つい最近、リコーが電解質を固体材料のみの色素増感太陽電池の開発に成功している。それによる
と、従来の液体電解質法の安全性や耐久性の難点を改善し、発電効率をアモルファスシリコン太陽
電池の2倍以上を達成。新開発の色素増感太陽電池は、有機p型半導体と固体添加剤からなるホー
ル輸送性材料を用い、独自の超臨界流体二酸化炭素(SCF-CO2)を使って製膜。この製膜技術によ
りこれまで困難であったナノレベルの酸化チタン粒子の多孔質膜内部へ、極めて高密度にホール(
電子)輸送性材料を充填することが可能となった。ここで、ホール(電子)輸送性材料とは特定の
ポリチアジアゾール化合物とポリアリールアミン化合物の単独あるいは二種類以上の混合物として
いる(下図クリック)。
リコーでは、照度が200lx(ルクス)の白色発光ダイオード(LED)の光を当てた場合、これまで知
られている最も高性能なアモルファスシリコン太陽電池は1平方センチメートル当たり、6.5μWの
起電力する。従来型の色素増感太陽電池は8.4μWであり、アモルファスシリコンよりも30%程度性
能が高いが、今回の完全固体化のものは、13.6μWであり、アモルファスシリコンと比較して2倍以
上(従来品と比較しても60%以上)だ。ここで大切なのは、最上図のように、太陽電池として機能
には微細な金属酸化物ナノ粒子(灰色の大きめの円)と増感色素(ピンク色の小さな円)、固体電
解質(黄色)がそれぞれ密着している必要がある。一般的な色素増感太陽電池のように電解液を使
っていれば、すき間はできにくい。ところが、リコー方式は電解液を固体化しているので密着が難
しい。図下/左のように二酸化チタン粒子からなる多孔質膜内部にすき間(未充填部)が多くなり、
太陽電池としての性能が低下し信頼性が低下する。この問題を解決するために、二酸化炭素を使っ
た超臨界状態で加圧充填(「超臨界充填法」/『さて、超臨界の話をしよう。』)することで解決
したという。
●ホール(電子)輸送輸送性材料の特徴
【符号の説明】
1 基板 2 基板 3 電子集電電極 4 電子集電電極 5 6および7からなる電子輸送層 6
緻密な電子輸送層 7 多孔質な電子輸送層 8 9および10からなるホール輸送層 9 電解質
層 10 触媒層 11 光増感化合物 12 リードライン 13 リードライン
なお、ホール(電子)輸送性材料である多孔質構造体用分散体の特徴技術がリコーより(上図クリ
ック)次のように提案されている。
多孔質構造体用分散体において、体積基準のお粒径分布における粒径が5~500ナノメーターで
あり、粒径分布のピークが3つ以上ある半導体微粒子分散体で、そのピークの1つが5~20ナノ
メーターであることを特徴とする。この提案の分散体を用いて作製した多孔質構造体の平均細孔径
は25~40ナノメーターである。
また、半導体微粒子の材質としては、(1)単体半導体:シリコン、ゲルマニウム、(2)金属カ
ルコゲニド:チタン、スズ、亜鉛、鉄、タングステン、ジルコニウム、ハフニウム、ストロンチウ
ム、インジウム、セリウム、イットリウム、ランタン、バナジウム、ニオブ、あるいはタンタルの
酸化物、カドミウム、亜鉛、鉛、銀、アンチモン、ビスマスの硫化物、カドミウム、鉛のセレン化
物、カドミウムのテルル化合物、亜鉛、ガリウム、インジウム、カドミウム、等のリン化物、ガリ
ウム砒素、銅-インジウム-セレン化物、銅-インジウム-硫化物、(3)ペロブスカイト:チタ
ン酸ストロンチウム、チタン酸カルシウム、チタン酸ナトリウム、チタン酸バリウム、ニオブ酸カ
リウム――特に、酸化チタン、酸化亜鉛、酸化スズ、酸化ニオブが好ましく、単独、あるいは2種
以上の混合ても構わない。
●深まる謎・解明される謎
しかしながら、色素増感型太陽電池の開発研究から、当初考えていたバンドギャップエネルギーを
ベースとして、光子により色素を媒介し光励起した電子が再結合することなく、あるいは熱変換さ
れずにスムーズに効率良くに取り出すための機構に疑問符がつき、謎が深まることとなった。それ
がペロブスカイト構造にすることで変換効率が飛躍的に向上することが確認され、色素の位置づけ
が変わりつつある。また、『きょうの無知の知』で記載した、信州大学繊維学部の村上泰教授とエ
ヌ・ティー・エス社が開発した新型太陽電池の発見であり、量子スケールデバイスあるいは有機半
導体や有機太陽電池の研究の進展により、徐々に高効率な光電変換素子の機構条件が解明されつつ
あるが、これを明確に表現するには今暫く研究の進展を見守るほかない。
この小説の表紙(上絵)には、枝垂れ柳(雄株)と猫が描かれている。そういえば、枝垂れ柳の花
言葉は「愛の悲しみ」「憂い」であり、英語では"weeping willow"、つまり、泣き柳の直訳もみえる。
また、雌雄二型の樹木であり、枝・葉には解熱鎮痛薬のアスピリンの元であるサリチル酸やビタミ
ンCが含まれる。さらに、湿潤を好み、強靭なしかもよく張った根を持つこと、また倒れて埋没し
ても再び発芽してくる逞しい生命力を持つことから「カミタ」が主人公のボディーガードとして設
定されていることを、この終章で語り、さらには「両義的とは、結局のところ、両極の中間に空洞
を抱え込むことなのだ」「痛切なものを引き受けなかったから、真実と正面から向かい合うことを
回避し、その結果こうして中身のない虚ろな 心を抱き続けることになった。蛇たちはその場所を
手に入れ、冷ややかに脈打つそれらの心臓をそこに隠そうとしている」と語られる。末節だが三匹
の蛇は「不見・不聞・不言」の三猿としてオーバーラップし描写されてもいるが、多く語られなか
った妻との離婚劇は「そう、おれは傷ついている」と傷の深さをインハンスし物語は閉じられる。
目を覚ましたとき、枕元のディジタル式の時計は2時15分を表示していた。誰かが部屋のド
アをノックしている。強いノックではないが、その音は腕の良い大工が打つ釘のように簡潔に
硬く、凝縮されていた。そしてノックをしている誰かは、その音が木野の耳にしっかり届いて
いることを承知していた。その音が木野を深い真夜中の眠りから、慈悲ある束の間の休息から
引きずり出し、彼の意識を苛酷なまでに隈無く澄み渡らせていることを。
ドアを叩いているのが誰なのか、木野にはわかる。彼がベッドを出てドアを内側から開ける
ことを、そのノックは求めている。強く、執拗に。その誰かには外からドアを開けるだけの力
はない。ドアは内側から木野自身の手によって開けられなくてはならない。
木野はその訪問が、自分が何より求めてきたことであり、同時に何より恐れてきたものであ
ることをあらためて悟った。そう、両義的であるというのは結局のところ、両極の中間に空洞
を抱え込むことなのだ。
「傷ついたんでしょう、少しくらいは?」と妻は彼に尋ねた。
「僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく」と木野は答えた。
でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。おれは傷つくべきときに十分に傷つかな
かったんだ、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺し
てしまった。痛切なものを引き受けなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、
その結果こうして中身のない虚ろな 心を抱き続けることになった。蛇たちはその場所を手に
入れ、冷ややかに脈打つそれらの心臓 をそこに隠そうとしている。
「ここは僕ばかりではなく、きっと誰にとっても居心地の良い場所だったのでしょう」とカミ
タは言った。彼の言おうとしていたことが、木野にも今ようやく理解できた。
木野は布団をかぶって目を閉じ、両手でぴたりと耳を塞ぎ、自分自身の狭い世界に逃げ籠も
った。そして自らに言い聞かせた。何も見るまい、何も間くまい、と。しかしその音を消し去
ることはできない。たとえ世界の果てまで逃げ、両方の耳を粘土で塞いだところで、生きてい
る限り、意識というものが僅かなりとも残る限り、そのノックの音は彼を追い詰めるだろう。
それが叩いているのはビジネス・ホテルのドアではない。それは彼の心の扉を叩いているのだ。
人はそんな音から逃げ切ることはできない。そして夜明けまでには――もし夜明けなどという
ものがまだあるとすればだが――まだ長い時間が横だわっている。
どれはどの時間が経過したのだろう、気がついたときノックの音はやんでいた。あたりは月
の裏側のように静まりかえっている。それでも木野は布団をかぶったまま動かなかった。油断
してはならない。彼は気配を殺し、耳を澄ませ、沈黙の中に不吉な示唆を聞き取ろうとした。
ドアの外にいるものがそれほど簡単にあきらめるはずはない。相手には急ぐ必要はないのだ。
月も出ていない。空には枯死した星座か黒々と浮かんでいるだけだ。世界はまだしばらくのあ
いだ彼らのものだ。彼らはいくつもの違うやり方を持っている。求めは様々なかたちをとるこ
とができる。暗い根は地中の至る処にその先端を仲ばすことができる。それは我慢強く時間を
かけ、弱い部分を探り、堅固な岩をさえ砕くことができる。
やがて予想どおり、再びノックが始まった。しかし今度は聞こえてくる方向が追う。音の響
きも追っている。前よりずっと間近に、文字どおり耳もとでそれが聞こえる。その誰かは今で
は、枕もとの窓のすぐ外にいるようだ。おそらく地上八階の切り立ったビルの壁にへばり付き、
顔を窓に押しつけるようにして、雨に濡れたガラスをこつこつと叩き続けているのだろう。そ
れ以外には考えられない。
それでも叩き方だけは変わらない。二度。続けて二度。少し間を置いてまた二度。それがき
りなく繰り返される。音が微妙に大きくなり、また小さくなる。感情を具えた特殊な心臓の鼓
動のように。
窓のカーテンは開けたままになっている。彼は眠りに就く前に、窓についた水滴の模様をあ
てどなく眺めていた。今ここで布団から顔を出せば、暗いガラス窓の向こうに何が見えるか、
木野にはおおよそ想像がついた。いや、追う、想像はつかない。想像するという頭の動きその
ものを消し去らなくてはならない。いずれにせよ、おれはそれを目にするわけにはいかない。
どれほど虚ろなものであれ、これは今でもまだおれの心なのだ。たとえ微かであるにせよ、そ
こには人々の温もりが残されている。いくつかの個人的な記憶が、浜辺の棒杭に絡んだ海草の
ように、無言のまま満ち潮を待っている。いくつかの思いは、切られればたしかな赤い血を流
すことだろう。今はまだ、どこかわけのわからないところにその心を彷徨い行かせるわけには
いかない。
神様の田んぼと書いて、カミタと言います。カンダではなく。この近くに住んでいます。
「覚えておこう」と大柄な男は言った。
「いい考えです。記憶は何かと力になります」とカミタは言った。
カミタはひょっとして、なんらかのかたちであの前庭の古い柳の木に結びついているのかも
しれない、木野はふとそう思った。あの柳の木が自分を、そして小さな家を保護してくれてい
たのだ。よく理屈のわからないことだが、いったんそういう考えが頭に浮かぶと、話が節々で
繋がるような気がした。
豊かな緑の枝を地面近くまで垂らした柳の姿を、木野は頭に思い浮かべた。夏にはそれは涼
しい陰をささやかな前庭に落としてくれた。雨の日には無数の銀色の水滴を柔らかな枝に輝か
せていた。風のない日にはそれは深く静かに思索し、風のある日には定まりきらぬ心をあても
なく揺らせた。小さな鳥たちがやってきて、高く鋭い声で語り合いながら、細くしなう枝に器
用にとまり、やがてまた飛び立っていった。鳥たちが飛び去ったあとの枝は、しばらくのあい
だ楽しげに左右に揺れていた。
木野は布団の中で身体を虫のように丸め、目を固く閉じ、ただ柳の本のことを思った。その
色やその形やその動きを、ひとつひとつ具体的に頭に思い浮かべた。そして夜明けの訪れを念
じた。あたりが次第に明るくなり、ガラスや小鳥たちが目を覚まして一日の活動を始めるのを、
こうして耐えて待つしかない。世界中の鳥たちを信じるしかない。翼を持ち、嘴を具えたすべ
ての鳥たちを。それまでいっときも心を空っぽにしてはならない。空白が、そこに生じる真空
が、それらを引き寄せるのだ。
柳の木だけでは足りなくなると、木野はほっそりとした灰色の雌猫のことを思い、その猫が
焼き海苔を好んで食べたことを思い出した。カウンター席で熱心に本を読んでいるカミタの姿
を思い、陸上トラックで苛酷なリペティション練習をやっている若い中距離ランナーたちの姿
を思い、ベン・ウェブスターの吹く『マイ・ロマンス』の美しいソロを思った(途中二度スク
ラッチが入る。ぷつん・ぷつんと)。記憶は何かと力になる。そして髪を短くし、新しい青い
ワンピースを着たかつての妻の姿を思い浮かべた。何はともあれ、彼女が新しい場所で幸福で
健康な生活を送っていることを木野は願った。身体に傷を負ったりしないでいてくれるといい。
彼女は面と向かって謝罪したし、おれはそれを受け入れたのだ。おれは忘れることだけではな
く、赦すことを覚えなくてはならない。
しかし時間はその動きをなかなか公疋に定められないようだった。欲望の血なまぐさい重み
が、悔恨の錆びた碇が、本来あるべき時間の流れを阻もうとしていた。そこでは時は一直線に
飛んでいく矢ではなかった。雨は降り続き、時計の針はしばしば戸惑い、鳥たちはまだ深い眠
りに就き、顔のない郵便局員は黙々と絵葉書を仕分けし、妻はかたちの良い乳房を激しく宙に
揺らせ、誰かが執拗に窓ガラスを叩き続けていた。彼をほのめかしの深い迷宮に誘い込もうと
するかのように、どこまでも規則正しく。こんこん、こんこん、そしてまたこんこん。目を背
けず、私をまっすぐ見なさい、誰かが耳元でそう囁いた。これがおまえの心の姿なのだから。
初夏の風を受け、柳の枝は柔らかく揺れ続けていた。木野の内奥にある暗い小さな一室で、
誰かの温かい手が彼の手に向けて伸ばされ、重ねられようとしていた。木野は深く目を閉じた
まま、その肌の温もりを思い、柔らかな厚みを思った。それは彼が長いあいだ忘れていたもの
だった。ずいぶん長いあいだ彼から隔てられていたものだった。そう、おれは傷ついている、
それもとても深く。木野は自らに向かってそう言った。そして涙を流した。その暗く静かな部
屋の中で。
そのあいだも雨は間断なく、冷ややかに世界を濡らしていた。
村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] )
この項了
A cigarette that bears a lipstick's traces
An airline ticket to romantic places
And still my heart has wings
These foolish things remind me of you
A tinkling piano in the next apartment
Those stumbling words that told you what my heart meant
A fairground's painted swings
These foolish things remind me of you
You came, you saw, you conquered me
When you did that to me
I knew somehow this had to be
The winds of march that make my heart a dancer
A telephone that rings but who's to answer?
Oh, how the ghost of you clings
These foolish things remind me of you
The smile of turner and the scent of roses
The waiters whistling as the last bar closes
The song that crosby sings
These foolish things remind me of you
“ These Foolish Things ( Remind Me Of You ) "
Word&Music
Eric Maschwitz and Jack Strachey