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格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

羅針盤なき漂流船「ポチ菅丸」が出帆した

2010-09-21 22:42:22 | 阿修羅

羅針盤なき漂流船「ポチ菅丸」が出帆した(二見伸明)
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/451.html
投稿者 判官びいき 日時 2010 年 9 月 19 日 15:55:37: wiJQFJOyM8OJo


http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/09/post_28.html#more

17日夜、友人のクールなジャーナリストから電話が入った。「仲間と飲んでいるんだが、『難題山積だというのに、菅改造内閣は何をしたいのか、全く分からねえ』と侃々諤々の大騒ぎだ。『役人の模範答案がないので、はっきりしたことが言えないのだ』とかんぐる奴もいる。

ノーサイドだっていいながら、鳩山系から、申し訳程度に、2,3人、入閣させたらしいが、小沢外しは見え見えだし、なんだか、報復人事で、まるで連合赤軍の内ゲバみたいだ。これじゃ、菅の終わりの始まりだ」。――電話の要旨はこんなことだった。

今回の党首選ほど奇妙なものはなかった。党首すなわち総理大臣を選ぶのだから、候補者は「政治主導」「国のかたち」「国民生活」「外交理念や普天間移設」「円高対策」など、国政の基本について、論戦をかわし、国会議員、地方議員、党員・サポーターはそれを判断の材料にして投票すべき選挙のはずだった。

しかし、初日の共同記者会見でその理想と期待は雲散霧消した。小沢一郎は骨太の政策を訴えた。菅直人は「雇用、雇用、雇用」と叫ぶだけだった。小沢は、自分の言葉で語った。菅の言葉は中身の乏しい「巧言令色」だった。小沢の横綱相撲に対し、菅は「政治とカネ」で揺さぶりをかけた、制限時間を過ぎて「待った」をいうようなものだった。

緒戦の言論戦で菅が圧勝すると信じていた記者たちは仰天した。「野党の一級の論客」が「訥弁」の小沢に、一発で土俵外に突き出されたのだ。驚いたのは記者だけではない。国会議員も党員・サポーターも、また、一般国民もびっくりしたことだろう。菅のトラウマは最後まで消えなかった。

政策は「小沢理論のパクリ」と揶揄された。みっともなかったのは、テレビ朝日の討論会で小沢に完敗した菅が、再度、テレ朝に単独出演し、弁明と釈明をしたことである。極め付きは、14日の臨時党大会の演説だ。小沢は「夢」を語った。

「私には夢がある。役所が企画した金太郎アメのような街ではなく、地域の特色にあった街で、お年寄りや子どもや近所の人がきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と、大勢の人たちがそこに集まり、楽しむ、どこでも一家団欒の姿が見られる日本。一方で、個人が自らの意見を持ち、外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本にしたい。

(中略)私は代表となっても、できないことはできないと正直に言うつもりだ。しかし、約束したことは必ず守る。(中略)日本を官僚の国から国民の国へと立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたい。そのために私は、政治生命はおろか、自らの一命をかけ、全力で頑張る決意だ」。

菅も、とってつけたように「夢」を述べた。「私にも夢がある。元気な日本を復活させ、次の世代に引き継いでいきたい。私自身はボロボロになって倒れようとも、その先頭に立って戦い、バトンを渡す。それが私の新しい、そして、最後の夢だ」。

小沢は「国、社会、暮らし」とそれを支える「共生の理念」を語った。菅は民主党党首に再選されることだけを考えていた。自民党の総裁選挙でも、候補者はそれなりに天下国家を論じたものである。菅直人にはそれがなかった。彼が再選出来たのは、政策論争で小沢を打ち負かしたからではない。マスコミが一年半にわたって国民に擦り込んできた符丁(暗示)「政治とカネ」=「小沢は悪人だ」というネガティブ・キャンペーンの成果である。

菅勝利の追い風になった「脱小沢」とはなにか。一つは、仙谷官房、野田財務、前原外務、岡田幹事長、枝野幹事長代理など、無責任な、おしゃべり・サロン政党に郷愁を抱く「オリジナル民主党」である。小沢は「野党は政権奪取を最優先すべきだ。マニフェストは国民との約束だ。死に物狂いで守れ」という当たり前の「政党文化」を民主党に持ち込んだ。

まさに、「泰平の夢」を破る「黒船」だった。そして、民主党は政権を取った。「オリジナル民主党」の政治文化は「おままごと」であることが立証されたのである。彼らにしてみれば「軒先を貸して母屋を取られる」以上の屈辱だったにちがいない。「クリーンでオープン、公正・公平な民主党」とは似ても似つかぬネガティブ・キャンペーンの発信源のひとつでもあり最大の受益者でもあったのは、おそらく、彼らだろう。

二つには、1,2年生議員の解散恐怖心だ。菅は「小沢なら解散するが、私はしない」と囁いた。私の友人の民間人は、数人の一年生議員に「『政策や力量・指導力では圧倒的に小沢さんだが、解散が怖い』と相談された。『菅さんだって、国会運営に行き詰まり、来春、野垂れ死に解散もあり得るよ』と答えたが、彼らの結論は『解散が怖いので、菅さんに賭けてみる』だった」と語っていた。

三つは「小沢さんの政策を菅さんがちゃんとやってくれるのなら、コロコロ総理を変えなくてもよいのでは」という微温派である。菅内閣が、実体的には「官僚支配内閣」であることが明らかになったとき、彼らはどうするのだろう。事業仕分けも三回目ともなると、役人が用意する飴玉もなくなってくる。役人の振り付けに喜んで踊っている「志」のない国会議員は別にして、まともな議員は、さぞ悩むことだろう。

そして、四つ目は「菅中枢」と情を通じあったマスコミと、それを無邪気に信じた「大衆」である。70歳以上の方は記憶にあるだろうが、1941年12月8日の真珠湾攻撃直後、日本軍がシンガポールを陥落させ、占領したとき、朝日、読売、毎日新聞は「観呼」の声を上げ、国民をそそのかした。全国で「鬼畜米英」「天にかわりて不義を撃つ」と提灯行列が行われた。そして、直後から敗戦の坂道をころがり落ちた。今回のマスコミの異常な「小沢叩き」が私には69年前の情景とダブって映るのである。

新宿の立会演説会で、突如沸き起こった「小沢コール」は、私の友人のオバチャンたちが火付け役であった。彼女たちは、マスコミの巧妙な世論誘導に反発して、「小沢、小沢」と叫んだのだ。それが、「燎原の火」の如く会場全体に燃え広がり、大阪、札幌にも飛び火したのである。新聞の「世論」も世論だが、「小沢コール」も自然発生的な世論である。

田中秀征氏は、「鳩山と小沢を結びつけたのは、菅のあざとさではないか」と書いている。「あざとさ」には「あくどい」という意味もある。自分の地位を守るため「あくどい」手段を講ずることを否定はしない。8月25日、安住選対委員長は、落選した小沢派の河上みつえさんに「生活が大変だろう。何に使ってもいいから」と300万円届けて来たそうである。

彼女は「結構です」と断ったが、人の弱みにつけ込む卑劣なやりかただ。岡田幹事長は「敗戦の責任者」の枝野前幹事長を幹事長代理にし、よりによって「選挙担当」にした。本来であれば、頭をまる坊主にして、八十八か所お遍路めぐりをしなければならない者を、責任を不問にして、要職に起用するとはどういう神経なのだろうか。

要するに、誰も責任をとらないで済む「新しい政治文化」を作ろうとしているのだろう。「クリーンでオープン、公正・公平」は、国民向けの「ファッション」にすぎない。小沢は10月24日の衆院補選について、党首選後の会合で「民主党政権を成功させなければならない。町村(信孝)に負けるわけにはいかない。『勝て』」と檄を飛ばしている。しかし、党中枢に渦巻いているのは、「小沢憎し」のどす黒い「憎悪の哲学」だけである。

それでも、代表選はやってよかった。小沢の話を聞いて多くの国民は、初めて民主党の「改革」を理解した。与野党の別、また主義主張を超えて、国会議員は「政治家の覚悟」を思い知らされただろう。菅も民主党の党首である限り、民主党の政策を実行せざるを得なくなった。

しかし、菅は官僚とアメリカに屈服する安易な道を選んで、小沢という羅針盤を捨てた。菅の改造内閣の顔ぶれが明らかになったとたん、アメリカの「高官」たちが、そろって「歓迎」の意を表している。菅とともに外相に「対米従属派」の前原がなったことには、ムキ出しの喜びぶりである。

菅は、風だけを頼りに船出をした。マスコミは、チャンスを見て旧勢力復活のために、暗躍するだろう。それが悲しいことだが現下のマスコミの本質と役割だ。旧勢力への「御恩返し」である。そう遠くない将来、小沢一郎の存在価値が「多数」に理解される日がくるにちがいない。気がかりなのは、「多数」がこのことに気づいたとき、「手遅れだった」ということになることである。


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国策急変 (「日記」 マドモアゼル・愛)

2010-09-21 21:55:45 | 阿修羅

国策急変 (「日記」 マドモアゼル・愛)
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/586.html
投稿者 明るい憂国の士 日時 2010 年 9 月 21 日 18:40:13: qr553ZDJ.dzsc




http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20100920
2010年09月20日(MON)

 国策急変


動きは早いものだ。菅になったとたんに、中国問題である。鳩山、小沢を抑えたとたんの出来事。菅は日米中の出来レースだと内心では思っているのだろうが、本当は米中の出来レースだといずれわかるだろう。それまでの使い捨て内閣である。外務大臣が誰か、、、あまりにフィットしすぎ。ここまで露骨なことをしても国民は気づかないのだとしたら、もうこれはいたしかたない。何度も言うように日中の仲を裂こうとする勢力はよくない勢力である。よくないとは、日本人のためを思っているのではないということ。おそらく尖閣諸島問題は大きく発展し、小規模程度の軍事衝突が起きるだろう。そのための内閣が現在用意された内閣。とにかく煽りたてる。アメリカの利益のためである。中国が怒るのもなんだかわかる気さえする。マスコミを信用しているうちはわからないと思うが。この事件はアメリカが仕組み、管や前原もわかっていたはずだ。しかしアメリカと中国が裏で手を結んでいたらどうする。向こうは戦勝国だよ。戦勝国ルールがあり、原爆保持が許されたのは戦勝国だけ。まだそうした特権ルールは続いているよ。本音では中国は日本とは争いたくないと思っているはず。しかし共産党は上海暴落におびえている。なんとかして経済異変から国の統一を守るしかない。危機に乗じて民衆の目をひきつけ、分裂を防ぐのは戦争が一番である。日本はそのために、常に悪く言うことでいつでも使える火薬線として用意されていたわけだ。しかし真の日本人も真の中国人も、ほんとうは日中の争いを望んでなどいない。いつ火ぶたがおとされるかもわりと簡単。上海とニューヨークの株がもう支えられなくなった時である。戦火を演出して暴落を正当化し、それを日本の責任にすり替える。まあ、そんなところだろう。これまで戦争で儲け、支配構造を作ってきた勢力もこれまでのような力はもうなく、目先の金の問題で戦争を起こすしかない状況になっているのだと思う。なので、大きな戦略もないし、つくれない。ただ、目先の崩落を抑えるために戦争をねつ造している。韓国の戦艦沈没の際はうまくいかなかったが、今回はどうやらうまくいくだろう。そのための内閣が用意されているのだから。小沢派や自民党に多少残っているまともな日本人が果たして、こうした国難の前にどうやって出てくるか、、、。時代の流れは実は後者の方が有利だと私は思っている。菅や前原が自己保身のためについた国際勢力は実は負けている方だ。最近のやけっぱちのやり方だからわかる。彼らは一網打尽の終わり方をする可能性がある。しかしそうした反動勢力が巻き返しに成功した際には、日本は世界の嫌われ者となる。これは本当にそうなる。結局、20世紀というのは、白人の時代からアジアが台頭したものの、抑えられてしまったという歴史観が正しい。大きな流れはアジアに来ているが、その起点は日本であった。なので、日本を叩くことがアジアの時代をあいまいなものにし、あわよくば白人の搾取がうまくいく場所に変えることが彼らにとっては大切である。今、アジアは時代の流れの中で白人支配と戦っているわけである。なんていうことはない、大東亜戦争の日本の言い分そのものである。もちろん日本のやり方は間違っていたし、よくなかったが、大義は何も変わってなどいない。だから、とにかく日本をダメにしない限り、白人支配層は安泰とは言えない。だから日本は叩かれ、じゃまされ、さげすまされ、負け戦ばかりとなる。しかしそれでいいのだ。そういうものと違う勝ち方が実はある。武器で動く時代は1999年のグランドクロスによってもう終えている。これを使うものは三日天下で終えていく。日本はだから戦ってはいけない。その日本が唯一やられる方策が、日本を戦いの渦中に沈めること。その政策担当が現内閣である。中国を悪く言うマスコミ、そして大勢の人がそれに乗っていく。中国がおかしなことをやっていることなど、昔から日本はわかっている。商品のコピーにしても契約不履行にしても貪欲さにおいても。そんなことはもうわかりきっていることであるにも関わらず、そうした面をマスコミはこれからいつになくついて来る。そして日本人に、本当に中国はひどい国だ、、、の印象付けを開始。しかしそれは戦争に日本を引き込みたいという本音でのことだ。日本は日ロ戦争において、始めて白人国家に勝った。白人資本家の援助があったこともあるが、それだけでもない。私はトルコに行ったことがあるが、まだ東郷ビールがある。日本海海戦の大将の名前からとったビールがまだ売られている。わがもの顔でトルコのボスポラス海峡を蹂躙していったロシア艦体を、名も知らぬ日本という国が負かした驚きは大変なものだった。白人に虐げられていた民族はみな興奮した。黄色人種が白人に勝った、、もしかしたら私たちにもできるのでは、、、と。それでも列強の植民地は拡大し、ついにアジアにおいて日本が植民地解放を名目に白人と対立。そして戦争となり日本は無条件降伏するが、植民地解放の夢は正しいがゆえに実行せざるを得なかった。日本が世界の植民地を白人から奪還したという歴史観はその通りなのである。どちらが強いとかどちらが正しいという話しではない。時代の流れがこれでわかるのではないか。アジアの時代の到来を白人は邪魔するために日中を裂くのである。これをつなげようとする人はあらゆる手で失脚していく。日本人はどちらをとるにせよ、こうした時代観を理解はしておく必要がある。その上での話しあい、未来観の話しあい、がいま必要になってくる。感情論に走る中国攻撃がこれから始まるが、それは太平洋戦争と同じ構図。もう二度と同じやり方に日本人はだまされてはいけない。


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