格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】

2011-03-28 19:48:04 | 真相の深層


□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】
■□■
□■ 天木直人のメールマガジン2011年3月28日発行 第208号
■ 
 
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  「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫) 」
     
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 今度の福島原発事故を通じて、みずから目にし、人から教えられて、
私は様々な事を知った。

 これまで殆ど無知であった放射能物質の非人間性を知った。

 その事を一番良く知っていなければならない唯一の被爆国である
日本国民が、まさしく私もそのひとりであったのだが、それに気づか
ないまま生かされてきたことを知った。

 原発開発の裏にある、あまりにもすさまじい政府、官僚、業界、
御用学者、メディアたちの癒着を知った。

 その癒着が、原発に関するあらゆる不都合を国民から隠蔽し、
原発に代わるあらたなエネルギー開発の努力をことごとく潰して
きたこを知った。

 公共料金と言う名で国民から徴収する、その膨大な利益で、接待
づけ、天下り受け入れなどを繰り返して来た東電の顔を知った。

 その甘味に群がったこの国の支配階級たちの厚顔を知った。

 市民派の菅直人政権もまたそれを克服できない事を知った。

 そして何よりも、それらすべての膨大な情報がネットや雑誌で
流されるようになった今でも、大手新聞やテレビは一切その事に触れ
ないこと、それが今回の福島原発事故でも繰り返されている事を
知った。

 その反国民性は、もはや権力犯罪とでも呼ぶにふさわしい悪だ。

 しかし、今度の福島原発事故に関して私が知った断片的な情報の
中で、私がもっとも衝撃を受けたのは東海村臨界事故によって致死量
の放射線を浴びて死んでいった35歳の作業員のことである。

 この事が今日のメルマガのテーマである。

 そして私は今、これまで書いてきたどのメルマガよりも厳粛な思い
でこのメルマガを書いている。

 これまで書いてきたどのメルマガよりも強い怒りと悲しみでこの
文章を書き綴っている。

 自分の息子と同じ年頃のこの若者の死の記録を涙なくしては読めない。

 NHKのドクメンタリーを綴った「朽ちていった命―被曝治療83日
間の記録 (新潮文庫)はいまこそ国民が必読すべき記録だ。

 NHKはこのような素晴らしいドキュメンタリーを作成していたのだ。

 核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工
作業員だった大内久は、最後のウラン溶液を同僚が流し込み始めたとき
事故にあう。
 パシッという音とともに青い光を見た。臨界だ。その瞬間、放射線の中
でも最もエネルギーの大きい中性子線が大内の体を突き抜けた。
 東大病院にかつぎこまれた時には、目に見える外傷もなく元気そうで
看護師たちを意外に思わせたほどだったが、それから多臓器不全で亡く
なるまでの83日間、大内は家族の目の前で放射能によるすさまじい細胞
破壊と戦うことになる。
 染色体が破壊され新たな細胞がつくられない。リンパ球はなくなり、
免疫力が失われ、出血と体液流出がとまらず、激痛が続く。
 被爆者が受けた地獄の苦しみもこのようなものだったに違いない。
 それでも大内はすぐに死なせてもらえない。世界各国から招かれた被曝
医療の専門家たちにとっては放射線医学のこの上ない研究対象だ。
 大内自身が、まだ意識があり、言葉を話すことができた時期に、こう
何度も叫んでいたとナース記録にあるという。
 「こんなのはいやだ。このまま治療もやめて、家に帰る。帰る。」、
 死後も大内の苦しみは続く。犯罪と死因との関係を明らかにするための
司法解剖が、被爆で死んだ大内の体に行われる。最期までモルモットと
して扱われたのだ。 
 そして、大内と一緒に作業していて被曝したもう一人の作業員篠原も、
被曝から211日目に死亡する。

 いまこそ我々は彼らの死を無駄にしてはいけない。

 人間が見つけた核物質の非人間性を、もう一度人間の手で葬り去ら
なければならない。

 そこまで意識を高め、我々日本人は今、それを世界に発するのだ。

 それが我々日本人の責任である。

 大内らの死を無駄にしないせめてもの我々の義務であると思う。
                               了             



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『隠された被曝労働~日本の原発労働者』

2011-03-27 14:35:46 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

『隠された被曝労働~日本の原発労働者』本ブログの読者が、イギリスのチャンネル4で放映された樋口健二氏が制作された
『隠された被曝労働~日本の原発労働者』
という放送プログラムのYOU TUBE映像を紹介くださった。
 
 1995年に放送されたもので、すでに15年の時間が経過しているが、現在においても状況はまったく変わっていないようだ。
 
 ぜひ、同番組をご高覧賜りたい。
 
『隠された被曝労働~日本の原発労働者』(その1)
 
『隠された被曝労働~日本の原発労働者』(その2)
 
『隠された被曝労働~日本の原発労働者』(その3)
 
 法定限度以上の放射能を被曝する危険な労働を、電力会社が名もなき末端の労働者から金の力で購入し、放射能被曝の事実を闇に葬る行動が繰り返されてきた。
 
 事故が生じるときに、放射能に被曝して生命の危険に晒されるのは、決まって最前線にいる末端の労働者である。
 
 時間当たり賃金が極めて高い、違法ともいえる危険労働に従事する側には、そのような労働にありつかなければ生活を支えてゆけない事情がある。
 
 あるいは、現実に夢も希望も持てなくなり、開き直って危険労働に身を晒してしまうこともあるのかも知れない。
 
 相手の足元を見て、理不尽な危険労働、違法労働を下請け労働者に押しつける図式に疑問を感じなくなる感性が恐ろしいのである。
 
 機械化が進んで、このような危険労働をすべてロボットが行えるようになるなら、問題は縮小するだろう。しかし、現実には、放射能を被曝する危険労働が広範に容認されているのが現実であり、その危険労働には、下請けの末端労働者の生命と健康が、金と引き換えに切り売りされているという現実がある。
 
 原子力発電が、このような闇の労働に支えられない限り存続しえないのなら、原子力発電を継続することは許されない。
 
 この問題だけではない。原子力発電では、ひとたび重大事故が発生するなら、狭隘な日本の国土の大半が汚染されてしまうリスクが現実のものになる。チェルノブイリの事故を日本に当てはめれば、日本列島全体が死の列島と化してしまう恐れが存在する。
 
 日本は世界でも代表的な地震国のひとつである。同時に、歴史的に繰り返し巨大津波に襲われてきた国である。今回の福島原発事故も、わずか100年前に発生した津波よりも小規模の津波の発生によって引き起こされたものだ。
 
 政府と電力会社、そして癒着する原子力関連学界は「万全の体制」を喧伝してきたが、その「万全の体制」がいかに杜撰で、無責任なものであったことか!テレビは、責任ある当事者の弁解だけを垂れ流しているが、例えば今回の事故を的確に予言してきた広瀬隆氏など、有能な批評者をなぜ一度も地上波に登場させないのか。
 
 今回の事故を踏まえて、脱原発の方向に大転回することを検討しなければならない。

とはいえ、福島で発生してしまった事故がまだ収束していないから、当面はこの問題の解決に全力をあげなければならない。
 
 電源を回復し、冷却システムを復旧させなければならないが、予断を許さない状況が続いている。冷却システムの復旧には、原子炉建屋およびタービン建屋内での作業が不可欠である。しかし、原子炉建屋もタービン建屋も、放射能濃度が非常に高くなっており、作業の難航が予想されている。
 
 作業する労働者には、防護服、防護靴、防毒マスクの完全武装を装備させなければならない。電力会社は責任を持って、作業を行う労働者の完全装備を実現しなければならない。また、放射線量の厳格な管理も不可欠である。
 
 国は、何の根拠も示さずに、被曝量上限を100mSvから250mSvに引き上げたが、正当性がない。直ちに100mSvに戻すべきである。
 
 作業には東京電力幹部が先頭に立つべきである。原発事故に責任を負っているのは、末端の労働者ではなく、経営幹部である。少なくとも、対策本部は福島原発内に設置して、関係幹部は全員、福島原発に入って指揮を執るべきである。
 
 また、原発から20-30キロ圏内の住民の避難について、「自主判断での退避」の指示が出たが、予想通り、背景に、政府の財政支出抑制の方針があった。菅政権の行動は、国民の生命と健康よりも財政支出の圧縮の方が大切であるとの考え方に基づいていることを示している。
 
 他方で、官僚利権には一切手をつけない。官僚利権を削減することはせずに、国民の命を守る、健康を守るための政府支出は、たとえ死者が出ようとも、切り詰めたいのだ。
 
 主権者国民の生命と健康を守ろうとしない政府には退場してもらうしかない。大災害が発生したから、被災者への対応を優先するために、倒閣勢力が政治休戦を提唱し、実行されてきたが、政府が何よりも大事な主権者国民の生命と健康を犠牲にして財政支出を切り詰めるというなら、このような政権には一刻も早く退場してもらわねばならない。
 
 被災者の生活再建を考えるときに、何よりも必要になるのは「お金」である。著名人が「何か出来ることをしたい」と発言しているが、何よりも「お金」を出して、その「お金」が適切に使われることが重要である。
 
 被災者の生活再建のためには、かなり巨額の「お金」が必要だ。その「お金」を誰がどのように負担するのかを短期日に決めようとしても無理だ。当面は国債発行で調達する以外にない。その国債の償還を迎えるときに、負担のあり方の論議をすればよい。10年国債を発行すれば、検討する時間が10年間も確保できる。
 
 財源を最終的に誰がどの程度負担するかを決められないから、被災者支援の財政政策を決められないなどというのは、政治の責任放棄である。政府の予算措置策定に向けての動きが遅すぎる。
 
 20-30キロ地域の住民の避難も政府の勧告による避難に切り替えるべきである。国民が不幸のどん底に突き落とされたときに、手も差し伸べられない政府なら、存在する意味はないのだ。
 
 電力会社幹部は、原発の現場で作業の先頭に立って行動するべきだ。
 
 菅政権幹部は、直ちに被災者救援の財政政策を直ちに策定するべきである。
 
 その際に、増税実現などの邪悪な企てを混入すべきでない。負担の論議は、国債の償還までに時間をかけてじっくりと行えばよいのだ。
ナターシャ・グジーさんの言葉と歌を今こそしっかりと胸に受け止めたい  投稿者:でくの坊 投稿日:2011年 3月27日(日)10時27分39秒

ウクライナ(チェルノブイリ)出身のナターシャ・グジーさんがNHKの「視点・論点」に
出演した時の映像です
http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded

何年か前に阿修羅でどなたかが音楽板?か文化板に投稿されたのを見て衝撃を受け
メールで友人知人に紹介した事があります

今福島原発の未曾有の事故・災害・人災を目の当たりにしている私達に彼女の切々たる言葉とそのあまりにも美しい魂からの歌声は聞く人全ての胸に響く事でしょう!

いつもなんどでも人は、同じ過ちを繰り返してしまいます

この映像が拡散され出来れば多くの著名なブロガーに紹介される事を願います




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佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか

2011-03-27 07:41:04 | 阿修羅


佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか 福島チェルノブイリは、佐藤知事を陥れた地検特捜部の犯罪!
http://www.asyura2.com/11/senkyo110/msg/525.html
投稿者 TORA 日時 2011 年 3 月 24 日 13:56:23: CP1Vgnax47n1s


株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu236.html
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか
福島チェルノブイリは、佐藤栄佐久知事を陥れた地検特捜部の犯罪!

2011年3月24日 木曜日

知事抹殺―つくられた福島県汚職事件 佐藤栄佐久:著
「知事は日本にとってよろしくない。」(東京地検特捜部検事)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4582824544.html






◆佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか 福島原発の事故隠蔽で国と対立した直後に始まった捜査/伊藤 博敏 3月17日 現代ビジネス
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2275

炉心溶融のメルトダウンへ向けて、カウントダウンを続けているかのような福島原子力発電所---。

 その根源的問題が、国と電力会社が一体となって「安全神話」を撒き散らし、国民の声を聞かずに原子力政策を推進、事故が発生してもまず隠ぺい、真摯な事故対応を怠ってきたからだと指摘していた人がいる。

 佐藤栄佐久前福島県知事である。

 佐藤氏は、06年10月、木戸ダム建設工事に絡んで、ゼネコンの前田建設工業、サブコンの水谷建設から賄賂を受け取ったという収賄罪で逮捕起訴され、一審で有罪判決を受け、控訴したものの覆らなかった。

 「冤罪」の声もある事件については後述しよう。ここで強調したいのは、佐藤氏が、09年6月の高裁判決後に上梓した『知事抹殺』(平凡社)で、2章を割いて「国の原子力行政との戦い」を訴えていることだ。

*** 内部告発の調査を電力会社に「丸投げ」 ***

 佐藤氏は、まるで今日の事態を想定していたかのようである。

「この事故で、強烈な教訓として残ったのは、『国策である原子力発電の第一当事者である国は、安全対策に何の主導権もとらない』という『完全無責任体制』だった」

 この事故というのは、1989年1月6日に発覚した福島第二原発3号機の部品脱落トラブルである。原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落、それが原子炉内に流入していた。前年暮れから3回も警報が鳴っていたのに東電は事故を隠し続け、1月6日の異常警報でようやく県に報告した。

 佐藤氏は、参院2期を経て、知事に就任2年目のこの事故で、原発が抱える根源的問題を直観、原発や原子力行政を学び、その在り方に批判的になっていく。

 それが頂点に達したのが、2002年8月29日、経済産業省原子力安全・保安院から県に送られてきた18枚のFAXだった。

 そこには、「福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたって点検記録をごまかしてきた」と、書かれていた。

 炉心を支えるシュラウドと呼ばれる重要部分の損傷まで隠ぺいしていた事態に、国民は驚き呆れ、東電は平岩外四、那須翔、荒木浩、南直哉の歴代社長が総退陣、恭順の意を示した。だが、佐藤氏が怒ったのはむしろ国の対応である。

 改ざん隠蔽の事実は、内部告発によって明らかとなったが、それを原子力安全・保安院が受け取ったのは00年7月である。

 保安院は立ち入り調査することなく、「こんな告発があるけど」と、東電に紹介、調査は東電に任せて「調査の結果、告発内容と一致しなかった」という東電報告を受けて、口を拭っていた。

「国と東電は同じ穴のムジナだ」と、書く佐藤氏は、2年も放置した国の責任を重く見て、「本丸は国だ。敵を間違えるな」と、県の担当に檄を飛ばしたという。

*** 「佐藤知事のせいで目算が狂った」 ***

 使用済み燃料を再処理して使うプルサーマル計画を含めた核燃料サイクルに批判的な佐藤氏は、そのプルサーマルを推進する資源エネルギー庁と安全を司る原子力・安全保安院が同居、そこに現場の東電など電力会社が加わって「原子力村」を構成、何のチェック機能もない原子力推進体制が出来上がっていることを危惧した。

 事故も隠ぺいも、その体質が生みだしたものだ---。

 従って、事故を機に、原発を点検に合わせて次々に運転停止、東電管内の17基の原発がすべて停止しても、攻撃の手を緩めることはなかった。

 全基停止中の04年12月21日、『朝日新聞』の「私の視点」で、事故への反省もなく、体質改善の努力もなく、専門家が決めたことを押し付け、原子力政策を推進していることを問題点として訴えた。

 05年夏の電力需要期を迎えても、佐藤氏は運転再開のゴーサインを出さなかった。

 『日本経済新聞』(05年6月5日付)が、「運転再開に注文をつける佐藤知事のせいで目算が狂った」と、社説で批判するなど風当たりが強くなるなか、7月10日、ようやく佐藤氏は、東電の勝俣恒久社長と面会、再開を容認した。

 原発行政と東電などに「佐藤批判」が高まるなか、佐藤氏が最後まで許さなかったのは、「譲れない一線を国や関係者が考えてくれなかったからだ」という。

「それは、『事故情報を含む透明性の確保』と、『安全に直結する原子力行政に対する地方の権限確保』である」

*** 「一罰百戒」という検察の思惑 ***

 佐藤氏に対する捜査は、同時期の05年7月に特捜部が捜査着手した水谷建設脱税事件の関連先として始まった。脱税額は約9億円。そのなかには、佐藤氏の実弟が経営するスーツ会社の土地を、水谷建設が相場より約7000万円高い約8億7000万円で購入した件が含まれていた。

 特捜部は、この差額の約7000万円を、木戸ダムを前田建設工業、水谷建設で受注する際の「賄賂」と見立てた。佐藤氏の罪は、実弟の要請を入れ、県に対して「天の声」を発したというものである。

 佐藤氏は、実弟のスーツ会社の経営にタッチしていなかったこと、福島県の公共工事は「天の声」を発する環境になかったこと、などを理由に無罪を主張。だが裁判所は、一度は拘置所内で「天の声」を認める調書にサインをしていることと、実弟に「口利き」の形跡があることなどを理由に有罪とした。

 佐藤氏が原子力行政に、物申していた時、収賄捜査は始まった。そのタイミングの良さに、「国による反原発派知事つぶし」という声があがるのも無理はなかった。

 もちろん特捜部が、「反原発派」だから佐藤氏を狙ったというのはうがち過ぎである。

 安全性に顧慮することなく、地元を含めて国民に「お上のやることだから従え」と強圧的な態度で臨み、事故が起きれば現場(東電など)のせいにして逃げる国(経産省、資源エネルギー庁、原子力安全委員会、原子力安全・保安院)などへの怒りは強いが、佐藤氏は容認派であって反対派ではない。

 むしろ特捜部は、「平成の政商」と呼ばれた水谷功氏の脱税事件を起点に、北朝鮮、中部国際空港、東電など、水谷建設絡みの案件のすべてを家宅捜索するという投網方式で捜査着手、そこに引っかかってきたのが佐藤氏の実弟だった。

 政治家(知事)本人は手を汚さず、親族を含む周辺が、"汚れ仕事"を引き受ける---。収賄罪を避けるために一般化していたこの脱法を乗り越えるために、特捜部は「身分なき共犯」で実弟を逮捕、兄に吐かせて事件を組み立てる、という絵を書き、見事にそれがハマった。

 大阪地検事件までは認められていた「捜査の常道」である。その検察の目に佐藤氏は、「一罰百戒」を与えるのに相応しい政治家であり、検察の威信を見せつけるコマであり、実績をあげる材料だった。

 その思惑のなかで、「収賄意識ゼロ」の首長が逮捕されたが、原発行政に厳しい知事がいなくなったのは、経産省にとっても東電にとってもありがたかっただろう。

 「佐藤不在」が、未曾有の原発事故につながったというつもりはない。ただ、「緑の革命」のなかで原発がクリーンエネルギーとして称揚され、厳しい監視役の不在で気のゆるみが生じていたのだけは、間違いあるまい。


◆佐藤栄佐久:国民はどこにいるのか。国民は誰が護るのか。【1】
http://blog.livedoor.jp/amaki_fan/archives/51794152.html

◆福島チェルノブイリは、佐藤栄佐久知事を陥れた地検特捜部の犯罪! 3月14日 南華のブログ
http://blog.nanka.biz/?eid=1164843

(私のコメント)


福島第一原発大災害と東京地検特捜部とは何の関係もないように見えますが、調べてみると大有りのコンコンちきのようだ。佐藤栄佐久前福島県知事は東京地検特捜部に逮捕されたのは「反原発知事」だったからだろうか? 今や東京地検特捜部は悪の巣窟のようになってしまいましたが、佐藤前福島県知事も収賄罪で起訴された。

株式日記では、日本は官僚独裁国家と書いてきましたが、田中角栄逮捕以来、政治家よりも官僚が実権を持ち続けて、目障りな政治家を次々と辞任に追い込んできた。確かに汚職政治家も多いのですが、政治に金はつきものだ。贈収賄は決して良い事ではありませんが、最近では無実の人まで有罪にされてしまうケースも目立ってきました。大阪地検ではFDを書き換えて証拠を捏造した。

原子力発電は、一体誰が仕切っているのだろうか? 東京電力だけの問題なのだろうか? 民営化すれば全てうまく行くと民営化に突き進んだ事で、全て上手く行くのだろうか? 東京電力も原発が問題起こすたびに東京電力では関係者が処分されて、原子力発電が分かる人がいなくなってしまった。監督すべき保安院も原発の事がぜんぜん分かっていない。

東京では全体の4割を原発の電力で賄われていますが、新潟や福島から電力は送られてくる。柏崎原発事故で地震対策が問題になりましたが、今回の東北関東大震災でも原発の防災対策は何の手も打たれていなかった。送電線も一系統であり非常用自家発電機も水没して止まってしまった。佐藤前福島県知事はその安全対策に手を打つように訴えてきましたが、東京電力は政財界に手を回して、東京地検が動き始めたのだろう。

原子力発電所のずさんな管理運営にも問題があり、事故が起きても隠蔽されてきた。原発も40年も経てば金属疲労を起こして大事故を起こすだろう。2005年には全国の原発が止まって一斉点検が行なわれましたが、形だけのものであり、柏崎原発や今回の福島原発でも欠陥が明らかになっている。政財官が一体化してしまって、外部からのチェックが効かなくなってしまっている。

私自身は、原発容認やむなし派であるのですが、老朽化した原発は廃炉にすべきだし、防災対策も十分にすべきだろう。しかし東京電力は私企業であり、そこだけで防災対策の膨大な費用はかけられないだろう。電力や郵政は国家のインフラであり、民間の一私企業がやるには問題があるのではないだろうか? 電力が止まればどうなるか今回の災害で十分に分かったはずだ。


小泉構造改革で、公共事業がどんどん縮小されて、必要なインフラ事業が出来なくなっている。財務省は財政再建が最優先であり、公共事業を次々カットしていますが、防災対策でやるべき事が沢山あることは今回の大震災で十分分かったはずだ。民主党は「コンクリートから人へ」がスローガンですが、津波対策など考えにも及ばなかっただろう。

官僚たちは恣意的な法律の解釈で実権を握り、政治家に責任をおっ被せて自分たちは責任を取らなくて良いシステムになっている。自分たちの言うことを聞かない政治家がいればスキャンダルを暴露して葬ってしまう。マスコミも官僚の味方であり、東京地検は正義の味方のようにマスコミは報道してきた。検察があまりにも強くなりすぎて政治家が萎縮して小粒になってきている。

テレビを見ると朝から晩まで「AC、AC、AC」と気が狂いそうになりますが、国民を洗脳して気を狂わそうというつもりだろう。東京電力はテレビ広告の大スポンサーであり、反原発派の学者が出ることが出来ない。いかにマスコミ報道が狂っているかは今回の事でよく分かりますが、放射能に汚染された水道水も、テレビは気が狂ったかのように学者を動員して「問題ない」のオンパレードだ。

これと同じようなことを検察の捜査でも行なっているのであり、無実の人でも有罪にしてしまうくらいに検察の権力が大きくなってしまった。政治はますます無力になり官僚主導が今日の無責任体制を作っている。菅総理は官邸の中に引きこもりになり、顔を見せなくなりました。適切な決断が出来なくなり、感情をコントロールできなくなっている。このような無力な政治家を選ぶ国民も悪いのですが、自然はこのような国民に大津波となって報復してくるのだろう。



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【反原発・銀座デモ・パレード3/27】

2011-03-26 17:41:58 | 阿修羅コメント




【反原発・銀座デモ・パレード3/27】
すべての責任はこの、日本国民にある。
この、政治的低民度の事なかれ主義が原発建設を招き、無法司法、売国政治屋、捏造新聞社を好き放題に
させた、罪は全て。このサイレント羊国民の責任である。
ゴミ知事が血税1000億以上垂れ流ししても、何の責任なく、再立候補してる、現状、年金問題しかり
私は外地で白人に軽蔑された、他の国では国会焼き討ち、や、大規模デモ行動を起こすのに、なぜ日本人
だまっているのかと、、、
沖縄の米軍基地など、真剣に住人が血を流し、大蜂起したら、すぐ解決する問題ではないか1
今回の大地震対策、原子炉問題は人災である。国民は覚醒して復興後、アルジェリアの国民の様に悪政政治家、ゴロツキ新聞社、無法地検に正義の大規模テロをおこさなくては、日本の真の独立国家のために!

これまで羊のように何もしてこなかったレベルの低い他力本願な日本国民に全てに責任がある。
例;石原慎太郎を3期も当選させた東京都民の醜さ、お粗末さ、低能レベルがそれを象徴している。次も当選確実?ふざけるな。
究極は、沖縄問題を見て見ぬふりしてきた全日本国民に責任があるのと同じってことだ。
責任逃れが得意なのは東電社長や菅首相だけでない。
全ての日本国民も責任逃れしか考えていないのだ。全く同じだ。

いまさら何いってやんでえ。
ふざけやがって。

私も含め日本人は大人しすぎるのは分かる。だが、政府・マスゴミ・経済界の隠蔽・嘘に踊らされてきた国民に、その自覚がないのも事実。実際にFNN(産経)の調査によれば菅政権の支持率は上がっている。我々がいくらNET上で騒ごうが官報複合体はびくともしない。この状況を打ち破るすべは、街に多人数で繰り出し、一般国民の目を覚まさせることしか無いのではなかろうか。小沢一郎の応援デモや馬鹿にしていた原発反対デモに積極的に参加し。マスゴミが無視できなくなるような、一万人・十万人というような大きなデモを成功させることだ。だから私は、馬鹿にしていた【反原発・銀座デモ・パレード3/27】に参加する。

明日の反原発・銀座デモは東電本社を通る。
そこで「清水正孝社長出てこい!」「東電社長逃げるな!」のシュプレヒコールをやろう。一人でも多く参加するよう呼びかけよう!

デモ大賛成。私も参加します。
事務局の方は東京近辺にいる被災者に声をかけて見てください。
一番被害の大きい被災者が参加するのと参加しないのでは効果が全然違います。
被害を受けた牛乳や野菜を東電社長に買ってもらいましょう。
東電役員の家に個別訪問販売なってのも良いかも!
乳牛も連れて来て、東電本社前で乳搾りすれば、世界中のニュースになるかも。



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国民の生命と安全を守らない菅政権と東電の責任

2011-03-26 15:50:48 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

国民の生命と安全を守らない菅政権と東電の責任
本ブログにおいても、大地震および大津波発生後の政府対応、福島原発放射能漏出事故について、とりわけ重要な問題について、指摘を続けてきた。
 
 しかし、残念なことに、それらの重要事項について、重大な問題が発生してしまっている。災害が発生した場合、被災者の救援に全責任を負うのは政府である。また、原発事故発生の原因は電力会社と政府にある。責任ある当事者がその責任をまっとうすることが求められているが、残念ながら責任逃れの行動ばかりが際立っている。
 
 三つの重要事項を改めて列記する。
 
 第一は、原発事故に際して、周辺地域に居住する住民の生命と健康を守ることが最優先されなければならないのに、菅政権の対応が無責任の極を極めていることだ。
 
 原発から北西20キロ地点にある福島県浪江町では、原発事故発生後、コンスタントに100~330μSv/hの高濃度放射能が観測され続けている。政府は、この地点の放射能濃度の公表を中止してしまったが、おそらくいまも状況は変わっていないだろう。
 
 400日当たりの被ばく量は、1時間当たり被ばく量の約1万倍になる。上記福島県浪江町の場合、400日間の被ばく量は
1Sv~3.3Sv
に達する。
 
 原子力関連事業に携わる専門労働者の法定被ばく量は年間0.05Svである。この上限値の20倍から60倍もの放射能被ばくが見込まれているのである。1Sv以上の被ばくで生命の危険が生じ、4Svの被ばくで死亡率が50%を超すと見られている。
 
 福島県浪江町のこの観測地点の住民が避難しなければならないことは明白である。
 
 米国をはじめ、諸外国は原発から半径80キロ以遠への避難を勧告した。
 
 菅-枝野体制は、危険極まりない20キロエリアに、住民を縛り付けているのだ。
 
 当初から対応が五月雨式であり、後手後手の対応が続いている。初めからあえて避難エリアを広範囲に取って、住民被害が万が一にも発生しないことを優先すべきであった。
 
 菅-枝野体制は、ようやく20-30キロエリア住民の避難に向けて動き始めたが、自主避難とは一体どういうことか。
 
 すべての行動から透けて見えることは、本ブログでもこれまで指摘してきた、「財政再建原理主義」である。彼らの考えは、「国民の生命を犠牲にしてでも、国民の健康を犠牲にしてでも、政府支出を切り詰めろ」というものだ。
 
 財務省主導の財政再建原理主義なのだ。それでは、彼らが国の将来を憂いて財政再建原理主義に進んでいるのかと言うとそうではない。官僚利権につながる政府支出は切り詰めない。つまり、官僚利権を温存したいがために、国民の生活の安全、生活の保障に対する支出は1円でも切り詰めろという考えなのだ。
 
 菅-枝野体制は、直ちに政府の全責任で避難エリアの大幅拡大を実行するべきである。少なくとも50キロエリアに拡大する必要があるのではないか。



第二は、原発の冷却システム回復の作業において、防ぐことのできた被ばく事故が発生したことだ。政府は被ばく量上限を100mSvからいきなり、250mSvに引き上げたが、国民の生命、健康の安全を優先する視点からは正当化されない決定である。
 
 放射線に汚染された水に皮膚が接触して被ばく事故が発生したが、その後には、より深刻な被害が予想される体内被ばく事故も発生してしまった。
 
 電力会社幹部、政権中枢の者が率先して作業に取り組む際にだけ、この基準を適用するなら話はわかる。ところが、政府高官、電力会社幹部は、全員、遠隔地の安全な場所に身を置いているのではないか。
 
 政権幹部および電力会社責任者が一人でも現場に身を置いているのか。
 
 政権幹部や電力会社幹部が遠隔地の安全な場所に身を置いておいて、電力会社の下請け労働者に、全然対策も講じずに、悲惨な被ばく事故に遭わせて、どのような説明ができるというのだ。
 
 防護服、防護靴、防毒マスクは必須であり、さらに、厳格な放射線量管理がなければ、いかなる労働者にも作業を行わせるべきでない。
  
 また、作業は東京電力社員が行うべきで、3Kの仕事は下請けに丸投げは、企業の姿勢として正しくないのではないか。
 
 また、枝野氏が原発事故担当責任者になるなら、枝野氏は福島原発に移動して陣頭指揮に当たるべきである。また、電力会社の責任者の多くも、福島原発に移動して、現場で指揮を取るべきでないのか。
 
 第三は、責任ある当事者が責任ある行動を果たしていないことである。すでに述べたように、枝野氏が20キロ地点は避難する必要がない場所だと主張するなら、本人が福島県浪江町に移動するべきなのである。
 
 自分は遠隔の東京の安全な場所にいて、20キロ地点は安全だから、そこにいろというのは、通用しない。本当に泥をかぶって、身を持って安全を訴えるなら、現地に行って現場から安全性を訴えるのでなければ、まったく説得力はない。
 
 最高責任者は菅直人氏である。なぜ、このような重要な局面で毎日の記者会見をやめたのか。都合が悪くなると逃げる、菅直人氏の典型的な行動パターンである。
 
 こういうときであるからこそ、普段よりも頻繁に、国民に直接説明するべきである。
 
 菅直人氏は記者会見で、各種データをすべて迅速に開示していると言ったが、現実に最重要のデータが隠蔽されて発表されなくなった。
 
 発表されなくなったデータは、以下の三つである。
 
①原発2号炉の北西0.5キロ地点の事務本館北のデータ
②原発敷地内での最高放射線濃度
③原発から北西20キロにある福島県浪江町のデータ
 
 すべてを迅速に開示というなら、まずは、上記3種のデータを即刻開示するべきである。



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放射能汚染列島ニッポン、本当の恐怖はこれから(広瀬隆)

2011-03-26 10:15:14 | 阿修羅

放射能汚染列島ニッポン、本当の恐怖はこれから(広瀬隆)
http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/709.html
投稿者 Orion星人 日時 2011 年 3 月 25 日 10:51:37: ccPhv3kJVUPSc


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5735 

 あらかじめ申し上げておきますが、私は日本の国民を脅かそうとか、危機意識を煽って風評被害を広げようなどという意図は全くありません。

 これから私が申し上げることが、起こらなければ結構。幸いなことです。でも、万が一起きてしまったら日本は取り返しのつかないことになります。その前に、きちんと目の前にある事実と向き合い、対策を打つことが大切ではないでしょうか。

【福島第一原発の事故は明らかな人災】

米デジタルグローブ提供による東京電力福島第一原子力発電所の衛星写真(左:2004年11月21日撮影、左から2番目:2011年3月13日撮影、右側2枚:同14日撮影)〔AFPBB News〕

 なぜなら、福島第一原子力発電所で起きた今回の事故は、天災では決してなく、明らかな人災だからです。

 福島第一原発を襲った津波は想定を超えていたと、よくテレビや新聞では伝えられています。NHKなどは「100年に一度の想定外の地震と津波」と、何度も何度も繰り返しています。これはいったい何なのでしょう。

 想定外を繰り返すことで、国民にこれは避けられなかった災害であり国や地方自治体、東京電力には責任がないということを刷り込もうとしているのでしょうか。

 でも、本当に想定外なのですか。今回よりも地震のエネルギーが大きかったスマトラ島沖地震が2004年に発生しています。この時のマグニチュードは9.3でした。今回の地震よりもはるかに大きかった。

 この時、津波の高さは最も高かったところで49メートルだったと記録されています。今回、東北地方を襲った津波の高さは最大15メートルとようやく推定が出ました。津波に襲われた人がほとんど亡くなってしまったこともあり正確にはこれからも分からないかもしれない。

【スマトラ島沖地震の津波は想定外?】

 しかし、スマトラ島沖地震では49メートルの高さになったのだから、日本でもこれくらいは最悪のケースとして想定しておくべきではないでしょうか。日本にはそんな巨大な津波は襲ってこないと言う人がいるかもしれません。

 しかし、過去の事例を調べれば日本を巨大津波が何度も襲っている。明治29年、1896年に発生した明治三陸地震というのがありました。この時は、津波の高さが38メートルの高さになったと記録されています。

 わずか100年ちょっと前に起きているわけです。この事実があるのに想定外とはどうなんでしょうか。こうした津波が来る危険性を福島第一原発が想定していなかったとすれば、これは無責任な人災以外の何ものでもない。

 原発だけではありませんね。岩手県宮古市の田老地区。ここで津波の被害に遭った人たちは本当にお気の毒です。ここは、明治三陸地震による津波の被害を受けて、日本でも屈指の防潮堤が造られていました。

しかし、今回の津波はその防潮堤をはるかに乗り越えて町全体に襲いかかり甚大な被害を及ぼしました。住人たちは「防潮堤があるから大丈夫」との油断があったと伝えられています。

【かつて建設が計画されたことがある田老原発】

明治三陸地震の津波による被害(ウィキペディア)

 大きな建設費をかけて完成した防潮堤でしたが、今回のような津波は想定していなかったわけです。

 でも、過去には今回のような津波が現実として起こって、田老では防潮堤より高い14.6メートルを記録しているわけです。人災以外の何ものでもないでしょう。

 実は、報道ではほとんど伝えられていませんが、この田老地区にはかつて田老原発の計画があったのです。

 その計画は潰れてしまったとはいえ、高い津波が襲う危険性があるところに原発を造ろうとしたわけですから、当然、想定はされているはずでしょう。

 だから、テレビの解説者や政府の人たち、東電の人たちが「想定外、想定外」を繰り返すのは明らかにおかしい。想定外という言葉を安っぽく使ってほしくありません。想定が全部できたことなのです。

【チェルノブイリのような事故に発展する可能性はないのか】

 今回のような津波と原発の被害が想定できることは、昨年8月、『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)にまとめました。本を出版して強く警鐘を鳴らしたことが、今回、本当になってしまって実に無念な思いです。


 もし、本当に想定外だと言うのであれば、その人たちは専門家ではないことになるでしょう。私はこの本で、誰でも分かる原発の地震災害の可能性を指摘しました。しかし、想定外を繰り返している人たちは、曲がりなりにも専門家と呼ばれる人たちですよ。

 さて、福島第一原発はこれからどうなるのでしょう。この点は日本のみならず世界中の関心事だと思います。経済産業省の原子力安全・保安院は、福島第一原発の事故を米国のスリーマイル島で起きた事故と同じレベル5に引き上げました。

 これで済むのか、旧ソ連で1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所のような大事故に発展するのか。このところの動きを見ていますと、自衛隊や東京都の消防庁や各都道府県から応援に駆けつけた消防隊のおかげで小康状態を保っています。

 このまま、原子炉や使用済み核燃料の冷却が順調に進んで、これ以上の事故に発展しないことを心から願っています。また現場で必死で作業に当たっている人たちには、本当に頭が下がります。日本の宝とは、この人たちのことを言うのでしょう。

【原子炉のポンチ絵に騙されるな】

 しかし、現実は決して甘くありません。私が心配するのはやはり原子炉です。テレビではもう皆さん見飽きたかもしれませんが、原子力発電所の模型や仕組みを示した図が何度も登場しています。

 これを見る限り、原子炉の圧力容器内に冷却水を入れ、また使用済み核燃料を保存しているプールに水を供給している限り、大きな事故は起きそうもないような気がします。

 でも、テレビで示される図は、あまりに図式化されすぎています。このポンチ絵と実際の本物とはかけ離れています。例えば、原子炉のお釜の下には制御棒を出し入れする部分がありますよね。

 これがどうなっていると思いますか。例えて言うなら、戦国時代の槍衾(やりぶすま)なんですよ。何本もの槍が下からお釜に突き刺さっていると思ってください。それだけではありません。何本もの計器類もそこに挿入されているのです。

 そして、その下にはケーブルが走り回っています。非常に複雑な構造をしているわけです。そんな中に、冷却水として塩水を大量に入れたわけです。何事もないと考える方がおかしいと思いませんか。

【一縷の望みは電源の回復】

 原子炉や原子炉格納容器が破壊されて最悪の事態を迎える危険性は、十分に残っています。別に脅かすわけで言っているのではありません。そういう最悪の事態を想定しながら、今できることを着実にやっていく。それが必要です。

 もちろん、専門家は分かっているはずです。そして唯一の望みはやはり電源です。1号機から4号機まで外部電源がつながったという報道がありました。これは、事態改善の第一歩だと思います。

 電源をつなげて恒常的に原子炉と原子炉格納容器、そして使用済み核燃料のプールを冷却できるようにする。これができれば、最悪の事態は避けられます。

 ただし、電源が来たからと言って、そのようにスムーズに進むと考えるのは楽観的すぎます。大量の塩分が残っている中で、精密機械が果たしてきちんと機能するのか。

 また、現場には相当な放射能が降り注いでいます。その中での作業は大変だと思います。時間との戦い、放射能との戦いなんです。しかしそれをやり切らなければ、最悪の事態に向かってしまう。

【4基が一度に被害を受けた衝撃】

福島第一原発の衛星写真〔AFPBB News〕

 そして、今回の事故で特徴的なのが、福島第一原発の1号機から4号機まですべて大被害を受けたということです。スリーマイル島やチェルノブイリと大きく違う点がここにあります。

 4つある原子炉のうち、どれ1つとっても失敗できないということを意味しています。万が一、どれか1つの原子炉でメルトダウンや再臨界が起きてしまったら、福島第一原発に誰も近づけなくなってしまいます。

 そうなれば、残りの3つの原子炉の冷却作業を行えなくなる。つまり、残り3つの原子炉もメルトダウンが避けられなくなるということです。そうなれば、人類史上空前の原子力事故が発生する危険があります。

 電源が回復して恒常的に原子炉全体を冷却できるようになる確率はどれほどでしょうか。私はかなり薄氷を踏むような作業ではないかと思っています。

 簡単に成功する確率を1基当たり50%としましょう。1つの原子炉で50%だったら、4つ全部成功させるには、2分の1の4乗ですから、6.25%の確率ということになります。

【600度でメルトダウンを起こす危険性も】

 1基80%の確率としても、4基全部成功するには41%の確率しかありません。ことの重大性がお分かりだと思います。これほどの危険性がありながら、想定外だとして今回の津波に対処できる対策を講じてこなかったのは、明らかに東電の経営幹部に責任があります。

 東電の幹部が記者会見に出て発言している姿を見て聞いて、私は本当に腹が立ちますね。それに比べて、現場で作業している人たちは命をかけて取り組んでいる。日本を救うために。現場の人たちの力を信じたいですね。いや信じるしかありません。

 ついでに厳しい見方を言えば、日本の原子力の専門家たちは炉心溶融、メルトダウンは摂氏2000度を超えないと発生しないと言っていますが、フランスの原子力学者は600度を超えるとその可能性があると発言しています。そのことはかつてNHKの番組でも放送していました。

 いま福島第一原発で本当に何が起きているのかは、外からは分かりません。とにかく、現場での冷却が成功することを祈るのみです。

ところで、この福島第一原発は、1971年の3月26日に運転を開始しています。そうです。運転開始から40年が経つわけです。米国では法律で、40年経った原子炉は廃炉にすると決めている。

【設計者が退社したら廃炉にするのは世界の常識】

 ところが、日本は昨年、この原子炉を60年運転すると決めています。これも理解不能ですね。だって、考えてみてください。40年という月日をです。

 実際に原子炉が建設を始めたのは1960年代末でしょう。その頃の技術者は誰一人残っていません。とりわけ、1号機は米GE製です。そんな設計者もいない、そして図面も残っていないと聞いています。

 そんな細かい技術が分からなくなった原発を20年も延命させて運転させるというのは、狂気の沙汰ですよ。設計した技術陣がいなくなったら廃炉にするのが常識です。

 原子炉というのは非常に複雑であり、当初の設計から変えている部分もある。設計者にしか分からないことも多いのです。

 さて、私がもう1つ言いたいのは、福島第一原発のことではありません。日本にはこれと同じように怖い原発が存在しているということを、日本の国民は知るべきです。

【一番心配なのは静岡県の浜岡原発】

 それは静岡県御前崎市にある浜岡原発です。今回、東日本で歴史的な地震が発生しましたが、ついこの前、静岡県沖でも大きな地震が発生したでしょう。ついに始まったかと思い、心配になってしまいました。

 詳しくは『原子炉時限爆弾』をお読みいただきたいのですが、明らかに太平洋プレートの大きな変動が始まっています。それは国土地理院のデータから私のような素人が調べても明らかです。

 スマトラ島で起きた大地震、そしてチリの大地震、バヌアツで起きた地震。全部相関関係があるのです。東海大地震はいつ起きてもおかしくないと言われていますが、私が調べたデータでは、まさにその時期が近づいている。

 御前崎の浜岡原発は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む、まさに巨大海底断層の上に立つ原子力発電所です。ここでもし巨大地震が発生したら、どうなるでしょうか。

福島第一原発とは様相が全く異なると思います。福島の場合には沖合いの深いところで発生した地震でした。

【直下型地震の被害は今回とは違う】

 マグニチュード9.0と言いますが、これは、気象庁が勝手に尺度をモーメント・マグニチュードに変えてしまったために大きな数字になっただけで、実際には、従来の気象庁マグニチュードで8.4です。

 その巨大な地震エネルギーの割には、揺れによる被害はそれほど大きくありませんでした。被害の大半が大きな津波によるものでした。

 ところが、今後発生が懸念されている東海大地震の場合には、阪神大震災のような直下型になる危険性が高い。阪神大震災のマグニチュードは7.3ですから、地震のエネルギーとしては今回の約45分の1です。

 それでもあれだけの被害を出したのです。しかも東海地方は4つのプレートが集まったところです。一重ではなく四重に入り組んだプレートの上に原発が立っているのです。そこで阪神大震災以上、現在予想されている揺れでその数十倍にもなる直下型地震が起きたら、どうなりますか。

 今回の福島第一原発の事故は、想定されたものですが、それを防げなかった。その責任は置いておいて、ではこれから何を学ぶかが大切です。日本中の原子炉の安全基準を一斉に見直さなければならないのは当然でしょう。

 3月15日。震災の発生から4日が経って、実は中部電力はこっそりと安全対策の引き上げを発表しています。12メートルの津波に耐えられる堤防を造るそうです。福島が5メートルですから、慌てて対策に出たことが分かるでしょう。もちろん、それで万全な対策になるはずはありません。

 しかし、堤防だけの対策で東海地震から原発事故は免れません。できるならば今すぐに原子炉を止めて、万が一の地震に備えるべきでしょう。電力不足が懸念されていますが、中部電力の火力発電所は十分にあります。

 停電よりも原発事故は、何倍どころか何百倍、何千倍も怖いということの認識が必要です。



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計画停電=原子力発電所に事故があった場合、停電させ、市民を脅迫し、

2011-03-25 19:02:35 | オルタナティブ通信

計画停電=原子力発電所に事故があった場合、停電させ、市民を脅迫し、原子力発電・反対の声を「口封じ」する戦略


 原子力発電は、太陽光発電、地熱発電、波力発電、風力発電等よりも、「コスト」が安い、というデマが流されている。

代替エネルギーには、「コスト」問題がある、という、デマである。

原子力発電は、放射性廃棄物を数万年、冷却し続けなければならず、

冷却しなければ放射性廃棄物が「容器」を熱で溶解させ、モレ出し、土壌・地下水を放射能汚染する。

この数万年分の電気料金=コストが、原子力発電の「コスト」に算入されていない。

意図的な、情報操作、デマ宣伝である。



今回のように、原子力発電所が事故を起こすと、放射能汚染された農産物等が廃棄され、

汚染されていない水を調達し、

観光客は日本から逃げ出し、外国企業が日本から逃げ出し、

原子力発電所の周辺の住民が、避難し、新しい住居に移動し、避難所を設置し、

原子力発電所の周辺の行政が活動拠点を移動させ、周辺の企業活動は停止する。

廃棄された農産物の総額、

汚染されていない水の調達費用、

観光客の激減=航空会社の収入減少、

企業の海外逃避による日本国家・社会の経済損失、

原子力発電所の周辺住民の転居・避難の費用、避難所設置の費用、

原子力発電所の周辺の企業活動の停止の損失、企業に勤務しているサラリーマンの収入減少、

これ等は全て、原子力発電の「コスト」である。

このコストを計算に入れない、デマが、

原子力発電は、太陽光発電、地熱発電、波力発電、風力発電等よりも、「コスト」が安い、というウソである。



この「コスト」問題での、デマと同一の情報操作が、

現在行われている、「計画停電」である。

原子力発電が止まると、電力が不足し、停電すると、市民・国民を脅迫し、

事故を起こした、危険な原子力発電の事業を廃止せよという、国民の非難を、「封殺」する、口封じの情報操作が、

「計画停電」である。

日本に存在する54基の原子力発電所が、「全て停止しても」、電力は、余っている。

この原子力発電所に事故があった場合、停電を行い、市民を脅迫し、原子力発電・反対の声を「口封じ」する戦略は、

事前に「計画的に」、準備されていた。

従って、「計画」停電、「計画的犯行・停電」と、呼ばれている。



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3.19デモ中止から再び闘いの開始をはじめよう

2011-03-25 06:28:20 | 阿修羅コメント


私たちは、3・19の東京デモを、小沢一郎総理総裁実現への最も重要な一里塚であると位置づけていた。残念ながら3・11の大震災によって中止となったが、私的には、3・11は、中止をせざるをえない事情であったというより、むしろ3・11の政治的意義をより拡大し、より鮮明にするべき必要性のほうが優先していたのではないかと考えている。3・11が発生したことによって、「2009政権交代の原点にかえれ!」、「こんな民主党なんて、いらない!」という思いは、スローダウンするどころか、いっそう募るものになったはずである。

未曾有の数の犠牲者や被災者は、自分たちの生命をかけた悲痛な叫びを、誰かに代弁してほしいはずである。また私たちは、その叫びを代弁するべき責務を背負っていたのではあるまいか。その上で、二度とこのような「人災」をくり返さないためにこそ、「2009政権交代の原点にかえれ!」をより強く叫ぶべきであったし、「こんな民主党なんて、いらない!」と強く強く叫ぶことによって、真の日本維新、日本復興を実現する政治勢力の結集と勝利を誓うべきではなかったか。犠牲者や被災者のことを思うと、デモなんかやってる場合ではないだろう、ではなくて、犠牲者や被害者のことを思えば思うほど、彼らの叫びをも糾合して、より力強くデモをしなければならなかったのではないかというのが、個人的ではあるが、私の見解である。

そういう意味で、私は3・19が中止になったことについては、残念でならない。ただしこれは、私の一つの個人的見解であり、感想である。主催者たちのご苦労やご努力に、無責任に水を掛ける意図は微塵も無い。私は一協賛団体の代表者に過ぎないし、もちろん主催者ではないのだから、主催者の決定については当然敬意を払って尊重するものである。主催者が苦渋の選択として中止を決定した背景には、おそらく私などの知りえないご苦労やご配慮があったものと推測する。

中止決定の文章を読むと、「4月下旬以降または政局の動向が見えるようになるまで延期やむなし、との判断に至りました」とある。4月下旬と言えば、まさに統一地方選挙が終り、「政局の動向が見えるようにな」っている時点である。それまで手を拱くのではなくて、むしろ政局の動向をリードすることこそ、デモの趣旨であるべきではなかったか。私としては、地団太を踏む思いである。中止を決定された主催者の思いも、地団太を踏む思いであろうと思う。またぜひとも参加したいとてぐすねを引いておられた参加予定者の皆さんも、みんな同じように地団太を踏む思いであるに違いないと思う。

ここは延期の起間を最小限にして、可能な限り早期に、あらためて開催に踏み切ってはいただけないだろうか。ぜひともご検討をお願いしたいものである。


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犠牲は下請け労働者、幹部は安全地帯避難の図式

2011-03-24 19:47:00 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

犠牲は下請け労働者、幹部は安全地帯避難の図式
3月16日に
「末端労働者犠牲に原発責任幹部政府は逃亡の図式」

と題する記事を掲載した。
 
 福島原子力発電所の放射能放出事故を収束するために、危険を冒して決死の作業に従事する人々には、心よりの敬意を表したい。
 
 しかし、電力会社ならびに政府は、これらの最前線で作業する労働者の生命と健康を守るための万全の対応を取る責任がある。
 
 現地の対策本部は福島原発から65キロメートルも離れた福島市に避難してしまった。近隣住民は20キロエリアに張り付けたまま、対策本部は65キロも遠隔の地に逃げてしまったのだ。
 
 電力会社幹部が記者会見に出席するようになったが、現場からはるか離れた安全な東京の地で記者会見に臨んでいる。
 
 こうしたなかで、懸念されるのは、力の弱い、末端の労働者に不当に危険な作業が押し付けられ、この末端の労働者が悲惨な放射能災害に直面するリスクが高まることだ。
 
 現に、福島原子力発電所で、協力会社の作業員2名が放射線事故で病院に搬送された。被ばく量は170mSv程度であるという。
 
 原子力関連事業に従事する専門労働者の場合、年間被ばく量上限は50mSVと定められている。100mSvの被ばくで、健康被害が発生することが懸念されている。
 
 ところが、政府は、今回の事故に際して、緊急時の被ばく上限量を
100mSvから250mSvに
引き上げてしまった。
 
 このことについて、フランス・パリ大学のポール・ジョバン准教授(日本社会学)は24日付ルモンド紙のインタビューで、
「強い放射線にさらされながら事故現場に踏みとどまり、電源復旧などに取り組む作業員らに「死の危険」が迫っている」
と指摘した。
 
 また、厚生労働省が今回の事故対策に限り、被ばく線量の上限を250ミリシーベルトまで引き上げたことについて、
 
「この緊急措置は、作業員が死亡することになっても(東京電力が)補償請求を免れるための方便である可能性がある」
 
と指摘した。
 



政府と電力会社の判断の誤りによって引き起こされた今回の放射能災害は、明らかに人災である。わずか100年前の地震で今回を上回る津波が観測されているのである。少なくとも100年前の明治三陸地震の際の津波被害を念頭に入れた防災対策が構築されていなければならなかったが、この基本がおろそかにされていたために、今回の事故が発生した。
 
 政府と電力会社に責任がある事故について、責任のない末端の労働者の生命を犠牲にして対応策を講じることは許されない。
 
 どうしても作業が必要であるなら、電力会社幹部、政府幹部が率先して作業にあたるべきではないのか。電力会社幹部、政府幹部が、はるか離れた遠隔の安全な場所に身を置きながら、末端の作業員に、被ばく量上限を生命や健康に明らかに害のある水準にまで高めて作業を強制するのは、もはや「犯罪」の領域にはいる。「よど号」事件の際には、政務次官が自ら人質になることで事態を打開した。責任ある立場にある者には、わが身を賭す覚悟が求められる。
 
 菅直人氏などは、3月21日に、現場を視察すると言いながら、雨が降ると突然視察予定をキャンセルしてしまった。現場に混乱を与えないためなどの言い訳をしているが、単に被ばくを回避しただけである。
 
 現場で危険な作業に従事する労働者の被ばく量上限を250mSvにまで引き上げる正当な根拠はないのではないか。その被ばく量がまったく問題がないのなら、その決定を下した責任者である担当大臣および総理大臣、また電力会社幹部が、その被ばく量を実際に浴びて、安全性を強調するべきだ。
 
 カイワレ大根や牛肉を食べるだけがパフォーマンスではない。短時間に250mSvの被ばくを受けて、まったく心配ないとのパフォーマンスを演じてから、末端の労働者の被ばく上限変更を検討するべきなのだ。
 
 また、福島原発原子炉周辺で、500mSv/hという、とてつもない放射能濃度が観測されたことが報道されたが、十分な情報が提供されていない。
 
 この放射性濃度の下では、10時間いるだけで、半数の人間が死亡する。とてつもない高濃度の放射線量である。
 
 また、原子力安全・保安院が公式サイトで公表している「現地モニタリング情報」から、2号機北西0.5キロ地点の、事務本館北地点データが突然公表されなくなった。放射線濃度が高すぎて、あまりに危険で計測が不能になったのか。恒常的に2000μSv/h以上の放射線濃度を観測してきた地点であり、このデータがもっとも重要である。
 
 放水作業などの効果を判定するうえでも、このデータが根拠に用いられてきた。都合の悪いデータは隠蔽し、都合のよいデータだけを公表する歪んだ姿勢が、市民の不安心理を煽るのである。
 
 政府、電力会社、当局は、適正な情報開示を実行するべきである。
 
 何よりも重要なことは、現場で作業する労働者の生命と健康を万全の体制で守ることである。東京電力は下請け業者に危険な作業を押し付けるべきでない。また、被ばく量上限を直ちに、100mSv、できれば法基準に照らして50mSvに戻すべきである。



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震災生活支援・復旧補正予算編成に三大基本原則

2011-03-23 18:12:21 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

震災生活支援・復旧補正予算編成に三大基本原則
未曾有の天災が日本列島を襲い、広範な地域に甚大な被害がもたらされた。とりわけ津波の被害は甚大であり、東北太平洋側沿岸部を中心にすさまじい傷跡を残した。
 
 こうした地域で被災された方には、衷心よりお悔やみとお見舞いの気持ちを表させていただきたい。自然の力はすさまじいが、一瞬のうちに多くのものを失った被災者の心情は言葉では言い表せぬものであると思う。
 
 依然として多数の方が行方不明となっており、今後も捜索者の方には人命救助に全力をあげていただくことをお願い申し上げたい。
 
 多くの同胞が、家屋を失い、肉親、家族を失い、友人を失い、故郷の田園風景を失った。避難所の生活環境は極めて厳しく、必要な食糧、燃料、衣料、寝具、薬品などが、依然として十分には供給されていない。
 
 こうした不測の事態に、絶大な役割が期待されるのが政府である。政府は万全の体制で被災者の生活支援に取り組まねばならないが、残念ながらこれまでの対応は極めて遅かった。とりわけ、被災者の命と健康を守るための物資の供給体制を整備するのに、時間がかかりすぎた。そのために、せっかく避難をしたにもかかわらず、避難所で命を失う事例も多数発生してしまった。
 
 どのように必要な物資を、物資を必要としている場所に搬送し、提供するのかを考察するのが、ロジスティックスである。残念ながら、これまでの政府の対応は、このロジスティックス構築の能力を欠くものであった。
 
 政府は福島原子力発電所から半径20-30キロの地域を屋内退避地域に指定したが、そのために、エリア外からの物資搬送者が、30キロ地点から内部に立ち入らないとの行動を招いた。政府の指示を素直に読めば、こうした行動が誘発されるのは明らかであり、そのために、20-30キロエリアで屋内退避する住民の手元に物資が供給されなくなった。
 
 同時に、ガソリン等の、エリア外への移動に不可欠な物資も供給されなかったから、20-30キロエリアに避難した住民は、放射能の危険にさらされながら、陸の孤島状態での兵糧攻めに遭遇する状況に置かれたのである。
 
 震災発生から10日以上たって、ようやく事態は改善に向かって動き始めたが、災害発生時の政府対応に備えが不足していた面を否めない。



さて、これからの問題は、政府の財政対応である。これだけの巨大災害が発生したのだから、当然に、巨大な費用がかかることになる。政府はそのことを確実に認識しなければならない。
 
 菅政権は、2011年度本予算編成で、国会運営の壁に行き詰まっていた。本予算そのものは衆議院の優越で成立するものの、関連法案が参議院での与党少数により、成立の見通しが立っていない。菅政権は内閣総辞職か衆議院解散のいずれかを選択せざるを得ないところに追い込まれていた。
 
 さらに、追い打ちをかけたのは、菅直人氏が親しい関係を有していた外国人から政治献金を受けていた事実が判明したことである。何度も会食し、一緒に釣りにも出かけたことのある外国人籍の人物から政治献金を受け取っていた。罰金刑や禁固刑に処せられる可能性のある重大な法令違反を犯していたことが判明した。
 
 ところが、この局面で震災が発生したために、永田町では政治休戦が宣言され、菅政権は辛うじて延命できた。
 
 こうした事情で延命できたのであるから、菅政権は大震災に苦しむ国民の救済、支援に全精力を傾けなければならない。それが人の道である。
 
 具体的には、被災者の生命、健康、生活を支援するために、必要十分な財政支出を迅速に実行すること。また、生活関連、生産関連のインフラの復旧に全力をあげること。この二つの目的を達成するためには、かなりの規模の追加政府支出が必要になる。
 
 この点に関して、以下の三点が問題になる。
 
 第一は、財源をどのように調達するのかである。結論から言えば、国債の増発を行うか政府の埋蔵金を活用する以外に選択肢はない。
 
 他の政府支出を削減して財源にすることは、景気支持の視点から容認できない。使用済み燃料プールに水を注入するときに、その注入する水を、その燃料プールから引き抜いた水を使って注入するのでは効果がない。景気もこれと同じだ。
 
 他の政府支出を減らして災害復旧費に充てるのでは、景気に対するマイナス効果が極めて重大になる。
 
 また、この機に乗じて震災増税を実施しようとの悪だくみがあるが、言語道断の企てである。そのような企てを強行しようというのなら、その具体案決定の前に解散総選挙を実施する必要がある。
 
 第二は、このことと関連するが、すでに決定した予算の修正を行うべきでないことだ。子ども手当や高速道路無料化などの施策は、2009年8月の総選挙での民意を受けて決定されたものである。これらを廃止することは、民主党政権が実質的に自公政権に変質することを意味するのであり、そのようなグランドデザインの変更を民意の確認なく行うべきでない。どうしても、政策の根幹を変えようというのなら、解散総選挙が不可欠である。
 
 第三は、福島原発の放射能事故に付随するさまざまな被害に対して、政府と東京電力が完全な補償を行うことである。補正予算には、その内容を具体的に盛り込む必要がある。放射能事故は人災であり、被害を受けている多数の関係者に対して、政府と電力会社は全責任を負っている。
 
 菅政権が提出した2011年度本予算は史上最強の超デフレ予算である。補正予算編成を、国債増発を財源として編成しなければ、2011年に日本経済は確実に失速することになる。国民の関心が震災に集中している間に歪んだ政策が立案されないよう、最大の警戒が求められる。



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