極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

身近になった立体スキャナとプリンタ

2014年03月04日 | 時事書評

 

 

 

株式会社オープンキューブという横浜市の企業が、卓上型3Dプリンターの上級機「SCOO
VO X9(
スクーボ エックスナイン)」を14日に発売する。最小の積層厚さ(ピッチ)
を0・05ミリメートルと、同社
従来機比の半分に高精細化。造形物の最大高さは240ミリ
メートルと同65ミリメートル拡張し、大きな造
形物を製作できるようにし、価格は消費税抜
きで21万円。製造業の設計・試作部門や教育機関を対象に販売予定。ところで、公式ホーム
ページをみると「SCOOVO C170は、当社のスタッフによって設計され、国内の製造工場で日本
人によって生産されています。ご購入後のお問い合わせに対するご回答やアフターサポートが
迅速かつ的確に行なえる理由もここにあります」と記載されているのですべて国産なのかと考
えてみたが、特許申請データの検索ではヒットしなかったので、企業技術のみで生産されてい
るようだとこの件は棚上げにする。



この会社は、植物由来のプラスチック粘土「フリプラ」も販売していて、下図のような造形物
をつくれる
。使い方は紙粘土(懐かしい!)のようだがプラスチックのため耐久性。耐食性に
優れ、お湯で
柔らかくし、水で固まる。一度固まってしまってもお湯に入れることで繰り返し
使うことができるという。立体プリンタとこのフリプラのコンビネーションで自由自在に造形
してくださいということなんだろうか?現物を見ていないので評価できないが、それにしても
20万円で立体印刷できるって凄いことじゃないかな。教育・趣味・娯楽・様々な試作開発の
モデリングとして使えそうだ。産業需要というより民間需要向け、つまりは、消費活動に貢献
するのではと思える。それでは、フリプラで試作したものを量産するための立体スキャナは?
ということで、またまた下調べすることに。




上図の日本バイナリー株式会社が販売する MakerBot社の3次元スキャナはCADソフトは経験
不要で、操作は簡単という。それでいて価格は16,9000円(税別)だという。個人で買いそろえ
ば 40万円以下でスキャナとプリンタ+αが揃うことになる。これでビジネスするには、パソ
コンそれもアニメータ用ソフトハードがは欲しいとなるとギリギリだが、これだとクリエイテ
ィブな商品がスモール・オフィスで量産できるだろう。フィギア販売だと腕に自信があれば1
ヶ月後には回転できる?だろう。

 

   スキャナー「Photon」だと約4万円


※ 関連特許(参考)

・特開2012-177954 三次元面フィギュア製作方法  株式会社ワンフェイス
・特開2012-096426 三次元造形装置用の設定データ作成装置、三次元造形装置用の設定データ
 作成方法及び三次元造形装置用の設定データ作成プログラム並びにコンピュータで読み取り
 可能な記録媒体  株式会社キーエンス


※ スリーディーシステムズ特許(参考)

・US8,418,622 Shaped charge jet disruptor 

・US8,377,073 Method of designing orthopedic implants using in vivo data 
・US8,324,100 Methods of forming conductive vias 
・US8,294,273 Methods for fabricating and filling conductive vias and conductive vi-
 as so formed 

・US8,236,418 Methods and systems for fabricating fire retardant materials 
・US8,114,579 Manufacturing data-storage media using light-curable material 
・US7,963,020 Apparatus and method for manufacturing foam parts 
・US7,521,296 Methods of fabricating a microlens including selectively curing flowa-
  ble, uncured optically trasmissive material

・US7,488,618 Microlenses including a plurality of mutually adhered layers of optic-
 
ally transmissive material and systems including the same 
・US7,442,643 Methods of forming conductive elements using organometallic layers and
  flowable, curable conductive materials 

・US7,235,431 Methods for packaging a plurality of semiconductor dice using a flowa-
 
ble dielectric material



このように立体スキャナが簡単に手に入る時代となったが、上図の内部構造につかわれている
医療用用白色LEDを光源にした産業需要向け立体スキャナ上位機種などは人物あるいは頭部
のスキャニングができ再犯防止用画像ファイル(人権保護上、要秘密扱い措置)やイベント向
けなどに使っえるだろう(要注意肖像権)。以前ブログ掲載した、靴のオーダーメイド販売が
可能となるので新たな商業プラットフォーム形成できるから実に面白い!

※ 立体スキャナを宅配→専用スキャニングポートでスキャニング→データをネット送信(メ
  モリにストレイジ→宅配返却注文→製作→出荷宅配。
  尚、スキャナは要コンパクト・軽量化。

  1999.09


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】


 
 ●原始社会は、贈与制で成り立っていた

  談合や賄賂などの腐敗は、つきものというか、もっと極端なことを言うと、ある意味で
 必要であると考えたほうがいいのかな、という気もします。
  つまり簡単に自分を棚上げして、法律を盾にとる検察や警察に出張ってもらうようなこ
 とには、したくないですね。
  日本だけでなく、アジアやアフリカは今も贈与制や貢納制の名残りをたくさん引きずっ
 ています。そんなに合理的にいかない難しさをよく見極めないと、建て前だけ清潔で底の
 ほうはどろどろした泥沼である、現在のような日本社会ができ上ってしまいます。
  腐敗という言葉を使わないとすれば、一種の贈与関係だと思いますね。これを悪く言え
 ば賄賂、賄賂は腐敗だ、ということになるわけです。
  だけど、腐敗であるかないかを抜きにしても、本質的に言うと、贈与経済というのは、
 未開社会から原始、それから古代に至るその中間にアジアにおいて成り立っていたのです。
 それは、贈与経済に近い経済関係が、腐敗でも何でもなくて、正規に成り立っていた社会
 だと見ればいいと思いますね。
  例えば未開の社会では、王様は、自分の支配している民衆に対してモノをタダでやった
 り、田畑の水利や、河川の工事などを無償でやったりする。それは何と交換されるかとい
 うと、いちばん極端な未開社会では、民衆の命が交換されちゃうわけですよ。
  つまり、王様が、民衆の生活から生きることから何から何まで、全部自分の財産とか持
 ちものにしてしまう。
  命までも所有されちゃうということは、例えば極端な場合には、奴隷みたいに人身売買
 で売られちゃったりしても、民衆は運命だと思って文句は言わない。それで未開社会は成
 り立っていました。
  未開社会から原始社会までそういうふうになっていて、それからもっと進んで、アジア
 の社会では貢納制になって、王様から何かしてもうらう代わりに、農作物や織物を献上し
 てきたわけです。
  これは、農民とか漁民とかが、それぞれ自分たちが収穫したものを王様の倉に納める。
 そのかわり、王様のほうは日本の場合だったら、大規模じゃないですけど、池を掘って潅
 漑用水にするとか、あるいは低い山の斜面に堰をつくって雨水がたまるようにして、それ
 を流して田圃や何かに引くとか、そういう農業に必要な工事みたいなものを、王様のほう
 がやった。
  王様の共同体が、直に自分たちの使える人たちを使って、そういうものや自然産業を農
 民のためにつくってやる。農民のほうはその代わり、土地の税金として、農産物のうち、
 お米何束とか、お芋いくつとかを納める。そういう制度が、アジア的な社会の貢納制です。
  近代社会ではどうなるかというと、ヨーロッパの資本主義が入ってきて、等価交換とい
 う原則の貨幣経済ができ、市場が開かれました
 ある価値物とある価値物が等価であるような物々交換をするとか、あるいは貨幣が万能

 あって、貨幣いくらと織物いくらとは等価であるからといって、貨幣でもって織物を買う
 とか、そういう形の経済です。
  それが近代経済で今も続いているわけで、重たいもんだから貨幣の代わりに紙の手形に
 するとか、カードで買うとか、今ならパソコンみたいなので取り引きするとか、そういう
 ふうに変わってますけど、いずれにせよ貨幣と同じですね。普遍的に何にでも使えるもの
 と、ある具体的なものとを等価、同じ価値で交換する形になっているわけです。

 ●賄賂を糾弾することの浅はかさ
 
  それで、これから後はどうなるかと考えると、もっと新しい次元の贈与制が成り立ちそ
 うに思えます。
  それは原始状態の再現のように見えるけど、そうじゃなくて、近代資本主義を超えた贈
 与制みたいなものがある広域と広域のあいだに成り立って、生産物や通貨の、地域、バラ
 ンスがとられるような気がします。
  現在すでに、貨幣の価値、モノの価値といった「価値」が実際の市場でのモノの「価格」
 とは、あまり関係がないということになりつつあります。
  これだけの価値があるものは、市場でもちゃんとそれに見合った値段で取引されるんだ、
 というのが資本主義の等価交換が正規に成り立っていたときの話ですけど、今のように高
 度の資本主義、消費過剰になった資本主義では、価値と無関係に価格が市場で人工的につ
 くられることが有りえます。
  例えば、いくつかの企業が談合して、価格をこう決めようじゃないかというふうに決め
 たら、価値とは関係なく、市場価格がある時間通用してしまう。これは交換価値に基くよ
 りも、人工価格に基く状態で、新しい贈与制だと言えば、言えると思います。
  現代は、まさにそういう段階に入ろうとしています。
  名義的な贈与制で明らかなように、この制度を等価交換と見なすためには、結果的に価
 値賦与できるものを探さなくてはならないわけです。
  でも市場では、価値あるものほど価格は大きく取り引きされる。それは原則じゃないか、
 ということなんですけど、原則を破って、談合によって価格を勝手に設定して通用させる
 ことができる、というふうに現在はなっている。これは、費資本主義になってからそう
 なったわけです
  例えば産油国が、石油をあんまり掘らないようにして、石油の価格を釣り上げようじゃ
 ないかと談合すれば、生産を一斉に落として、石油の需要供給から来るはずの価値と無関
 係に価格を釣り上げちゃうということができる。ある期間、例えば一年とか一年半なら可
 能なわけです。そうすると、先進国では大恐慌を来たすということが、つい二十年ほど前
 にあって、トイレットペーパーを買い溜めした人もいたくらいでした。そういうことは人
 為的に起こりうるようになってしまっています。
  つまり、今の社会は原則をしっかり守っているとは言えないわけです。そんな世の中で
 賄賂が腐敗だなんて、果たして言い切ることができるのか、僕には疑問です。  

 ●盆暮れの贈り物と不正融資、線引きをどこでするか

  たいていの経済行為の中で、談合さえできちゃえば、公然と価格の大小は価値と関わり
 なく成り立たせることができます。日本みたいに、まだ未開の原始の時代の贈与制や貢納
 制の遺制が残されているアジア的な国家では、盆暮れには品物を贈答しあうことが、美徳
 として通用しています。
  あるいは、便宜を図ってもらいたかったら菓子折を持って行く。そういうことは、日本
 あるいは、アジア的な社会では、まだ収賄と贈賄と区別する境界がすこぶるあいまいです。
 これはきちんと考慮に入れなければならないはずです。
  自分自身の風俗習慣を棚上げして、法規だけで摘発しようとすると間違うかも知れませ
 ん。だから、アメリカやヨーロッパが日本に要求する経済的整理でも、そこが難しく感じ
 られます。
  何ではっきりしないんだ、合理的にやらないんだ、とアメリカや欧州の経済観念ではそ
 うなるし、日本の観念で行くと、いやあ、そういうことはなかなかできなくて、グズグズ
 やるよりしょうがない、という限界にもなっているわけです
  そこは日本の金融機関、企業体、政治家の隠れ簑になりやすいし、追及する方の過剰
 心情ずくめの倫理感にもなります。
  ここには本当に解明しなくてはいけない問題がありそうな気がします。

 ●接待なんかほとんど無罪だ

  日本で今、収賄、贈賄とか不正融資で背任に問われ、金融、企業の首脳が検挙されてい
 ますね。
  あれは、脅しだけだと思います。
  つまり、精神的にショックを与えるというだけで、裁判やったらほとんど全部無罪だと  
 思い
いますね。裁判で、ああだこうだとやってるうちに、一年もたつと無罪になっている
 と思います。
  あれで実刑をくらうということは、見せしめのためとかいうんじゃなきや、滅多にない
 と思います。検挙したり、起訴はするでしょうけど、裁判では、結果として有罪には、よ
 っぽどヘマしなきや、ならないでしょう。贈賄のほうも一定額以上の不正な融資とか、贈
 収賄とか背任にたいして、個人個人を刑事上の犯罪行為に結びつけて処罰するよりも、民
 事上の膨大罰金刑を、機構上関係のある者すべてに課する他に術がありません。盆暮れの
 贈答に類するものと、贈収賄に類するものとを、精神上も金額上も区別できていない社会
 習慣の中で、個人を犯罪者に仕立てるなど無意味です。
  アジア的、あるいはプレ・アジア的な遺制に由来する違反行為に対しては、何が等価な
 罰に該当するかを見極めた方がいいのです。またそうすべきだとも思います。

 ●日本社会から贈収賄はなくならない

  これは日本より中国の方が本場でしょうが、贈与制や貢納制が遺制としてたくさん風習
 の中に残っている社会では、収賄、贈賄を風俗習慣と区別することが難しい。
 ロシアもまたマルクス流にいえば半アジア的ですから同様です。
  さしあたり、金額で境界線を引くか、頻度で境界を設けて、一定回数以上を処罰の対象
 にするか、または社会の風俗習慣と明白な精神上の違法行為の意識とを区別するために、
 個々人ではなく機構上の犯罪を摘出する方法を見つけるか。
  はたまた早急に欧米法に切り換えるか、その遂に一人の違反は機構全体に及ぶものとす
 るか、どうやってもさし当たり矛盾は起こるでしょう。

 ●問題は、不透明さのなくし方だ

  つまるところ「腐敗」儀礼的な贈答とか接待の域を越えた不正や不祥事が、日本の社会
 でなくなる日は来るのか。そのためにはどうしたらいいのか。
  それは上から下に向って「開く」ことだと思います。
  政治の世界で言えば政府がこういう政策をやるつもりだということを、国会でだけでは
 なく、国民一般に直接公開して民衆的な了解を得るようにする。例えば、これこれの派閥
 のこういう人物に大蔵大臣をやらせるとした場合、政府がその人物の力量や人柄や性格を
  国民に知らせるようにするわけです。
  今も昔も、日本政府も国会議員も選挙で選ばれたのを理由に、人事から政策まで何でも
 国民に内密に運んでしまう。少しも「開かれ」ていません
  医療の世界をとってみても同じです。病院の理事会は医者に知らせずに、勝手に値上げ
 などを決めてしまう。医者は自分の治療方針を看護婦さんに知らせずに、ただ命令し、こ
 き使うだけ。看護婦さんは義務的に動きまわり、患者の状態も立場も生活習慣の違いも考
 慮しない画一的な振舞いしかしない。つまり「開かれ」ていないのです。
  教育も同じです。学生はどんな学校のどんな先生に教わってもいい。単位が合えば卒業
 できるようにすればいいのに、セクトを作って威張り合っているだけです。保守も進歩も
 全部「開かれ」ていない。
  こんな社会の密閉性はぜひとも壊さなければ、誰が何をどうやっても同じです
  これができたら、収賄、贈賄みたいなことを強いてやらなくてもいいようになるんじゃ
 ないですか。それ以外には、ちょっとやめようがない、という気がするんです。すぐにそ
 うならないでしょうが、自分だけは「開かれた」振舞い方をできるだけしようと思います。

 ●ふぬけた日本人が経済を滅ぼす

  現在、深刻な不況とサラリーマンや労働者の深刻な「リストラ」失業に直面して気がつ
 いたり、判ったりしたことが大きく言うと二つあります。
 一つは日本のマルクス主義者や進歩主義者のあいだに、国民一般(民衆)が衣食住のぜ
 いたくを覚えたことが、日本の経済破壊の原因になったと思っている連中がたくさんいる
 ことです。空怖ろしいことです。
  民衆が着たいものを着たり、食べたい物を食べたり、進んだり休んだり自由にでぎるよ
 うになることは、歴史の主要な目的なんです。
  けれどこの連中は、清貧の思想を教えたり、ぜいたくは敵だと言いふらして、いいこと
 を説いているつもりになっています。
  僕は間違ってもこんな連中に権力を与えてはいけないと思いますね。スターリン、強い
 て言えばレーニン以後のロシア・マルクス主義と同じことをするに決まってい
ます。
  もう一つは、逆に、金融機関や大企業体の首脳たちがヽ途方もない膨大な資金を貸借し
 て収拾がつかない破目に陥っていることでした。
  中小企業や一般国民には、ローソの返済から取立てまで厳しく規定し実行させながら、
 自らは一般の人たちの考えも及ばないような膨大な資金を流出して、回収が不可能な時期
 に突入してしまったという事実が、明らさまになりました。
  彼らは実感では、自分の隣りには、ただのどうにもならない無能な性格破産的な愚か者
 しかいないことに愕然としながら、かといって「俺やめた」とも言えずに、建前上、未来
 も何もないこんな集団を赦してしまうのです。資本主義以下のことしかできない輩は、み
 んな駄目です。
  政府は不況対策として不良債権をかかえた金融機関にも公共資金(税金)で援助し、国
 民一般には「リストラ」を喰わせて、不況から脱しようなどとしています。こんなひどい
 話はありません
  これで易々諾々としているのは日本人だけです。
  不況を脱する方途は、誰がどう考えても不良な金融機関の改廃を含めた、これらの機関
 の改正統合を断行すること、第二次産業(建設業・製造業・工業)を主体としないこと、
 それからいちばん大切なのは国民一般の個人消費を増大させること、です。
  だけど政府を先頭に報道機関、経済専門家、世論を形成する知識人、仕方なしに内心で
 首を傾げながらも、それらを常識なのかも知れないと思い込もうとしている一般の国民の
 大部分まで、声を揃えてやろうとしていることはまったく逆の順序です。
  まず不良金融機関や企業体の首脳に公共資金を投入して援助しようとしつつ、下級サラ
 リーマソや中小企業や労働者を「リストラ」し、建設業や製造業など第二次産業を支援し、
 最後にその効果が国民一般の個人消費を増大することを願望する政策を取っている。
  個人消費が増大する効果がなくても、金融、産業、その首脳が安泰であればいいという、
 こんな間抜けな時代おくれが通用するのは日本国だけです。

 ●「市民主義者の追及」のデメリット

  以前に田原総一郎が田中角栄にインタビューした記事が雑誌に出たことがあります。そ
 れを読んでいたら、田原総一郎は、お前は収賄贈賄などを含む金権政治で派閥の親
分とい
 う地位を保ってるんじゃないのか、と追及したいらしいのです。

  戦後市民主義者の、馬鹿さ加減がよく出ていると思って読んでいました
  田中角栄は何と答えていたかというと、俺の存在理由はそういうことじゃないんだ。自
 分は、例えば大蔵省の頭のいい役人がいろいろ企画して、財政についての法律をこういう  
 ふうにしようと思う、こういう法律をつくってこう規制したらどういう効果があるだろう
 か、と聞きに来たとする。すると、向こうは経済の専門家で頭のいい人たちだけど、俺は
 即座に、それはこうだ、こういう効果がこういうふうになるはずだから、これはやらない
 ほうがいいとか、これはこういう好影響があるはずだからやったほうがいいとか、即座に
 答えられる。
  つまり、専門家ではないけど、自分はそういうことは長年の経験でわかるからすぐに答
 えられる。つまり、私が多少の重きを置かれているところがあるとしたら、そういうとこ
 ろなんだと言っていました。
  頭のいい人で、緻密な計画を立てる、そんなのはいくらでもいるんだ、と言うんですね。
 だけど、それを実施したらどういうことになるのかということについて、明瞭に、こうな
 るということを即座に言える人はいないから、それがやっぱり自分が重んじられてる理由
 だ、と答えてるんですよ。田原総一郎なんて、もうお話にならない。聞いてると、格も見
 識も段違いなんです。
  そういうことは田中角栄なんかよく知ってて、能力のある人です。
  何で五億円ぐらいで文句言うんだ、ということを大っぴらに言うのは、ものすごく抵抗
 が多いわけですけど、利口ぶった愚か者の餌食にするには惜しい政治家でした。つまり、
 贈賄収賄という意味じゃなくて、なぜこういう金が仲介に挾まるかということについての
 特性は、日本だけじゃなくて東洋の特性なんです。それについて、ちゃんとした理屈がで
 きたらいいと思いますね。
  僕らのようなただの物書きが言えるのは唯一、「開かれた」社会にしちゃえばいいんだ
 よということだけしかない。あとは、発言すれば言ってみるだけということになって、為
 政者を図に乗らせるだけです。
  話を拡げてしまいましたが、原点に戻れば不況にどう対応したらいいかということです
 よね。三月(一九九九年)の総務庁の発表では、大学卒の未就職者は三〇万人、失業率は
 たちまちちのように四・六%から四・八%にハネ上って先進国で最悪です。三十代、四十
 代の働き盛りだけとれば、五・〇%まで増大しています。
  こんなときに日本の首相(小淵)はアメリカで演説して、失業率が最悪になったのは改
 革努力の結果のやむをえない犠牲だから、改革には付きものだなどと平気で言いふらして
 います。凡人の顔をした悪党ですね
  冗談ではない。自分の無能、国民一般の痛みを無視した最悪の愚図が何を言うか、と言  
 いたいですね。
  僕は太平洋戦争の敗戦のとき、国家も政府も不在になって、国民の一人一人がただ自分
 たちだけで食糧を得て、生き継ぐという体験をしましたから、別に政府首脳や公認政党な
 ど信じられないし、それでも生きなくては、という思いをしてきました
  現在の「不況」や「リストラ」の嵐も、当てにならない為政者など不在と同様であって
 も、生き抜いてみせるというところまで覚悟を定めれば、必ずやっていけると思います
 「リストラ」されて「自害」したサラリーマンや、倒産した中小企業や、不良融資の責任
 を問われた金融機関の副社長で自殺した人いましたね。もう少し覚悟を下の方におくべき
 だったとおもいます。でも、それなりに彼は良心の痛みを知っている人です。
  僕らはこうしたらいいという方策を知っていても、それを行うべきどんな立場も地位も
 ありません。ただ政府政党、識者などみんな逃げていなくなっても、なお生きなければな
 らないんだよ、また生きられるんだよ、という体験だけはあります。だからその覚悟のほ
 どを話しても嘘にならないと思いますから、ここで述べたわけです。


          「第6章 不正、腐敗って、ひとくくりに言えないぜPP.113-128

                             吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』


田中角栄の金権政治負の部分についての実体をわたしなりの体験として指摘することはいくら
でもできるが、ここでは吉本の「資本主義社会を踏まえた人工価格に基く状態で、新しい贈与
」という発想について注目した。また、ビット・コイン問題で話題となって言いる仮想通貨
に対するアプローチについてもたぶんわたし(たち)と同様な見識を披露していたに違いない
と改めて彼の偉大さを再認識することになった。

                                   この項つづく

 

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