ほら おかあさんが ことしも また
てんぷら ぴりぴり あげだした
みんなが まってた シソの実の
てんぷら ぴりぴり あげだした
詩集『てんぷらぴりぴり』
石田道雄 享年百四歳
合掌
【超小型宇宙衛星時代】
大雨や大雪の防災に役立つ日米の降水観測衛星を搭載したH2Aロケット23号機が28日午前3時
37分、鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げられた。降水観測衛星は約16分後に高度約
四百キロの地球周回軌道に投入され、打ち上げは成功。降水観測衛星は「全球降水観測(GPM)
計画」の主衛星。日米欧などが運用中の衛星十数基の観測データと合わせ、地球全体の雨や
雪の状況が約3時間で分かる。データは半年後から世界に公開され、天気予報の精度向上をは
じめ台風や集中豪雨、干ばつなどの防災、気候変動の解明に貢献が期待される。
降水観測衛星は米航空宇宙局(NASA)が本体のほか、雨や雪から放射される電磁波を捉える「
マイクロ波放射計」を担当。宇宙航空研究開発機構(JAXA)と情報通信研究機構は、高・低
周波の電波を発射して雨や雪の粒からの反射を捉える「二周波降水レーダー」を開発した。
南北両極域を除く、地表の9割をカバー。観測が難しかった弱い雨や雪も把握でき、台風や集
中豪雨の立体構造も分かる。日本では太平洋沿岸を進む「南岸低気圧」で2回も記録的大雪と
なったばかりだが、このレーダーは雨と雪を判別できるため、予報がより正確になるという。
AXAの奥村直樹理事長は記者会見で「水循環のメカニズムの理解が格段に進むのではないか。
非常に大きな意義がある」と述べている。
全球降水観測計画(GPM 計画、Global Precipitation Measurement)とは、地球大気中の降水
を高頻度(3時間ごと)で観測する、NASA、JAXA ならびにその他国際機関による共同ミッショ
ン。当計画は NASA の Earth Systematic Missions (ESM) 計画の一部であり、ほぼすべての
地球上をカバーする予定である。プロジェクトオフィスは NASA ゴダード宇宙飛行センター
(GSFC)によって管理され、研究者による全地球気候データの研究を支援するため全地球規模の
「雨」の地図を提供する。また、熱帯降雨観測衛星(TRMM)の成果を引き継ぎ、新たに(1)観測
精度の向上、(2)観測領域の拡大、(3)観測頻度の増大、の3点が実現可能となるよう計画され
ている。
※関連企業新規技術群
・特開2014-006166 超撥水性面発光センサー 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構
・特開2012-233823 マイクロ波放射計用高温校正源の温度制御方法 三菱電機株式会社 他
・特開2011-240719 パネル型衛星及びこれを用いた衛星システム 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 他
・特開2009-133633 時系列の物理量データの間において、特定の現象に対応して変化する物理量のみを抽出
するために、当該特定 の現象の発生する範囲の大きさを決定する方法 独立行政法人 宇宙航空研究開発
機構
・特開2008-092845 熱帯低気圧の制御システム 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構
・特開2007-315976 微小液滴・気泡・粒子の位置・粒径・速度測定の方法と装置 独立行政法人 宇宙航空
研究開発機構 他
今回の超小型の宇宙天体及び地球観測あるいは監視衛星と打ち上げロケットの情報を知り2つ
の点で興味を惹いた。1つは急速に進む宇宙ビジネスの進展とそれを担うロケット及び搭載機
材のダウンサイジングとデフレーションの進展であり、それらは"デジタル革命渦論"での情報
通信技術とロケット及び観測・制御技術、あるいはマテリアル・イノベーションの進展ぶりで
あり、それを担う日米をはじめとする技術力の進展である。2つめは、今年12月打ち上げ予
定の「はやぶさ2」への相乗り小型副ペイロードでありその超小型化の進展と宇宙衛星づくり
が非常に身近なものとなってきていることだ(この項の書籍写真参照ワンクリック)。
小型の人工衛星として一辺が10cmの立方体であるキューブサット(CubeSat)が知られている。
このような小型の人工衛星に搭載するアンテナは設計に困難を伴う。例えば、145MHz帯のアン
テナをダイポールアンテナなどの線状アンテナで構成する場合、少なくとも半波長の約1メー
トルの長さが必要となる。すなわち、人工衛星本体の全長より長いアンテナを搭載する必要が
あるため、打ち上げ時のアンテナの収納や宇宙空間でのアンテナの展開などが困難である。ま
た、小型の人工衛星には姿勢制御装置やアンテナ指向制御装置を搭載できない。そのため、小
型の人工衛星にロッドアンテナなどの指向性の高いアンテナを搭載する場合には、複数本のロ
ッドアンテナを異なる方向に展開することにより、無指向性とすることが行われる。さらに、
複数の周波数帯の電波を送受信するためには、各周波数に対応した長さを有する複数のアンテ
ナを搭載する必要がある。このように、小型の人工衛星に複数のアンテナを搭載する場合には
その収納や展開がさらに困難となる。
図によると、フィルムアンテナ3と、太陽電池パネル4が設けられた一対のパドル部2、2と
を備え、一対のパドル部2、2は人工衛星本体1に対して互いに対称に揺動可能に設けられて
おり、フィルムアンテナ3は一対のパドル部2、2の間に架け渡されており、一対のパドル部
2、2を揺動して収納すると人工衛星本体1に巻回されて収納され、一対のパドル部2、2を
揺動して展開すると人工衛星本体1から離間して展開される。フィルムアンテナ3であるので、
自在に変形させることができ打ち上げ時の収納が容易である。収納状態を解除するだけで自ら
元の形状に戻るので宇宙空間での展開が容易にすることで、アンテナの収納や展開が容易な人
工衛星を提案している。そのように考えていくと、覇権大国主義の象徴のようなミサイル、ロ
ケットや宇宙衛星が急速に、ボーダレスに、シームレスに、ダウンサイジングし汎用化してい
ることは確かだ。
●年俸制、契約制に用心しろ
年俸制とか契約制という話は、アメリカー辺倒の経営者とか資本家とか企業家とか経営
コンサルタントの世界では、自明の承認済み常識のように話されているかもしれません。
また実際これからそうなるかもしれないけど、僕はまだ日本社会の一般的な了解事項では
ないと考えています。
だから、既成の事実として認めたくないな、と思っているのです。経営関係者の自分た
ちだけの合意事項であって、臓われているほうのサラリーマンも含めた合意はちっとも入
っていない。
雇われているほうは、雇うほうの言うとおりにせい、という意味にしかとれないですか
らね。それはちょっと認めがたいというか、保留なしに、そのまま、事実そうなったんだ
として語りたくないです。今、かりにサラリーマンや労働者だけの合意事項というのを想
定して言ってみましょうか。
第一に六十歳ないし六十五歳の定年制を早急に七十歳ないし七十五歳に延長することで
す。第二に老齢年金を現在の三倍ないし五倍に増額することです。さし当ってこの二つの
制度的な変革ができると、サラリーマンや労働者、つまり雇われる側の不安の半分は解消
されます。
定年延長は経営者、年金増額は政治の責任です。すべての人間が快適な条件で生活でき
るようになるのが人間の歴史の行くべき方向だとすれば、現在の日本の社会でこの二つの
制度的な変革をないがしろにしたり、これから後退したりすることは許されないことです。
このことは経営者、企業家であるものの前提条件で、これがない経営者や企業家は、は
じめから居ない方がいい失格者なんです。
その理由は、くどいほど繰り返していますが、超資本主義(消費資本主義)の本質は、
国民一般(サラリーマソなど労働者)の個人消費の増大が最大かつ第一義の課題であり、
政治、金融、産業経済はこれを基本点として考える段階に来たことを意味しているからで
す。それを自覚しない政府や政党は必ず存在理由を失う、そのときがさし追っています。
どうかこれを前提とした上で、年俸制や契約制の論議をやってください、と言っておき
ます。
もっと言いますと、労働基準法があって、この法律は、各条項で括ると、とてもよくでき
ている理想的な法律なんです。
年俸制だ契約制だと、そんなことを企業家が言っても、労働基準法の何条、何条という
のを盾にとって、労働基準法に違反していないか、というふうに照らし合わせていくと、
あたかも既成事実みたいに実施しているところは、違法行為だということになる可能性が
あると思いますね。僕はそういうことを会社でやっていたことがあるから、労働基準法は
よく知っているんですけど、その通りに実施できたら、これはすばらしい法律です。
企業家の利益にとって理想的かどうかわからないけど、一般的にサラリーマンとか労働
者とか、雇用されている人にとってはかなりいいもので、これを全部実行しなさいと言っ
たら、日本で成り立つ企業はないんじゃないかというぐらいによく出来ているものです。
それが改正、改悪されているという事実はいまだにないわけですから、既成事実として企
業や官庁や経営コンサルタントから出てくる一見モダンに見えて、実は保守的な考え方を
認めたくないと思います。
年俸制、契約制といった給与の体系は、保留しないといけない問題じゃないでしょうか。
これは経済的な問題だけじゃなくて、全般を論議している経済専門家、つまりエコノミス
トと経済学者とその周辺にいる人たちの発言を聞いていても、なんかすっ飛んじゃってる
ように見えますね。
情勢次第で経営者に都合がいい経済専門家が動員されて出てくる。どんな見解の専門家
がいてもいいはずですから文句を言う筋合はないのですが、日本というのは、一個の独立
した専門家として日ごろの研讃を述べられるという人物は存在しないし、しえないのです。
まあ、僕らもそうやってもいいんだけど、それをやっちゃうと、企業家とか資本家とか
銀行とか、あるいは政府とかがそういうふうに言ったことが、もう既成事実のようになっ
ちゃって、異論があれば、その内側で意見を言うことになってしまって、僕にはちょっと
馬鹿らしい。
だから労働基準法に照らしてみて、被雇用者全体の合意を得ているか、しかもそれは法
律化されているかということが前提にない限りは、そういう論議はしたくない、保留した
いなということですね。
●70歳定退職のすすめ
現在の定年は六十歳から六十五歳の会社が多いでしょうが、これに相当するのは一昔前
の四十五歳か五十歳くらいでしょう。実態的に言っても、もう一山越えなければ、年寄だ
という気がしないでしょう。
年俸制も契約制も結構ですが、身体の動きから言っても、生活費の問題から言っても今
の定年で孫の世話とか盆栽いじりとかで日を暮せといっても無理な話です。
また老齢年金の支給額は余りに少ない。平均でいって、老齢者が夫婦二人でそこそこに
生活でき、足腰が不自由になった場合、炊事や掃除の通いの人を雇うくらいはできる額が
あればいちおうは理想的です。
僕はあまりいい雇われ方をして来なかったので、僕の場合は隔月で二十四万円ちょっと
なんですね。月割にすれば十二万円ちょっと。これで食べて行けというのかということな
んです。足しにはなっても、これだけで食べて行くことはできません。ですからこれを、
じたばたしなければ、年金だけで食べて行けるように増額すべきだということです。
僕だったら、この二つがとても重要なことだと思います。つまり、雇用の延長、七十歳
から七十五歳まで定年を延ばせということと、年金の増額、少なくとも、誰でもぜいたく
をいわなければ、一応は食べられるように、物価にスライドした年金が月々払われるよう
にすることです。
これができたら、ご老人にはさまざまな家庭事情がありますから、万々歳ではないんで
すけど、人間はいつか死ぬんだぞ、みたいな俗な言い方を使えば、人間が死ぬということ
に対する少なくとも外堀は、これで埋められたということになるんですね。それは人類の
歴史の半分が完成されたことを意味します。
後は死をどう考えるか。怖いと考えるかどうか。病気で苦しんで死ぬ人もいるだろうし、
すうっと眠るように死んでいく人もいるだろうし、それは個々別々だし、病気によって違
いますから、個々のご老人の問題、家族の問題になります。
そこまで踏み入ることはできないでしょうから、老人が生活していけるだけ年金が支給
されることと、定年を延長すること。この二つができたらいちおう高齢社会の外堀は固め
られたと言っていいと思います。
能力があって独立して自分でやっていく人とか、ベソチャーで新しいことをやっていく
人とかを除いて、コツコツ働いて、ほかにこれといった趣味もなければ能力もないという
人の場合は、七十歳まで定年が延びるようにする。
つまり、どこを基準にするかといったら、才気のある人を基準にしてはいけないのであ
って、そうじゃない、普通の人を基準に考えると、定年を七十歳か七十末まで延ばすこと
が必要だと思います。
●「有識者」の話にのせられるな
定年延長と年金の充実。この二つができたら、高齢社会に向けて政治としてやることは
もう無いと言ってもいいぐらいです。これはどこの政党がやってもいいけれども、この二
つがとても肝要なことで、これができたら、政治はそれでたくさんだよ、というぐらい
万々歳だと思いますね。
だけど、年俸制とか契約制というと、何だか用語はかっこいいけれど、昔流に言えば要
は「臨時雇い」なんです。終身雇用ではないんですから。企業家なり政府なりがそうした
いのなら、国民投票かなんかで大方の賛成を得て労働基準法の改正をまずやってくれ、そ
でなければ、そういう論議は成り立たないぜ、と差し当たりは言いたいです。
こういうことは、以前なら、総評とか連合などの労働組合とか、社会党とか共産党が強
いときには、個々人の代わりに彼らが要求してくれたけれども、今は共産 党も社民党も
弱いからそんなことちゃんとやってくれない。対企業では個人は言いなりになってしまい
ます。
それも、承知の上で言いなりになるならいいけど、何も承認しないうちに向こうの言い
なりにさせられる。それで仕方ないと、最初から諦めている。今は全部そうですよね。進
歩的な識者の話を聞いていると、半年前まで何言ってたんだ、もう忘れたのかと言いたく
なってしまいますよ。
すべて既成の事実、今の現状はこうだと言うことが前提で、その前提の内側で論議して
いるんですね。その中で進歩的なことを言うか、保守的なことを言うかという差だけのこ
とで、僕らに言わせれば、そんなことは問題にならない。
考え方に普遍性というものがないんです。つまり、その前提たる労働基準法から変えて
くれ。変えることについて、サラリーマンや労働者の承認を得てくれ、そんなこと勝手に
やったらいけないんだぜってことなんですよ。
それを、いけないんだぜって言う労働組合、政党もなくなっちゃったというのが今の現
状です。だからといって、日本の雇用体系を年俸制、契約制にするなんていうことは、高
度消費社会における消費資本主義をこれ以外に理想の社会機構はないと、過半数のサラリ
ーマンがしかたがないや、と認めた場合はそういうこともあり得るけれども、そういうこ
とははっきり決めてくれ、と思うんですね。
多数決で決められたら、まあ、文句は言っても、それは通らないから仕方ないなってい
うことになるわけですけど、それもしないうちから、まるで既成事実のようなふりをされ
ては、たまりません。
高度な消費資本主義ということは、銀行家、企業体の首脳資本家がますます有利になる
社会のことではなく、国民一般の個人消費が増大し、第一義の社会になるということです。
勘違いしては困ります。
前提として通らないよ、ということをいちおう言わないと、どんどんそんなふうになっ
ていっちゃうような気がするんですね。だから、このことはまず言っておきます。
アメリカのシステムの模倣で、当然のようにやられはじめているけれども、それは違い
ますよ。法律から検討して、法改正をしてからにしてくれ、と言わないといけないと思い
ます。
「第4章 サラリーマンを蝕む危ない常識」PP.80-89
吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』
以上、要約すれば、高度な消費資本主義の社会は、単に英米経済主義(グローバリズム、新自
由主義、英米流金融資本主義)の政策を密輸して良い格好し罪なことをしてもらってはこまる、
自分の頭で考え、自分で行動するのが筋だと言っているにすぎない。わたしも職域の労働条件
は世界一だといって良い程の職場だったが、総労働と総資本との関係でいうと、自分でも頑張
ったつもりだったが、労働者派遣法の導入などで結果として負けたと総括している。それでも
折角、民主党政権が誕生したものの自滅し、安倍政権に移行し不況を脱出しつつあるものの、
古色蒼然の後戻りにあるが(兎に角、考え方が古くさい!)、吉本隆明の主張をさらに読み進
め「僕ならこうするぞ!」の考えをとりまとめていくことにする。