格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

赤字国債法早期成立は菅首相続投環境整備策だ

2011-08-06 19:50:39 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


赤字国債法早期成立は菅首相続投環境整備策だ




民主党の現執行部が自民、公明と協議して子ども手当の廃止を決めた。2009年8月総選挙で民主党が提示したマニフェストの目玉政策を民主党が自ら放棄したことになる。
 
 しかし、これは民主党の総意ではない。現在の民主党執行部が現在行っていることは、政局への対応ではなく、党内政局への対応である。現在の民主党執行部の行動に欠落しているのは、主権者国民との契約に対する真摯な姿勢である。
 
 岡田克也氏を筆頭とする現在の民主党執行部は、民主党内での自派の強化、民主党内の本来の主流派に対する牽制だけを追求している。自分自身の利益だけを追求し、国会議員が主権者国民の負託を受けた存在であることを無視した、極めて自己中心的な考えが彼らの頭を支配している。



大震災発生から間もなく5ヵ月の時間が経過する。しかし、被災地ではいまだにがれきの山が積み残され、多くの同胞が冷房もない避難所暮らしを強制されている。政府は政府がやるべきことを何もしてない。
 
 福島で人類史上最悪レベルの放射能放出事故が発生したのに、政府は国民の生命と健康を守る対応策を示さなかった。五月雨式の避難エリアの拡大は大きな混乱をもたらし、放射能拡散情報の隠蔽は、多数の市民の大量被曝をもたらしたと思われる。
 
 何よりも重要なことは、政府が全力をあげて被災者の生活を支えることである。原発事故の被害者は多数に及び、消費者の選択により事業が立ち行かなくなる市民が激増している。これらの人々はすべて原発事故の被害者であり、事故発生に責任を負う東電がその損害を賠償する責務を負い、損害賠償規模が東電の負担能力を上回る場合には、東電を法的整理したうえで国が責任をもって損害賠償に取り組まねばならない。
 
 このことは、既存の法律に明記されていることである。ところが、原子力利権のなかにある菅内閣は、東電を法律に反して救済する選択を示す一方で、原発事故被害者に対する損害賠償措置に真剣に取り組んでいない。
 
 これらの失政を理由に、菅首相に対する辞任要求が国民全体の声になっているのである。



6月2日に辞意を表明した菅首相は、その後に詐欺的手法で総理の椅子にしがみついている。このことが、日本全体を沈滞した空気と無責任体質が覆い尽くす最大の原因になっている。
 
 その中で、菅首相は改めて辞任3条件を示した。①第2次補正予算、②財確法、③再生エネルギー特措法、の三つが成立すれば「一定のめどがついた」ことになると述べて、この段階で首相を辞任する意向を示したのである。
 
 しかし、この人物の言葉は信用できない。うそつきで、詐欺師的手法を多用することがこれまでの実績で明らかにされているからだ。
 
 したがって、民主党執行部と自民、公明は、まずは、首相が確実に辞任することに向けて協議をするべきなのだ。それが、主権者国民の意思に沿う行動である。
 
 ところが、民主党執行部は、党内での自分たちの地位の保全にうつつを抜かし、石原伸晃氏が幹事長を務める自民党は、どのタイミングで総選挙に持ち込むのが自民党にとって最も有利であるかという、党利党略だけを持って行動している。
 
 民主党基本公約の放棄は、財確法と取引すべき事項ではない。そもそも、民主党内でのコンセンサスを得ていない。菅-仙谷-岡田-野田-前原-枝野-玄葉-渡部の民主党悪徳8人衆は、民主党内の正統派グループと対立している。この悪徳8人衆が率いる民主党内グループは「悪徳民主党」と呼ぶことができる。



悪徳民主党は、①対米隷属、②官僚利権擁護、③政治と大資本の癒着堅持、を基本方針としており、自民党と同種同根の政治グループである。
 
 これに対して2009年8月総選挙で政権交代の偉業を実現した正統民主党は、①対米隷属からの脱却、②官僚利権の根絶、③政治と大資本の癒着排除、を基本方針として、その実現を目指している。
 
 岡田克也氏は、政局を利用して、正統民主党が提示した基本公約の破棄を画策しているのである。姑息で卑怯な行動が岡田克也氏の身上である。
 
 自民党と交渉して子ども手当を放棄して何が得られるのか。何を得ることもない。菅首相の辞任確約を取らずに、赤字国債発行法を成立させて、どうしようというのだ。
 
 岡田氏は菅首相と刺し違えるなどと言いながら、このまま菅首相体制で進むことを画策しているとしか思われない。
 
 このまま、菅体制で進み、民主党内の正統民主党を殲滅できるチャンスを狙って解散総選挙に持ち込もうと考えているのではないか。



この停滞した空気、無責任体質の蔓延を断ち切るには、一刻も早く菅首相を辞任させることしか道はない。菅直人氏が辞任三条件を提示したのだから、これをてこに確実に菅直人氏の辞任を実現させるのが、民主党執行部と自民、公明の役割ではないか。これが、主権者国民の声を尊重する政治の姿勢である。
 
 そのためには、財確法と首相辞任を確実に交換条件にすることが不可欠である。財確法=赤字国債発行根拠法を通してしまった状況を考えてみるがよい。この法律が通れば、菅直人氏が辞任する切迫した理由は消滅するのである。
 
 子ども手当を捨てて、財確法が成立する環境を整えることは、菅直人氏の辞任環境を整えることではなく、菅直人氏の続投環境を整えることになることなど、明白である。
 
 恐らく、卑怯で姑息な岡田克也氏は、このことを知ったうえで、子ども手当を破壊して菅直人氏の首相留任に協力しているのだと考えられる。
 
 財確法=赤字国債発行法が成立しなければ、必ず国政はマヒすることになる。最終的には日本国債がデフォルトになる。したがって、この法律は最後には必ず成立させざるを得ない法律なのだ。
 
 だから、この法律を盾として活用すれば、必ず菅直人氏の辞任を取り付けることができる。菅直人氏が辞任しない限り、この法律を通さないことを提示して交渉するのである。
 
 菅直人氏は自分が辞任しなければ日本国債がデフォルトになる状況を形成されれば、辞任せざるを得ない。



もし、ここで、自民党が子ども手当を放棄しないなら財確法を通さないとするなら、そのまま放置すればよいだけだ。自民党が自分の主張をごり押しして、どれが通らなければ国政マヒも差し支えないとの姿勢を取るなら、批判は必ず自民党に向かう。
 
 だから、岡田克也氏はいまの段階で子ども手当を放棄する必要などまったくなかった。岡田氏は単に、正統民主党の看板政策だから、積極的にこの政策を破壊したかっただけなのだ。このような自己中心的人物が幹事長に居座っていることが、民主党の悲劇を招いている。
 
 菅直人氏は信用できない人物だから、財確法と首相辞任の取引については、必ず書面での契約を交わす必要がある。鳩山由紀夫前首相との口頭の約束は、その後に平然とこれを反故にした実績を持つのだから、署名捺印のある契約書を交わし、財確法成立の段階で首相を必ず辞任することについて一筆を取る必要がある。



菅直人氏を辞任させ、日本政治の人心を一新することが、この国の再出発には不可欠である。新しい体制は、
①対米隷属、②官僚利権擁護、③政治と大資本の癒着維持
を基本方針とする旧来の自公および悪徳民主党による守旧派勢力と
①対米隷属脱却、②官僚利権根絶、③政治と大資本の癒着排除
を基本方針とする正統民主党を軸とする改革派勢力との間の闘いによって決定されることになる。
 
 時間がかかるにせよ、改革派勢力が主導権を奪還し、改革派政権を樹立することで、新しい日本の歴史が始まるのである。
 
 本当の意味での日本再生には、この体制の構築が不可欠である。





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森ビル・清和会・検察の抜き差しならぬ関係

2011-08-06 05:36:17 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


森ビル・清和会・検察の抜き差しならぬ関係




昨年末に「地獄への階段」様が公開くださった衝撃的な事実を「リチャード・コシミズブログ」様、「ライジング・サン(甦る日本)」様、「父さんの日記」様、「南華のブログ」様が、改めて紹介くださっている。


衝撃的な事実とは、渡辺喜美氏の政治団体「喜世会」と森喜朗氏の政治団体「経済政策懇談会」の住所が同一で、しかも収支報告書事務担当者までもが同一である事実だ。


つまり、「みんなの党」とは、「自民党清和政策研究会」別働隊であることが証明されたと言って過言でないのである。



森ビルと自民党清和政策研究会、小泉純一郎氏との関係については、


拙著『知られざる真実-勾留地にて-』








知られざる真実―勾留地にて―
著者:植草 一秀
販売元:イプシロン出版企画
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に記述した。


第一章「偽装」第7節「摘発される人・されない人」


に以下の記述を示したので転載する。


「森ビルの社運をかけた事業の六本木ヒルズで悲惨な事故が発生した。2004年3月26日、小学校入学直前の6歳の男児が電動回転ドアに挟まれて死亡した。 痛ましい死亡事故が発生したのち、2003年4月から2004年2月までに、同ビルの回転ドアで32件の事故が発生したことが明らかになった。


森ビルの責任が問われた。結局、森ビルの役員ら3名と、回転ドアの販売元「三和タジマ」の役員ら3名の計6名が、業務上過失致死容疑で書類送検された。


六本木ヒルズの「運営本部長」を兼ねていた森ビルの森稔社長(70)については事故を予見できなかったとして立件が見送られた。


書類送検は事件の調書、容疑事実が検察庁に送致されることを意味する。「書類」が送致されるのであって「身柄」が送致されるのではない。「逮捕」されないことを意味する。「逮捕」の先には地獄が待ち受ける。「逮捕」されないことは、被疑者が「在宅」で暮らせることを意味する。通常の日常生活を送れる。「逮捕」と「書類送検」の問に天と地の差がある。


森ビル社長の森稔氏とは、NHK-BSの討論番組で会った。森社長は小泉前首相と密接な関係を築いたようだ。森ビルが社運をかけて取り組んだ事業が「六本木ヒルズ」だ。ライブドア、村上ファンド、楽天などの企業が六本本ヒルズにオフィスを構えた。「ヒルズ族」という新語が生まれた。


2003年4月22日の六本木ヒルズのオープニングーセレモニー。小泉首相は「この東京の新たな街づくりに極めて刺激的、魅力的な六本木ヒルズが誕生したという、この誕生に立ち会うことができたのは幸運だと思います」と祝賀挨拶した。また、「こんなに賑わっていてどこが不況か」と述べたことも伝えられた。


2004年10月23日の新潟県中越地震発生時も小泉首相は六本木ヒルズにいた。第17回東京国際映画祭のオープユングーセレモニーに出席していた。地震は午後5時56分に発生し、六本木の映画祭会場でも体感された。地震発生後すぐに「新潟で震度6強」の第一報が小泉首相に伝えられた。しかし、小泉首相は6時半に近くの映画上映会場に移動して午後7時8分まで会場にとどまった。


私は「日本文化デザインフォーラム(JIDF)」の幹事を務めていた。JIDFは建築家の黒川紀章氏や歴史家の梅原猛氏などが創設した会を引き継いだ文化人のフォーラムだ。毎年、全国の一都市で100人以上の文化人がボランティアで出席し、市民参加のシンポジウム、トーク、講演、ワークショップ、展示などのイベントを3日程度の日程で実施した。


2003年の会議は六本木ヒルズで開催された。セレモニーには森稔氏も出席した。森氏は私に「小泉政権を批判しないように」と語った。森氏が小泉首相を支援していることがよく分かった。このセレモニーの最中、私は六本木ヒルズ内に個人事務所棟があり、小泉政権や米国政府と親密な学者や元官僚などがオフィスを有していることを聞いた。」


テレビ朝日も森ビルのテナントのひとつである。森ビルと清和政策研究会との間には抜き差しならないものがあるのだと考えられる。自民党清和政策研究会は検察を支配し、森ビル関係者は逮捕もされずに事件処理を終えた。


自民党清和政策研究会(旧森派)と検察との関係については、元大阪高検公安部長検事の三井環氏が2006年7月15日に中小企業経営者の相互扶助団体であるKU会で「検察の実像」と題する講演を行い、そのなかで生々しい場面を証言されている。


本ブログではすでに本年1月22日に、


「検察裏金告発で弾圧された三井環氏講演録」


を掲載したが、この講演録から、重要部分を採録する。


「検察庁には「調査活動費」の予算がある。調査活動費というのは、情報提供者に対して謝礼を払うことを本来の目的として設けられた予算。


裏金作りはまず、架空の情報提供者を3、4人でっち上げる。そして、その架空の人間に対して、原則5万円を謝礼として支払う。領収書は、その架空の人物の名義で検察事務官が作成し、5万円の現金を浮かせる。


 中小の地検であれば調査活動費の年間予算は400万円、大阪地検であれば年間2000万円、東京地検では年間3000万円になる。これを事務官が全部作る。だから事務官から「検事正が使う金のために何でこんなことをしなければならないのか」と文句が出る。


 そうやって浮かした裏金を何に使うかと言うと、一つは接待。最高検、高検、法務省などから高官が来た時の接待費。検事正自らのゴルフ代。マージャンをする人はマージャン代がここから全部出る。」


三井氏は2001年3月に当時大阪地検検事正だった加納駿亮氏を刑事告発した。加納氏が高松高検検事長になるということが内定していたことを知り、その阻止に動いた。結局、この人事は流れ、宗像紀夫氏が高松高検検事長に就任した。


 折しもこの時期に首相が森喜朗氏から小泉純一郎氏に交代した。重大な事態はその後に発生した。三井氏は検察が「けもの道」に入りこんだと表現する。検察が福岡高検検事長に加納氏を就任させるために、政府と交渉を持ったことを指摘する。以下に三井氏の発言を示す。


「「けもの道」というのは私が付けた名前だが、当時の原田明夫検事総長、事務次官の松尾邦弘、刑事局長の古田佑紀、古田は後藤田正晴氏が法務大臣だったときの秘書官。その3人がそろって、(2001年)10月26日だったと思うが、東京・麹町の後藤田事務所を尋ねた。そこには後藤田元法務大臣と秘書官がいた。


 彼らは「加納の検事長人事を内閣で承認してくれないと検察が潰れる」と泣きを入れた。潰れるというのは、検察の裏金問題が表ざたになるという意味だと思う。当時、週刊文春とか週刊朝日がすでに裏金問題を報じていた。(後藤田氏は)小泉の秘書官の飯島に電話連絡した。その日の会談はそれで終わり、翌日、小泉に原田検事総長が直談判をした。そこで事実上、加納の検事長人事が承認された。正式な閣議は11月13日。そこで正式に承認された。」


 このいきさつについて三井氏は、「「検察が内閣に借りを作る」という一番やってはならないことをやった」と指摘し、「ここが最近の国策捜査の原点だと思っている。例えば、内閣の誰かを逮捕できるような事件があったとする。そしたら、小泉が「裏金どうするの?」と言う、それだけでいい。事件にできない。できるはずがない」と述べている。


 三井氏は2002年5月に朝日新聞が1面トップで裏金問題を報道する確約を確保し、民主党の菅直人氏が法務委員会で追及し、その後法務委員会で参考人として証言する手はずを整えた。そのさなか、4月22日に鳥越俊太郎氏の「ザ・スクープ」の取材を受ける直前の午前8時半ころに任意同行を求められ、そのまま逮捕、拘留された。


 この裏金問題を契機に、検察は小泉首相の私的秘密警察の色彩を色濃く帯びることになったのである。検察は以後、完全に清和政策研究会色に染め抜かれ、現在に至っているのである。森ビル関係者が逮捕されなかった謎を解く鍵もここに潜んでいると考えられるのだ。





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