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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

横田基地日米友好祭2019

2019年09月16日 | お出かけ
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を取って評判になったのは
私が高校生の時でした。
福生の横田基地の近くの米軍住宅で、酒やドラッグやセックスに明け暮れる
退廃的な若者たちを描いた小説。
私はちっとも好きではなかったのですが、その斬新なタイトルも内容も
あまりにも衝撃的でした。
で、東京の西の端っこのその街に、いつか行ってみたいと思っていたのです。



その横田基地で毎年開催されるという、日米友好祭に行って来ました。
見渡す限り拡がる広大な敷地に、米軍・自衛隊の沢山の戦闘機が。
オスプレイはこんなにヘンテコな形でこんなにデカい。



この不格好な機体(UH-60J救難ヘリコプター)の左下に出ている長いパイプのようなものは
空中で給油する際に使うのだそうです。
こちらの機体の左下に出ている燃料パイプに連結して。
操縦できるように方向舵が付いてるのですって。



飛びながらそんなことまでできちゃうのか、というレベルの私に
軍機オタクの友人が色々と解説してくれて、非常に便利。



こんな派手な戦闘機も。
福岡自衛隊の60周年記念八咫烏号塗装機 だそうです。



こんな楽しい戦闘機も。
莫大な軍事費を使って遊んじゃってもいい訳ね。



ジェットエンジンの部分に歌舞伎の隈取の顔がついています。


昨日は想定外に暑く、広大な敷地には陽射しをさえぎるものは殆どなく、
何万人もの人混みの中で歩き廻った結果は2万歩強。
接してくれた米軍のお兄ちゃんたちは明るくニコニコとしていて
「限りなく…」の中の暴力的・退廃的なイメージは微塵もなかったのでした。



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「見たことがないブリューゲル」

2019年09月14日 | お出かけ
六本木ヒルズでは一風変わった、小さな展覧会をやっていました。
見たことがないブリューゲル~巨大3スクリーンによる映像の奇跡~」。
ブリューゲル没後450周年記念イベントで、ブリューゲルの有名な三作品を
デジタルビデオの大画面で詳しく解説してくれるというもの。
国立ベルギー美術館の製作だそうです。


三作品とは「反逆天使の転落」
「ネーデルラントのことわざ」
「洗礼者聖ヨハネの説教」。


「反逆天使の転落」は、大天使ミカエルとその天使軍団が
神に反逆するルシファーや堕天使たちを全滅させるという物語。
ここに出て来る沢山の珍妙な生物の一部が、どういった着想で生まれたかという解説。



「ネーデルランドのことわざ」には85ものことわざが表現されているのですって。
「豚の前にバラを撒く=猫に小判」「仔牛が溺れてから穴を塞ぐ=泥棒を捕えて縄をなう」など
日本に共通することわざもあるのだそうです。


優雅な古典音楽をBGMに、詳細なビデオ解説は分かりやすくてありがたかったのですが
それでもやっぱりヘンな絵だなあと思ってしまう。
特に「反逆天使の転落」は、今のゲームキャラにも通用するようなヘンな生き物で
溢れています。


荻野アンナの「ブリューゲル、飛んだ」の一節を思い出しました。
「ブリューゲル飛んだ 
 どこまで飛んだ
 虚無まで飛んで
 はじけて落ちた」


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ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション

2019年09月13日 | グルメ

六本木ヒルズにあるこちら、ミシュラン二つ星のフレンチなのに
カウンター席メインという、ちょっと変わったお店です。
赤と黒を基調色とした店内に入ると、ロングカウンターが奥まで続いている。
近い距離間でシェフやサービススタッフと会話しながら食事を楽しめる空間、
というのがコンセプトであるらしい。
その中程の席に案内されました。



広いキッチンには十数人のスタッフが黒、あるいは赤の制服を着て
忙しく立ち働いている。
こんなに丸見えでは、ちょっとさぼるなんてことできないよねえと
要らぬ心配をしてしまう。
料理人の制服といったら、白の上っ張り、白のコック帽と思い込んでいたのに
固定概念が崩れ落ちていく。
料理も遊び心満載でした。



メニューにある数種類から自分で選ぶプリフィックス・スタイルでしたが
字面を見ても説明を聞いても、どんなのが出て来るのか想像できない。
左上の最初の前菜が「なめらかな玉蜀黍のババロワとずわい蟹 キャビアとコンソメのハーモニーで」
その下のデザートが「メロンのデクリネゾン ペルノの香るタピオカのレモンクリームと共に」
という具合です。



こちらは最後の小菓子のトレイ。
ここから好きなものを選びます。

カウンター席からはまた、キッチンで次々と仕上がって行く他のお料理が丸見え。
どれもみな芸術品のように美しい。
あれは何だろう?あれも次に食べてみたい!と思わせるという
二次効果もありました。
こちらのシェフの関谷氏、去年フランスの「第52回ル・テタンジェ国際料理コンクール」で優勝されたのだそうです。
日本人シェフとしては、34年ぶりの快挙だったのですって。


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インドのお受験狂想曲「ヒンディ・ミディアム」

2019年09月12日 | 社会

デリーの下町で洋装店を営むラージ・バトラと美しい妻のミータ。
商売が成功し金持ちになるが、二人は学歴がない。
教育熱心な妻は、一人娘のピアを名門私立校に入学させたいと必死になる。
親子で受験塾に通い、親の教育水準や居住地が合否に影響することを知り、
高級住宅地に引っ越しまでする。
しかし努力もむなしく、結果は全落ち。
落胆する二人は名門私立校が低所得層のために入学優先枠を作っていると聞いて
なんと今度は貧民窟に引越しを。
ここまでしてピアは受験に成功するのか…?



インドのお受験も、狂信的な親にとっては日本と似たようなものだなあと思って見ていると
格差社会の凄まじさに愕然とすることになります。
デリーの貧民窟では水も出ず、部屋に鼠が走り回っているのです。
住民たちは定職を持たず、ボロを着て、ののしり合うように暮らしている。
しかし暮らすにつれ、温かい人情味があることも分かってくるのです。
高級住宅地での見栄っぱりの表面的な付き合いとは大違い。
人生に本当に大切なものは何か?とラージは頭を抱えてしまう。



ここのところ、インドの格差社会について考えさせられる映画を観て来ましたが
こういう切り口もあったのかと驚きました。
無論これは大袈裟に描かれた、コメディータッチの作品ではありますが
インドで実際にあった、父親が学位しか持っていなかったため娘の入学を拒否されたという
驚愕の出来事をもとに造られたというのだから驚きます。



「ヒンディ・ミディアム」とはインドの中流といったような意味かと思ったら
これはヒンディー語で授業を行う公立学校のことを表すのであり、
英語で授業を行う私立名門校のことを「English Medium」というのだそうです。
この映画を観る限り、インドである程度以上の人たちにとっての英語を話せないコンプレックスは、日本のそれとは比でないようです。


ヒンディ・ミディアム」 

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米寿祝い

2019年09月11日 | 家庭

週末、母の米寿祝いで帰省していました。
兄家族6人、私の家族5人が集まって、岐阜都ホテルで賑やかに。
写真はホテルのロビーとお祝いの花。

しかし、その直前まで結構大変でした。
ホテルの個室を予約した2か月ほど前から、とてもその日が迎えられるとは思えない、
そもそもこの夏も持ちそうにないと、ずっと弱音を吐いていたのです。
当日の8日はまた、朝からうだるような猛暑日。
どうなることかと思いましたが、ホテルの美容室で着付けして貰い、
久しぶりに集まった孫たちの前ではニコニコと笑顔を振りまいていました。

無事に済んで、とにかくホッとしました。
母は銀鼠色、私は青磁色の訪問着を。
色の和名は美しいですね。



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神楽坂巡り

2019年09月06日 | グルメ

福井式蕎麦店「九頭竜蕎麦神楽坂」でランチしました。
まだまだ暑かったのでさっぱりした「舞茸の天ぷら付き季節の冷やし蕎麦」を頂きましたが
隣の席の奇妙なカツ丼にびっくり。
こんな感じです(この写真はネットから)。



後で調べたら、福井はソーストンカツで有名なのですって。
しまった、今度挑戦しなくっちゃ。



デザートは、神楽坂茶寮で宇治抹茶金時氷を。
独特な雰囲気がある建物だと思ったら
昭和の時代からある木造のアパートを改築して作られたらしい。
古くて新しい街、神楽坂に絶妙にマッチしています。



オマケ。
近所のルリマツリの前の、今朝のタロウ。




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「家へ帰ろう」

2019年09月05日 | 映画

ブエノスアイレスに暮らす88歳の仕立屋アブラハムは、自分を老人ホームにいれようとする子供たちから逃れ、故郷であるポーランドを目指して旅に出る。
そこには、第二次世界大戦でホロコーストから逃れた自分を救ってくれた親友に、自分が仕立てたスーツを渡すという目的があった。

アブラハムは相当に頑固な老人です。
小学生ほどの孫と真剣に小遣いの駆け引きをするというがめつさも持っている。
このがめつさは、その後も飛行機や宿の料金を値切るなど、映画のあちこちに出て来て
ユダヤ人特有のしたたかさを表すようで面白い。
おまけに大方ニコリともしないで、非常に横柄な態度です。



飛行機の隣席の若者にしつこく話しかけたり、娘をくだらない理由で勘当したり、
列車でパリからワルシャワに行くのにドイツの地は絶対に踏みたくないと無理難題を言ったり、
相当に扱いにくい頑固爺さんでもあります。
ところが旅の途中で持ち金を盗まれて窮地に陥り、様々な人に助けてもらい、
頑なだった心が次第にほぐされていく。
この老人には独特の洒落っ気があることも、段々に分かって来ます。



ところどころに幼い頃の幸せな家族の集まり、愛らしい妹のシーンが挟まれる。
ホロコーストのことは決して口にしなかったアブラハムが、父親も伯父も眼の前で虐殺されたこと、
幼い妹も連行されたことなどを旅の途中でポツポツと語り出す。
眉間には深い皺、手は震え、少し移動するにも息を切らし、強制収容所の後遺症で
不自由な片足を引きずりながら、遥かなる故郷を目指す。
70年間音信不通の親友に会えるのか、そもそも彼は生きているのか?
頑固な偏屈爺さんを、次第に応援したいと我々に思わせる手腕は見事なものです。



重いテーマを、偏屈爺さんのキャラクターにユーモアを含ませ、
三人の女性たちとの出会いなどコミカルな展開も加えて、軽妙に仕上げています。
音のないラストに息を呑み、邦題の意味にしみじみ納得。
監督・脚本のパブロ・ソラルスは1969年生まれの戦後世代のユダヤ系アルゼンチン人。
祖父の体験を基にこの作品を作ったといいます。
スペイン・アルゼンチン合作、英題は「THE LAST SUIT」。


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捨てるに忍びなくて

2019年09月04日 | 家庭
ここ数年、ブランド物の不用品はありませんかという電話が
たまにかかっています。
靴でもバッグでも衣服でも、お宅まで取りに伺いますというので
それらを用意して来てもらったことがあります。
ところがその業者の欲しかったものは、結局、金製品でした。
靴やバッグなどろくに見もしないで、イヤリングでもネックレスでも金はありませんかと。
それに懲りて、そういった電話はすぐにお断りするようにしていたのですが。


今回の電話はちょっと違った切り口でした。
お宅に古いミシンはありませんかと。
古いミシンをどうするのかと聞くと、開発途上国に輸出しますと。
確かに、東南アジアやアフリカの露天商などで、日本の古いミシンが活躍しているのを
何度も見たことがあります。


クロゼットの隅に古いミシンが眠っている。
結婚するときに買ったシンガー製品(覚えていないが多分10万円以上)。
足踏み付き卓上型、何しろ重い(多分10㎏以上)。
ごくたまに、クッションカバーを作ったり衣服を直すくらいで、殆ど使っていない。
一番活躍したのは、息子たちが入園入学する際、給食袋やサブバッグを作った時か。
もう要らないかと思いながら、捨てるに忍びず、ずっと持っていたのでした。
途上国で再活躍してくれるのなら、そんな嬉しいことはない。
という訳で、日時を予約して来て貰ったら…




300円ですって。
そしてやっぱり、金製品はありませんかと。




迷いましたが、粗大ゴミに出すのもお金がかかるし。
ミシンがまったくなくなるのも不安だが、小さくて安いのを買い直せばよいかと。
で、持って行って貰いました。
よかったのか悪かったのか、騙されたのかそうでないのかわかりませんが。

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鉞子(エツコ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯

2019年09月03日 | 


先に読んだ「武士の娘」は中々面白かったのですけれど
杉本鉞子の自伝的小説というそれは、殆どエッセイに近い形のものでした。
具体的なことはあまり書いてなかったので、こちらの本を読んでみました。
内田義雄著、杉本鉞子の初の評伝。


父は長岡藩の筆頭家老で、藩の役職を追われた没落士族・稲垣平助であり、
維新後はいわゆる武士の商法で零落する様が、この本には詳しく書いてあります。
その長男・央は慶應義塾に入学するも酒に溺れてすぐに退学、その後軍隊を経て
人生再起を誓って渡米するが、騙されて一文無しに。
その時助けてくれたのが、後に鉞子の夫となる杉本松雄。
松雄は京都の魚問屋の息子で早くに父を亡くし、苦労の末20歳で渡米、
サンフランシスコで下働きから始め、自分の店を持つまでになったのだそうです。


明治5年生まれの鉞子は14歳の時、家の取り決めによってその松雄と婚約することに。
上京して海岸女学校(後の青山学院)で2年、東洋英和女学校で4年間、
アメリカ人の女性宣教師たちから、英語を含めてみっちり学ぶ。
郷里長岡で厳格な武士の教育を受けた鉞子は、東京のミッションスクールで
解放的な女性の生き方を知ったようで、ここで洗礼も受けています。
ところがその後、浅草の小学校で5年間、教師として働いているのです。
これは「武士の娘」には全く出て来なかったので驚きました。
どうもこれは「全額給付生」として卒業後の奉仕活動で返済するためであったらしい。


その後アメリカに渡ってからのことは「武士の娘」に書いてあった通り。
ところが10年ほどして松雄の店は破産、そのため鉞子が二人の娘と日本に帰っているうちに
松雄は急性盲腸炎で48歳の若さで急死してしまうのです。
その辺のことも「武士の娘」にはサラリとしか触れられていませんでした。
鉞子が「アメリカの母上」と呼んでいたウイルソン夫人は著書に登場しますが
その姪のフローレンスのことはまったく出て来ません。
彼女はフローレンスと深い友情を結び、お互いに支え合い、生涯の友となります。
「武士の娘」の著述、発刊に当たってもフローレンスの力添えがなくてはあり得なかったようですが
フローレンス自身が、自分の名前は出してくれるなと願ったそうなのです。


「武士の娘」は自伝的小説と言いながら
乳母から聞いた日本の昔話や、郷里の四季や祭りごとの様子、アメリカで受けた真心や友情、
そんなことを綴る抒情的な言葉で溢れています。
つらかったこと、苦労したことは殊更に描きたくない、
それも武士の娘としての矜持だったのかもしれませんね。
1950年(昭和25年)東京にいた78歳の鉞子が亡くなる3ヶ月ほど前に、
イギリスから「武士の娘」の再販の知らせが届いたのだそうです。
病床の彼女は日本娘と桜の花のカバーに包まれた美しいその本を手に取って
「私の本が再版されて広く世界の若い方に読まれるのは嬉しいことです。今の日本の若い方にも是非読んで頂きたい、世界で最も封建的と言われる日本のサムライの娘の物語にも、民主主義の人々の心を打つ何ものかがあるのです」
と語ったということです。


鉞子 世界を魅了した「武士の娘」の生涯



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こんなに小さな

2019年09月02日 | お出かけ

先週、岐阜で夫の実家の断捨離を手伝っていたら、
亡義父の英仏独語の辞書がゴロゴロ出て来ました。
可愛いのでこちらを頂いてきました。
日本で一番小さな辞書、革装、これで英和と和英の6万語ですって。
しかしこんな小さな字、老眼で読めません。



辞書の見開きの大きさを撮ろうとしたら、タロウがすっ飛んで来ました。




これも岐阜の駅前で。
池にいた小さなカルガモの雛たち。母ガモは近くで見守っていました。
最初は9羽いたそうですが、4羽に。カラスに食べられたりしたらしい。
自然は厳しいですねえ。


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