極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ベットで煙草を吸わないで

2014年03月03日 | 時事書評

 

 

 

 【波に乗った太陽電池】


昨夜につづいて(『爆問に誘われ菌神社』)、今夜は上図の図書に触発され太陽光発電技術と
その市場動向を考えてみる。まず世界の総エネルギー見通しは、新興国・発展途上国で増大に
より2015年には573、2035年には770(単位:quadrillion Btu = 1.05505585 × 1018 joules)
と予測されている。また、世界の年間発電量は、
2050年で50(PWh)と予測され、これを再生可
能エネルギー導入で
二酸化炭素排出量半減させ、42(PWh)にもっていこうと計画している(国
際エネルギー機関:IEA)。


図 再生可能エネルギー見積もり

※ 実際に人類が地上で収集可能な太陽エネルギー: (2007年) 約1×1015W = 1000TW (世界
のエネルギー需要量の数10倍)、因みに、2007年の消費エネルギー 約16TW(テラワット)

図 太陽光発電モジュールの価格の変化
  半世紀にわたって1つの経験曲線上に乗っている。
  出典:Solar Photovoltaics: Competing in the Energy Sector, EPIA

当初、変換効率が10数%そこそこだったのが、変換効率20数%時代に突入している。それにと
もない発電コストも大きく逓減してきており、ドイツでは平均導入コストが日本の約1/3(約
22万円/kW)まで安くなっている。また、下図のように、モジュール(パネル)の製造費は、
発電コストの2割程度に過ぎない。さらに、パネル以外のコスト逓減が加速、現時点で既にド
イツでは日本の1/3ぐらいの値段で設備が導入できている。パワコンは従来のシリコンに代わ
り、SiCやGaNを用いたパワーデバイスの実用化が既に始まっている。これらが普及するとパワ
コンの体積が1/10ぐらいになり、価格も数分の1になると見込まれている。これから積極的な
再生可能エネルギーへの転換は必至。わけても、デジタル技術革命渦論のコア的デジタルデバ
イスである太陽電池(および蓄電池)の市場はと雇用規模は逓増していくことも約束されてい
る。波に乗ったにっぽんの太陽電池と言える昨今の状況にあるといえるのではないだろうか。





●最新色素増感型太陽電池技術:光吸収特性の改良(参考)

従来、色素増感型太陽電池としては、TiO2上に吸着した有機色素の光吸収特性にしたがっ
て、太陽
光を吸収し、光電流が得られるものが提案されているが、変換効率をより向上のため
に、太陽光に
対し長波長側の分光感度特性が不十分であり、(1)長波長側の光吸収特性をよ
り拡張した有機色素
を用いる方法や(2)電子受容部位を有する有機色素とCu(銅)を含む
Cu系材料とを含有した複合体を備
えた方法が提案されているが、(1)の光吸収特性改良の
有機色素の実現は困難であり、(2)についてはさらなる改良を必要としていた。このため豊
田中央研究所らの「特開2014-032847 複合体、光電極、色素増感型太陽電池及び色素増感型太
陽電池モジュール」では、下図のように、色素増感型太陽電池40は、透明導電膜12と透明
基板11とを有する透明導電性基板14とこれに隣接して設けられている多孔質半導体層24
と、これに形成されている複合体28と、を備えた光電極40を構成。この複合体28は、S
(硫黄)とN(窒素)のうち少なくとも一方を含む電子受容部位を有する有機色素分子と、第
1族元素及び第2族元素のうち1以上を含むアルカリ系材料と、1以上の遷移金属を含む遷移
金属材料と、を含有している。この遷移金属材料は、Cuを含む半導体及びCuを含む導電体
のうち少なくとも一方を含むCu系材料と、Cu以外の遷移金属を含む非Cu系材料と、を含
んでいることことで、有機色素の光吸収特性をより向上する太陽電池モジュールが提案されて
いる。

 

【符号の説明】

10 色素増感型太陽電池モジュール、11 透明基板、12 透明導電膜、13 受光面、
14 透明導電性基板、15 受光面、16,17 集電電極、18 溝、20 光電極、21 接続部 
22 下地層、23 受光面、24 多孔質半導体層、25 裏面、26 正孔輸送層、27 裏面、28
複合体、29 セパレータ、30 対極、32 シール材、34 保護部材、40 色素増感型太陽電池。

 

  1999.09


【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】



 ●公務員が怠け者な理由

  今みたいに、廃止した方がいいような金融機関に、税金である公共資金を何十兆円も投
 入してしまい、政府が赤字で首が回らなくなって、ついに次の内閣に持ち越すこともでき
 なくなり、そこで責任をとらなきやならない、みたいなことになったら、官庁を少人数に
 する以外にないですね。
  そうなったら公務員のリストラもありえますし、事実そうしたことははじまってますよ
 ね。そうは言っても、民間に比べたら、はるかに後から生じてくるし、特定のところであ
 っても、官庁全般の雇用は国家が存続するかぎり大丈夫だということが建前ですから、よ
 ほどのことがなければそうはならない。これは年金生活者や金利生活者と同じ、またはそ
 れ以上の安全度といえるでしょう。お役所は民間に比べたらはるかにいいんじゃないです
 か。だから、若い人が就職したがるという一因はそこにあると思いますね。
  公務員の場合は、仕事を一生懸命にやって、同期の人間と比べて頭ひとつ上に出ちゃっ
 たら、官庁だったらむちゃくちゃ叩かれてしまうから、それもやらないで、全力で働かな
 い、頭を出さない、先走らない、体を丈夫にするように、とそうしてるのがいいんですよ。
  公務員の場合は、上のポストに行っても、民間企業の優秀な、望ましい経営者というの
 とは、ちょっと違うと思います。民間の経営者はそれなりの手腕とそれなりの能力を全開
 していかないとうまく抜け出られないんでしょうけど、官庁の場合は最初からある程度位
 階制が決まっていて、年数で上がっていくようになっている。そういかないときもあるで
 しょうけど、民間よりはっきりしていますから、公務員にはそういう意味合いでのゆとり、
 余裕はあるんじゃないですか。
 今、若い人が公務員になりたがるのは、「不況」に対して強いからでしょう。「不況」で
 ないときは、僕みたいななまけ者が、仕事が楽で、創意工夫などなくても年功でそこそこ
 に昇給し、波乱も少なく、勤務が楽だというイメージを持つから、公務員になりたがるの
 だと思います。
  もちろん法学部の秀才は、官僚として次官や大臣になる直線策として官庁に勤めるのか
 も知れません。その世界は、学者の世界と同じで、はかり知れぬところがあるのでしょう。
 しかし、僕には関心がない。それは僕みたいななまけ者には縁遠いです。  

 
 ●お役所は理想の職場か

  その一方で官庁や学校は秀才たちが思う存分勉強できる環境でもあります。
  自然に生えている木の実をとって食べたり、自然の動物や魚をとって食べていた未開の
 時代には「労働」(働くこと)という概念はなかったと思います。遊ぶこと、儀式をする
 こと、食べることの区別もいらない社会です。たぶん土地を耕やして農作物をつくったり、
 果実の茂る樹木を集めて植えたりしはじめてから「労働」という機会がはっきりしてきた
 に違いない。それまでは遊び、休息、空腹を満たすことと「労働」とは区別されなかった
 でしょう。また次に頭を働かせて工夫するものと、手足を動かして作業するものとが分担
 されたとき「精神労働」と「肉体労働」とが区別されたでしょう。
  そうだとすれば理想の仕事環境は、この二つの段階を気持よく満たすところにあるに違
 いありません。
  「精神労働」と「肉体労働」とをいつ切り替えても快適な環境、そして食べることと遊
 ぶことが環境のなかで揃っていること。明るい便利な、精神的な仕事にも身体を動かす仕
 事にも、簡単に切替えができる職場ということになります。
  官庁や学校は、その意味でかなり恵まれた職場ということになりそうです。


 ●サラリーマンの幸せが日本を救う

  企業としても利益を生みつつ、それが社員にも還元されて、しかも、快適で苦労のない
 労働の場を確保できる理想の企業体というのはできるものでしょうか。
  簡単なことと言えば簡単なことだとも思います。例えば具体的に、雇用問題、経済問題、
 人事問題なんかもそうです。それを考える場合に、何を基準にするかということです。
  資本制度が始まった十八世紀の中頃をとってくれば、企業家が自分の企業の利益を増大
 させるために労働者を便いつぶして、結核のような病気になろうとどうなろうと、企業が
 大きくなりさえすればいいと考えてやってきた。そうすることで、資本主義が大きくなっ
 て隆盛に向かっていきました。
  だけど、労働者のほうは職業病、当時は肺結核ですけど、それが蔓延した。それでマル
 クスみたいな初期の社会主義者が、これはいかん、これはおかしい、と言うようになって、
 資本制度は根本的に検討しないといけない、みたいになっていった。労働はモノを生み出
 す源泉なんだということが理論として出てきて、そこのところで労働者の福祉とか保険と
 いう問題が提出されてきました。
  マックス・ウェーバーが言うように資本主義は、プロテスタントの倫理観までなら受
 入れることができます

  現在はどうかというと-現在の日本のような先進的な、発達した資本主義、あるいは
 消費資本主義の段階になったら、何を基準にして考えたらいいか。企業でも国家でも政治
 の諸々でもそうですけど、企業だったらサラリーマソ層を基準にしてどういう形がいいの
 かということを考えるべきなんです。国家だったら国民一般の利益、福祉を第一に考え、
 政治はそこに向かってゆく方向を明示するということで、それがいちばんうまくいってい
 るところが理想的だということになります。
  企業家に都合がいいようにと考える時代は、先進的な資本主義国ではもう終ったと僕に
 は思えます。
  日本とか、アメリカとか、ドイツ、フランス、イギリスといった国々では、国家でいえ
 ば、一般的な国民の利益はどうあるのがいいのか、不況を脱するというのはどういうこと
 なんだといったら、その人たちの暮らしが今よりもよくなって、消費もしやすくなったら、
 それがいちばんいいんです。それには企業家はどうしたらいいのかとか、金融機関はどう
 したらいいのかというのは、その問題から出てくる副次的なことだという考え方が、僕は
 本当だと思います。
  企業だったら、一般のサラリーマン、働いている人がどうやったらよくなるかというこ
 とを基準にして企業を考える。銀行、大蔵省は、同じようにどういうのが国民にとってい
 ちばんいい金融制度なのかという視点で、金融問題を考える。そういうふうな考え方をす
 れば、いちばんいい、現在の理想の状態だと思います。
  何を基準にするかということは、それぞれの時代で違いますけど、今の時代の日本国だ
 ったら、歴然とそうだと思うんですね。アメリカという国はそういうことがとてもよくわ
 かっているように僕には思えますね。だから、企業家の責任を厳しく追及するところがあ
 るわけです。
  だからこそ、アメリカが日本に要求しているのは、不良債権を抱えた下手な銀行の首脳 
 部を「リストラ」しちゃえってことなんですよ。なにも一般の銀行員を「リストラ」しろ
 なんて言ってないんですよ。連中の言動をよくよく読めば、それがわかります。無能な銀
 行はつぶして、有能な銀行だけ残せ。それから、企業家、あるいは銀行家でも、つまらな
 いことをやってきた首脳部を「リストラ」しろ、と言っているわけです。歴然とそういう
 ふうに言っています。
  アメリカっていうのは、割合そういうのがわかっているんですね。だから、金融制度も、
 社会制度も、企業制度も、日本なんかよりもゆとりがある、余裕を持っているわけです。
 日本に対しても、とても婉曲な言い方をしているけれども、本当はそういうことを要求し
 ていますね。


 ●ビッグバンが「第三の開国」なんて冗談じやない

  日本の企業家も、金融機関も、政府も、まだ古典時代そのままで、企業、金融機関、政
 府があるからこそ、雇われている国民の生活は成り立っているんだ、みたいに思っていま
 す。つまりまだ資本主義の隆盛期の意識なんです。それは大間違いで、すでにそういう段
 階は、日本のような先進的な社会では終ってしまっているんです。
  いまの段階は一般国民がどういうふうになるのが最もいいのかということを基準に、あ
 らゆる問題を考えないと駄目だという段階になっていて、アメリカは日本にそういうこと
 を要求しているのですが、日本の企業家も、経済の専門家、エコノミストや、経済学者た
 ちも、日本は第三の開国に当たっているとか言っている。冗談じゃないぞと僕らは思うわ
 けです。アメリカはそんなこと言ってないですよ。
  アメリカは、日本に対して第二の敗戦だよと言っているんです。
  だから、お前ら自力で不況を脱し、金融機関の整理ができないのならば、自分たちは資
 金の援助もするけど、人を派遣して日本の経済を立て直すと言っているのは、つまり、経
 済的に占領するぞ、と言っているわけですよ。専門家を連れてきて、金も出すかわりに、
 こうせい、ああせいと首脳部を動かしてそういうふうに要求するぞ、ということを言って
 るんです。
  だから、日本が失敗すればアメリカ自らが出張ってくる位のことはありうる。彼らには
 そういうことがわかってない。それだけの徹底した情勢判断をもつ見識がない連中が言う
 第三の開国だなんて、噴飯ものです。


 ●アメリカは、日本庶民の味方

  先にも言ったように近代日本で起きた基本的な改革は、2つありました。
  1つは明治維新です。明治維新というのは、今で言うと「リストラ」されちゃった人、
 つまり失業している浪人とか下級武士、それから飢饉にさらされた農民とか都市の庶民の
 「ええじゃないか」みたいなデモが、食えないから暴動を起こすとか騒いで、それがもと
 になって起こったわけです。
  そして、どこが維新の締めくくりなんだって言ったら、明治六年に地租改正があって、
 農地の税金を物納制からお金で納めていいってことにした。それで農業市場を初めてつく
 って、日本の農業をアジア的な貢納制から近代資本主義化したわけです。
  それが地租改正です。これは誰がやったかというと、日本の初期の農業経済学者、柳田
 国男とか、そういう人の先生筋に当たる松崎謙之介などが下働きで、明治政府がヨーロッ
 パから顧問として呼んだ農業経済の専門家であるマイエットのような人たちが、実質指導
 したんです。
  そしてもう1つの改革が、戦後の農地改革です。大地主の土地を取り上げて小作人に分
 け与えた。アメリカの占領軍が主導でやったんです。日本の政党なんか自民から共産まで、
 そんなことしたらたちまち袋叩きになっちゃうと思うから、絶対にやらない。今度も日本
 が失敗したら、必ずそういうふうになってきます。
  でも、アメリカの言ったり、やったりしたことは、日本の一般国民にとっては悪くない
 んですよ。それは前からそうなんです。自民から共産まで、日本の政党が、困るなと思っ
 ているだけでね。
 戦後の占領軍軍政局による農地改革の下地は、五・一五事件や二・二六事件を経て太平洋
 戦争の敗戦に至る青年軍人の貧民救済と、氏族主義をスローガンとする日本人による後進
 地域特有(マルクス)の運動にあったとする見解は、当然起こりえます。でも僕には、軍
 人たちやそのイデオローグたち(北一輝のような)に近代主義的な農業改革の理念があっ
 たとは思えないのです。アジア的専制の共同主義や貢納制に逆転する傾向のほうが大きか
 ったと思います。
  ここで経済の立て直しに失敗して、世界の市場の三分の一を占める日本が駄目になりそ
 うとなったら、アメリカは必ず援助に乗り出してきます。金だけじゃなくて、人も送って
 くるでしょう。戦後、ドッジラインとかシャウプ勧告とかで日本の経済を立て直したのと
 同じようなことをやるでしょう。今のままではうまくいかないでしょうからね。 
  つまり、僕が繰り返し言いたいことは、日本のあらゆる近代的な改革のいちばんの根本
 のところは、日本の政府、政党がやったんじゃないってことです。今回ももしかしたら、
 そういうことになるんですよ。
 「第三の開国論」の佐和隆光なんか、京大なんかクビになってもいいって覚悟で、本当の
 ことを言えばいいんですよ。企業のシンクタンク、三菱総研とか野村総研とかいうところ
 にも罪がありますね。彼らは現在、まさに生涯のうちで最大の出番なのに、ここで、経済
 の超近代的な救民の課題について何も提起できなかったら、一生何もできませんょ。
 企業の利益を優先するから、本当のことは何も言わないでやっているうちに、グズグズす
 るなって、アメリカが出て来たら、日本の金融主導権はそこでおしまいです。おしまいと
 いうか、敗戦と同じです。
  でも、国民はそのほうがいいやってことでもあるんですよ。ただ、影響は受けますから、
 自分も「リストラ」にさらされることは間違いないことだから、それだけは何かうまいこ
 とを考えたりして個々に生活を防衛しないといけない。それ以外に方法はないんですね。
 自術策さえ何とかできたら、アメリカに出張ってきてもらったほうがいいって言ったほう
 がいいくらいです。
  アメリカはピシッとした、道理に合ったまともなことを言ってますよ。現在要求されて
 いる金融、産業、その他の改革は、ロシア・マルクス主義の誤謬から抜けきらない政党や
 知識人や、ロシア・マルクス主義のシンパから抜けきらない戦後市民主義者は、社会主義
 への移行のように錯覚しているのでしょうが、そうではないんです。超(消費)資本主義
 に即応する金融産業構造への、改廃を含む転換です。この連中の寝ぼけ加減もみな同じで
 す。必ず改革への反動に転落します


 ●超(消費)資本主義がくる

  消費が所得の中で半分以上を必然的に占めてしまう産業社会は、消費の種類と消費の理
 由が何であっても、消費を主な要因と見なければ成り立だない社会です。制度としては資
 本主義の延長であり高度化でありながら、資本主義の本来的性格である利潤、その蓄積の
 増大ということを超えて、超えた部分で消費過剰の社会になっています。世界経済の先進
 的な地域経済がそうなってしまった社会を超資本主義とか消費資本主義と呼んでいます。
 これはある角度からいえば、剰余価値を消費に代えてしまう社会システムで、古典的な資
 本主義とか社会主義とは違うものです
  この経済と産業の仕組みを何と呼ぶのが安全なのか、現在ではまだ言いようが見つから
 ないと思います
  もし先進的な資本主義を「消費」を特徴とする第三次産業主体の経済として捉えた場合、
 これに見合った政治制度は、国民一般のリコール権を含んだ議会制ということになります。
 通常のときは国会において議員たちの賛否で充足されるべきものを、特定の条件を満たす
 ときは国民一般の直接的無記名投票で決定することです。これは個人消費が最大の割合を
 占める消費(超)資本主義に移行できる最少限の改革です。
  先進的な超(消費)資本主義が主導する経済段階に、アメリカ、欧州共同体、日本など
 が入っていて、それに即応する金融産業の体制が整えられるべきだというところまでは、
 アメリカの日本に対する経済要求には妥当性があると思います。
 逆な言い方をすれば妥当性があるのはそこまでです。 

            
             「第5章 お役所がつぶれる日、日本が沈む日」PP.98-109

                            吉本隆明 著 『僕なら言うぞ!』

 


理想的な職場とは、「精神労働」と「肉体労働」とをいつ切り替えても快適な環境、そして食
べることと遊 ぶことが環境のなかで揃っていること。明るい便利な、精神的な仕事にも身体
を動かす仕事にも、簡単に切替えができることだといっているが、そこから比べれば、民間
非正規の派遣労働者の多くは、何ともみじめな環境におかれていることが
容易に想像できる
この様な民間企業の職場環境の具体例を列記すればいくらでも書くことができる。また、
「ア
メリカは、日本庶民の味方」の項でいえば、"日米半導体不平等条約"のように、日本の良
いと
取りと半導体製造メーカの競争力を弱体化の
例(ブログ『原理と現場』参照)があるよう
に、
そこは注意して考えおく必要はある。また、「消費が所得の中で半分以上を必然的に占めて

まう産業社会の仕組みを何と呼ぶのが安全なのか、現在ではまだ言いようが見つからないと

います」というもの言いは、その後ITバブル、リーマンショック、欧州金融危機を経験し

わたしたちに投げかけられた問題であることを改め思い知らされるものである。

                                   この項つづく



【ベッドで煙草を吸わないで】

 





   ベッドで煙草を吸わないで
   私を好きなら火を消して
   瞳をとじてやさしい夢を
   甘いシャネルのためいきが
   今夜も貴方をまっているのよ

   ベッドで煙草を吸わないでね
   ベッドで煙草を吸わないで
   ゆうべの約束わすれたの
   こっちを向いて愛の言葉を
   髪をほといた首すじに
   なぜか煙がくすぐったいわ

   ベッドで煙草を吸わないでね
   こっちを向いて愛の言葉を
   髪をほといた首すじに
   なぜか煙がくすぐったいわ
   ベッドで煙草を吸わないでね
   ベッドで煙草を吸わないでね

                                作詞/作曲 : 岩谷時子/いずみたく 


テレビから沢たまきの「ベッドで煙草を吸わないで」の映像と歌がに触れたとき、昔の故人と
の或るシー
ンの思い出が懐かしくフラッシュバックし暫く、喪失と郷愁の思いに浸っていた。
岩谷時子のセクシュアル・ワー
ルドに聴き惚れていたが、煙草と情事を思い出す体験は皆無。
寧ろ、♪ ベッドで煙草を吸わないで/吸
い殻の火は/火事となるから... というリアルな体験
が思い出されるのだが、この歌を耳にするだけで
大人しい男女の恋愛遊戯の抒情シーンへと変
化するから、歌の力(チカラ)って凄いと二度驚くこととな
る。

 

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