の名画「黄金のアデーレ」の所有権を巡る、実話に基づいた物語。

アメリカに住む82歳のマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)は、第2次大戦中にナチスに奪われた
クリムト作の叔母アデーレの肖像画を、オーストリア政府から返還すべく裁判を起こす。
新米弁護士ランディ(ライアン・レイノルズ)は、その絵の評価額が1億ドル以上と知って話に乗るが…



最初はお金目当で引き受けたランディですが、祖父がユダヤ人の高名な作曲家だったということもあり、
次第に正義感に目覚め、弁護士事務所の職を辞してまで、
一国の政府との闘いという無謀な挑戦にのめり込んでいく。
裕福なユダヤ人の家に生まれ、贅沢に育ったマリアは、ナチスにすべてを奪われて苦労したとはいえ、
やはり頑固で我儘な老女で、短気を起こしてはランディとぶつかり合う。



彼らに協力してくれるオーストリアの記者のフベルトゥス、何処かで見た顔だと思ったら
「ラッシュ・プライドと友情」のニキ役のダニエル・ブリュールだったのですね。
あまりにも無償で助けてくれるのは、何か裏があるのかと勘ぐってしまったのですが
その彼の秘密が、後半に明かされます。

マリアが生まれ育った邸宅の調度品の素晴らしいことといったら。
そのサロンではクリムト、マーラー、フロイトなどが交流を深め、
マリアの父は、ストラディバリウスのチェロを弾いて楽しんでいた。
上流階級の娘として何不自由のない暮らしをしていたマリアですが
戦争が始まると、ナチスに何もかもを奪われることになる。



法廷の闘争シーンを挟んで過去と現在、ウィーンとアメリカ、
時間と場所が自在に飛び交います。
マリアが失ったのは、家や絵画や宝石だけではなかった。
名誉、愛する家族、ナチスに屈したという意味では祖国さえも。
そして、戦争と共に展開される普通の市民の狂気。
ウィーンの市民は熱狂的にナチスを迎え入れ、彼らに進んで協力し、
路上でユダヤ人を辱め、密告し、嘲笑う。
戦争映画を観る度に思うことですが、一番恐ろしいのは
爆弾や銃撃ではなく、隣人のこうした裏切りなのだと。

ヘレン・ミレンの演技と、凛とした存在感が素晴らしい。
アメリカに命からがら逃げ出したマリアのその後の60年間の人生がどんなものであったか
その辺りも観たいところでしたが
2時間という時間枠では無理だったのでしょう。
見応えがある映画でした。

「黄金のアデーレ」 http://golden.gaga.ne.jp/
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「星の王子さまの恋愛論」

2015年12月01日 | 


「星の王子さま」を私はあまりに好きだったので
その著者、サン・テグジュペリのことについて知ろうとは思いませんでした。
美しい著作に感動して、その作家のことを調べたらガッカリした、なんてことが
たまにありますので。
が今回、三田誠広の「星の王子さまの恋愛論」を読んでみました。
”この短い話がこれほど人々を引きつける秘密は何か。
 この物語を「挫折した愛の修復の物語」として、その謎をスリリングに解き明かす”
とはamazonのキャッチコピー。

「星の王子さま」の著者は、本名アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリといって
貴族の生まれであったのですね。
1900年、5人姉弟の真ん中に生まれ、リヨンのお城で育ちますが
父も祖父も早くに亡くなり、経済的には大変だったようです。
9歳で学校の寄宿舎に入れられますが、夢想家でわがままな彼は
学校や生徒たちにうまく馴染めず、何度も転校したのだそうです。
最終的に落ち着いたスイスの全寮制の学校では、母親に無理を言って
高額の費用を払い、個室を与えられたのだそうです、
そこで友達も作らず一人きりで本を読み、ますます孤独を深めたのですと。

学校の寄宿舎ならともかく、後に軍隊に入った時も彼は兵舎に馴染めず、
母親に懇願して、兵舎の近くに部屋を借りて貰ったのだそうです。
無論兵役だから、夜は兵舎に帰らなくてはならなかったのですが
わずかな自由時間に一人きりになりたいというのが、彼の切なる願いだった。
”個室は城であり、星の王子さまの故郷のプラネットようなものだったのでしょう。
 友だちのいない寂しい少年、というよりも、孤独が好きな人間、それが
 サン・テグジュペリだったのではないでしょうか”とこの本は断じている。

あの「芸術は爆発だ」の岡本太郎が著作の何処かで
人生で一番つらかったのは軍隊生活だったと書いていたことを思い出しました。
岡本は今では、アスペルガー症候群の一種であったように言われています。
サン・テグジュペリもその類だったのかしらん。



その後、彼は、貴族の令嬢ルィーズと婚約するも、生活力のなさゆえに破綻。
会社の事務員になっても1年しか続かず、トラックのセールスマンになっても
1年半に1台しか売れなかったのですって。
口下手で人づきあいが苦手だったというのだから、無理もない。
紆余曲折の末、彼はパイロットとなりますが
当時パイロットというのは、社会的に保証された職業でもなく、危険極まりなかった。
本人も何度も砂漠に墜落し、瀕死の重傷を負っています。
「星の王子さま」の中の砂漠の不時着シーンは、実話に基づいていたのですね。
その後コンスエロという美しい女性と恋愛しますが
派手好きで社交的な彼女との結婚生活は、必ずしもうまくは行かなかったらしい。
「夜間飛行」という小説が有名になり、彼は名声と富とを手に入れるのですが…

「星の王子さま」を書いた翌年1943年、フランス軍パイロットとして
44歳のサン・テグジュペリは軍用機で飛び立ち、この世から姿を消したのだそうです。
星の王子さまと同様、遺骸も残さずに。

そうした著者の生涯を知ってみると、「星の王子さま」はまた、別の重みを持ってくる。
”愛というのは、蜃気楼のようなものです。
 手が届かないからこそ、美しく見える。
 それにしても、ただの絵空事を描いたのでは、言葉は力を持ちません。
 激しく胸を痛め、涙を流しながら、絞り出すようにして書かれた言葉が、読者の胸を打つのです。
「星の王子さま」という作品の中に散りばめられた言葉が、まさにそれです”
どっちにしても、悲しい本なのだけどね…



写真は高島屋名古屋店にて

「星の王子さまの恋愛論」  http://tinyurl.com/gvp345h
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