江戸時代の食事は、初期が一日2食だったものが、中期以降は一日3食が一般的になったのですが、献立の内容は、一汁一菜で、おかずが乏しくビタミンB1不足によって「脚気」に罹る人が多く「江戸患い」とも言われていたようです。
おかずは一品だけでしたが、江戸だけではなく、山奥はともかく、地方でも行商人が旬の食材
を新鮮なうちに売りにくるので、現在の野菜や魚よりもおいしいものが食べられたのです。
仏教の影響で哺乳類は、あまり食べなかったのですが、魚はよく食べました。
海や川で取れて食べられるものなら、魚はもちろん、タコ、ナマコ、昆布、海苔などを片っ端から食べていました。
お陰で、それらの加工品の技術が発達して、現在に引き継がれています。
江戸でも江戸湾内が豊かな海のお陰で、今のように養殖しなくとも良かったのです。
一時期、日本の食生活は、欧米に比べ貧弱と言って、肉類を好んで食べるようになっり、野菜を食べない傾向にあったのですが、最近は、体のためには、肉類より野菜を多く取るようになってきました。
栄養学的には、昔の質素な食べ物のほうが体に良いのでしょうが、体力から考えると、バランスよく適量な質、量が必要なのでしょう。
食生活で切っても切りはずせないのが、塩です。
昔から「米塩の資」と言われ、米と塩を買うための資金で、それが生活全体の意味になるほど、江戸時代の人にとっては、米と塩は貴重品でした。
現在では、塩が不足して健康を損なうよりも、取り過ぎで病気になります。
現在の多くは、岩塩から取れる輸入品ですが、当時は塩田での製法のため、時間も費用もかかり、高価で貴重品なのです。
江戸時代は、幕府が地元の産業として、奨励してきました。
そのため、山間部はともかく、海に面した藩では、その製法や販路などでトラブルが絶えなかったようです。
余談ですが、あの忠臣蔵の刃傷の原因の一つが塩のトラブルだったとも言われています。