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大阪の地名と成り立ち ③ -難波宮③-

2009年11月22日 10時45分39秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

なぜ、難波と呼ぶようになったのか、諸説があります。

前回には、この語源を「日本書紀」の「神武東征伝説」にこの地を浪速と名づけ、それが訛って変化して「難波」になったという説を書きました。

「古事記」には、「浪速の渡」と記されているのが、起源とも言われています。

その他に、「魚の豊富な漁場である大阪湾を<魚庭(なにわ)>と表現したのがはじまり」という説もあります。
「魚」は昔、「いお」とも呼ばれ「副食物としての魚」という意味では、「魚(な)」であり、漁場を庭と考え「魚庭(なにわ)」となったと云うものです

こんな考えもあります、難波の「ナ」は古代朝鮮語で「太陽」を表しており、「ニハ」は朝鮮語で「口、門、出口」という意味なので、「難波」とは「日の出る場所」という意味になります。
奈良時代以前に日本の中心は、大阪であったという考えから出ています。
つまり、日本の歴史の始まりは「日下(くさか)」にあるというものなのです。
大阪市の東にある東大阪市に「日下」という地名があります。
「日下」をなぜ「くさか」と読むのかとの説の中に、その考えの起源があります。

ある民族研究家によれば、「ヒノモト」は「草香」にかかる枕詞だったのではないかということから、「ヒノモトの草香」という云い方をしていたと考えられています。

「日下」は、太陽が昇るまさに「下」の位置のあり、下は、「もと」とも読めるので「ひのもと」と読み、それが転じて「ひのもと=日本」となったというのです。

現在の大阪が「日の出る場所」であり、それが「難波」と呼ばれたとになります。