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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

シェエラザードと八ッ目鰻

2014年06月11日 | 時事書評

 

 

 

●残業ゼロ法案

裁量労働制と言うらしいが、要するに労働業種別固定報酬制(非職階級別報酬制)とかで、一般従
業員(正規・非正規雇用社員?)を対象としているというセコイ制度?を社会・市場へ政治的介入
(個別企業が雇用者と雇用者の間で決めるのではなく)し決めるという。「この制度が適用された
場合、労働者は実際の労働時間とは関係なく、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなされ
る。業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要があ
る業務に適用できるとされる。適用業務の範囲は厚生労働省が定めた業務に限定されており「専門
業務型」と「企画業務型」とがある。導入に際しては、労使双方の合意(専門業務型では労使協定
の締結、企画業務型では労使委員会の決議)と事業場所轄の労働基準監督署長への届け出とが必要
である」と定めその規定によると「労働基準法第38条の3及び第38条の4項の要件を満たす必要が
ある」という。

「専門的職種・企画管理業務など、業務の性質上、業務遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労
働者の裁量にゆだねる必要がある職種であることが条件である。当初は極めて専門的な職種にしか
適用できなかったが、現在では適用範囲が広がっている。厚生労働大臣指定職種も含めた主な職種
は以下の通りである」(Wikipedia)と、例のネオ・リベラリズム政策の「労働者派遣法」(1986

に施行。「派遣労働は例外的な働き方」という原則のもと、現行法では「専門性が高い」とされる
26業務以外では最長3年しか派遣を受け入れられない。改正案では、労働組合の意見を聞いた上で
3年で人を入れ替えれば、ほとんどの業務で無期限に派遣を使い続けられるようになる。派遣労働
者数は127万人(2013年)」がいかにこの日本社会を差別分断し歪めた上に―例えば、賃金労働者の
平均年収と公務員の年収は380万円/900万円@2011年と格差拡大)さらに反動加速させる
動きのよ
うにみえる。




それでは具体的に職種規定をみてみよう。「専門的職種・企画管理業務など、業務の性質上、業務
遂行の手段や方法、時間配分等を大幅に労働者の裁量にゆだねる必要がある職種であることが条件
である。当初は極めて専門的な職種にしか適用できなかったが、現在では適用範囲が広がっている。
厚生労働大臣指定職種も含めた主な職種は以下の通り。

1.新商品若しくは新技術の研究開発又は人文科学若しくは自然科学に関する研究の業務
2.情報処理システム(電子計算機を使用して行う情報処理を目的として複数の要素が組み合わされ
 た体系であつてプログラムの設計の基本となるものをいう。(7)において同じ。)の分析または設
 計の業務

3.新聞若しくは出版の事業における記事の取材若しくは編集の業務又は放送法(昭和25年法律第132
  号)第2条第4号に規定する放送番組若しくは有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律(
 昭和26年法律第135号)第2条に規定する有線ラジオ放送若しくは有線テレビジョン放送法(昭和
  47年法律114号)第2条第1項に規定する有線テレビジョン放送の放送番組(以下「放送番組」と
 総称する)の制作のための取材若しくは編集の業務

4.衣服、室内装飾、工業製品、広告等の新たなデザインの考案の業務
5.放送番組、映画等の制作の事業におけるプロデューサー又はディレクターの業務
6.広告、宣伝等における商品等の内容、特長等に係る文章の案の考案の業務(いわゆるコピーライ
 ターの業務)

7.事業運営において情報処理システムを活用するための問題点の把握又はそれを活用するための方
 法に関する考案若しくは助言の業務(いわゆるシステムコンサルタントの業務)

8.建築物内における照明器具、家具等の配置に関する考案、表現又は助言の業務(いわゆるインテ
 リアコーディネーターの業務)

9.ゲーム用ソフトウェアの創作の業務
10.有価証券市場における相場等の動向又は有価証券の価値等の分析、評価又はこれに基づく投資に
 関する助言の業務(いわゆる証券アナリストの業務)

11.金融工学等の知識を用いて行う金融商品の開発の業務
12.学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定する大学における教授研究の業務(主として研究に従
 事するものに限る。)

13.公認会計士の業務
14.弁護士の業務
15.建築士(一級建築士、二級建築士及び木造建築士)の業務
16.不動産鑑定士の業務
17.弁理士の業務
18.税理士の業務
19.中小企業診断士の業務

1から5までは、労働基準法施行規則第24条の2の2第2項により、6から19までは、労働基準法
施行規則第24条の2の2第2項より厚生労働大臣が指定する業務を定める1997年(平成9年)2月14
日労働省告示第7号による規定である。」(同上 Wikipedia

残業代を含めないというなら、上の数値を引数すれば、民間企業の賃金労働者の平均賃金の3倍
その下限額とすれば1,140万円/年 となり、平均賃金は就労人口構成や景気動向で変わるから毎
年更新する必要がある。それでも腑に落ちない。確かに就労条件として、就労試験偏差値がある一
定基準を満たさないと、その該当職種の労働品質を満足させることは出来ないかもしれないが(た
だし、他の方法もいろいろあるだろうが)、所得格差の拡大が低位平準化を引き起こし、例えば、
介護士労働は、資格取得が難しく、労働の要求品質が高いが、低賃金で定職率が悪く慢性的な人手
不足という現状を改善打開できていない――生産現場の安全・安心が担保できない労働環境の劣化
に手を貸すことのないような制度設計が求められている。しかしながら、現時点ではこの「残業ゼ
ロ法案」の提案の意味がよくわらないというのが本音だ。


 

  


●アフガニスタン南部ザブール州で9日、友軍の誤爆とみられる攻撃で米兵5人が死亡したことがA
P通信など報じた。誤爆と確認されればアフガン戦争開戦(2001年)以来、最悪規模となる。報道
によると、米兵らは作戦を終え基地に戻る途中で旧支配勢力タリバンの攻撃を受けた。空爆による
支援を要請したところ、誤って爆撃されたとみられる。米国防総省は「誤爆の可能性があるとみて
調査している」と声明を出した。アフガンでは02年に米軍の誤爆でカナダ兵4人が死亡するなど、
誤爆や誤射が相次いでいる。またアフガンのカルザイ大統領は米軍の空爆に市民が巻き込まれてい
ると繰り返し非難している。一方、ロイター通信などによると、南部ガズニ州で10日、車で首都カ
ブールに向かっていたカンダハル大学の教授ら35人が武装勢力に誘拐された。地元の有力者が交渉
に当たっているという。アフガンでは14日に大統領選の決選投票を控えており、治安悪化が懸念さ
れているとのこと。

●イラク第2の都市モスルなど北部各地を制圧したイスラム教スンニ派の過激派「イラク・レバン
トのイスラム国(ISIL)」は11日、首都バグダッド北方のバイジに進撃した。ロイター通信が伝え
た。バイジはモスルとバグダッドを結ぶ中継都市。ISILがこのまま南下を続ければ、首都侵入を許
すことになり、イラクのマリキ政権は存続の危機に直面しかねない状況。一方、現地からの報道に
よると、モスルではISILの武装集団が市内を巡回するなどして、住民支配強化を目指した引き締め
を図っている。ISILの過酷な支配の実態は住民にもよく知られており、弾圧への恐怖から、モスル
の人口の4分の1に相当する50万人規模の人々が市外に脱出したとの情報もある。

●集団的自衛権の行使容認をめぐり、自民党は、22日までの今の国会中の閣議決定を目指している
が、公明党は、依然、慎重な議論を求めていて、ぎりぎりの攻防が続いているという。公明党から
は「なぜ会期内にこだわるのか、理解できない」との意見が出る一方、自民党内からは「区切りを
決めないと、公明党の引き延ばし戦術にはまるだけだ」と、警戒する声が上がっている。自民党の
石破幹事長は「今国会内に合意を得たい。今国会において、閣議決定をしたい。公明党さんに、よ
り徹底した議論を党内でもお願いしたいと」と述べた。11日朝の自民・公明の幹部協議で、自民党
の石破幹事長は、あらためて会期内に閣議決定を行いたい意向を示したが、公明党から、前向きな
返答はなかったと伝えている。

●飯島勲内閣官房参与は10日、ワシントンで講演し、集団的自衛権の行使容認に慎重な公明党と同
党の支持母体である創価学会の関係が、憲法の「政教分離原則」に反しないとしてきた従来の政府
見解について、「もし内閣が法制局の答弁を一気に変えた場合、『政教一致』が出てきてもおかし
くない」と述べ、変更される可能性に言及。飯島は集団的自衛権をめぐる与党協議に関し、「来週
までには片が付くだろう」とも表明。行使容認の前提となる憲法解釈変更に公明党が同意しなけれ
ば政府から圧力がかかるとけん制したとも受け取れる発言で、同党が反発しそうだということだ。 


●防衛省は11日、中国軍のSu27戦闘機2機が同日午前11時と正午ごろ、東シナ海の公海上空で、
海上自衛隊のOP3C画像情報収集機と航空自衛隊のYS11EB電子情報収集機に異常接近した
と発表した。数十メートルの近さまで近接した。領空侵犯は発生しておらず、自衛隊機や自衛隊員
への被害はない。レーダー照射もなかったという。

 
さて、米国との集団自衛権の成立による抑止力は、中国の"武闘信仰派"には有効かもしれないが、
両国の人命を第一優先に考える、わたし(たち)"非攻墨子派”には二義的な意味しかない。その意
味では、飯島勲内閣官房参与の「政教分離」論議も、「両国の人命を第一」の前では無効であると
考える。アフガニスタンもイラクも欧米中心の多国籍軍による進駐で和平をもたらしはしたが、平
和をもたらすことはなかったことを今夜の情報で再確認することになった。
 

  

   



さて、今夜。シェエラザードと羽原との不思議な性的関係は自然な決別の日がやってきてこの物語
は綴じられることとなる。羽原は北関東のある町のハウスに軟禁(記憶喪失症?)され、身を隠し
ている理由が語ら
れることなく進行する。また、なぜ、シェエラザードがヤツメウナギについて語
らせるのか伏せられたままストーリー展開する。ただ、ヤツメウナギは、
ひと月ほどで孵化すると、
アンモシーテス(Ammocoete)と呼ばれる幼生期を数年間過ごした後、成体へと変態。アンモシーテ
スとは、ヤツメウナギの幼生期であり、口は吸盤状でなく漏斗のようで、泥底に潜って水中から有
機物を濾しとって食べる特徴があり、また眼が未発達(「人生って妙なものよね。あるときにはと
んでもなく輝かしく絶対的に思えたものが、それを得るためには一切を捨ててもいいとまで思えた
ものが、しばらく時間が経つと、あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色梗せて見えるこ
とがある。私の目はいったい何を見ていたんだろう」と彼女が語り、彼は「青の時代」みたいと応
じている※)、外からはほとんど確認できず、変態後は、2、3年海を回遊して再び繁殖期になる
と河川を溯上し繁殖期まで一生を淡水で過ごす生態と、シェエラザードと羽原が織りなす思春期の
変態体験と、そこからの脱皮と成長が渾然とした様が描かれる。あるいは、シェエラザードは、記
憶喪失した羽原の記憶を復元させる治療行為として『千一夜物語』のように語るストーリーとして
構成される――不思議な世界である。また、「女を失うというのは結局のところそういうことなの
だ。現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女
たちの提供してくれるものだった」との独白は前作『独立器官』に通じるテーマ、"かけがいのな
い女性の喪失”に対する恐れと不安を暗示する。


※ピカソの1903年の作品『ラ・ヴィ 人生』の左側のカザジェマスと愛人、右側の子供を抱く痩せた
 母親を描き、間に失意と絶望を感じさせる二枚の絵が挟み込まれ、カザジュマスの指先が、二人
 の不安な将来を暗示するかのように母子像に向けられた構図をイメージしているのではないだろ
 うか。



  シェエラザードは持ち帰った彼のTシャツの匂いを、毎晩寝る前に嗅いだ。そのシャツを隣
 に置いて眠った。学校に行くときには紙にくるんで、みつからないところに隠した。夕食を取
 り、部屋で一人になるとそれを取りだし、撫でたり、匂いを嗅いでみたりした。日にちが経つ
 と匂いがだんだん薄らいで消えていくのではないかと心配したが、そんなことはなかった。彼
 の汗の匂いは、消えることのない重要な記憶のように、いつまでもそこに染みついていた。

  もうこれ以上彼の家に空き巣に入ることはできないのだ(人らなくてもいいのだ)と思うと

 少しずつではあるがシェエラザードの頭は平常に復していった。意識が普通に働くようになっ
 てきた。教室でぼんやり白昼夢を見ることも少なくなり、部分的にではあれ教師の声がちゃん
 と耳に入るようにもなった。でも彼女は授業のあいだ、教師の声に耳を澄ませるよりは、彼の
 様子をうかがうことに神経を集中していた。その挙動に変わったところが見当たらないか、何
 か神経質な素振りを見せたりしないか、怠りなく目を配っていた。しかし彼の挙動は普段とま
 ったく変化なく見えた。いつものように大きな目を開けて無心に笑い、教師に質問されればは
 きはきと正しい答えを返し、放課後にはサッカー部の練習に熱心に励んでいた。大きな声をあ
 げ、たっぷり汗をかいていた。彼のまわりで何か異変が持ちあがったような気配はまったくう
 かがえなかった。おそろしくまともな人だ、と彼女は感心した。翳りひとつない。

  でも私は彼の翳りを知っている、とシェエラザードは思った。あるいは翳りに近いものを。

 たぶん他の誰もそれを知らない。知っているのは私だけだ(ひょっとしたら母親も知っている
 かもしれないが)。三回目に空き巣に入ったとき、彼女は押し入れの奥にポルノ雑誌が何冊か
 巧妙に隠されているのを見つけたのだ。そこには女性の裸の写真がたくさん載っていた。女た
 ちは脚を開き、性器を気前よく露出していた。男女が交わっている写真もあった。とても不自
 然な姿勢で交わっている写真だ。棒のような性器が女の中に挿入されていた。そんな写真を目
 にするのはシェエラザードにとって生まれて初めてのことだった。シェエラザードは彼の勉強
 机の前に座り、それらの雑誌のページを繰って、ひとつひとつの写真を興味深く眺めていった。
 たぶんこういう写真を見ながら彼は自慰をしているのだろうと彼女は想像した。でもそのこと
 はとくに彼女をいやな気持ちにはさせなかった。彼の隠された素顔に失望したりもしなかった。
 彼女はそういうのが自然な営みであることを承知していた。生産された精液はどこかで放出さ
 れなくてはならない。男の身体はそのようにできているのだ(女性に月経があるのとだいたい
 同じことだ)。そういう意味では、彼だって普通の十代の男の子の一人に過ぎない。正義のヒ
 ーローでもなければ、聖人でもない。むしろそれを知って、シェエラザードはほっとしたくら
 いだった。

 「空き巣に入ることをやめてしばらくして、彼に対する激しい憧れは徐々にではあるけど、薄
 れていった。遠浅の海岸を潮がじわじわと引いていくみたいに。どうしてかはわからないけど、
 私はもう以前ほど熱心に彼のシャツの匂いを嗅がなくなったし、鉛筆やバッジを夢中になって
 撫で回すことも少なくなった。まるで熱病が治まっていくみたいに、熱が引いていったの。そ
 れは病気のようなものではなく、きっと本物の病気だったのね。その病気は私の頭をしばらく
 のあいだ、高熱で錯乱させていた。誰もが人生の中で、一度はそういう出鱈目な時期を通過す
 るのかもしれない。あるいはそれはただ私ひとりの身に起こった、特殊な出来事だったのかも
 しれない。ねえ、あなたにはそういうことってあった?」
 
  考えてみたが、羽原には思い当たることはなかった。「それほど特別な出来事はなかったと
 思うな」と彼は言った。
 
  シェエラザードはそれを間いて少しがっかりしたみたいだった。「いずれにせよ高校を卒業
 すると、私はいつしか彼のことを忘れてしまった。自分でも不思議なくらいあっさりと。彼の
 どんなところに十七歳の自分がそんなに激しく惹かれたのか、それすらほとんど思い出せなく
 なってしまった。人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対的に思えた
 ものが、それを得るためには一切を捨ててもいいとまで思えたものが、しばらく時間が経つと、
 あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色梗せて見えることがある私の目はいったい
 何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう。それが私の〈空き巣狙いの時代〉
 のお話」
 
  なんだかピカソの「青の時代」みたいだと羽原は思った。しかし彼女の言わんとすることは、
 羽原にもよく理解できた。

 

  女は枕元のディジタル時計に目をやった。そろそろ帰宅の時刻が近づいていた。彼女は含み
 のある間を置いた。それから言った。
 「でも実を言うと、話はそこで終わらないの。その四年後だったかな、看護学校の二年生だっ
 たときに、私はちょっと不思議な巡り合わせで、彼と再会することになった。そこには彼の母
 親も大々的に登場するし、またちょっとした怪談みたいなものも絡んでいるの。あなたに信じ
 てもらえるかどうか自信はないんだけど、その話は聞きたい?」
 「とても」と羽原は言った。
 「じゃあそれは次のときにね」とシェエラザードは言った。「話し出すとかなり長くなるし、
 そろそろうちに帰って食事を作らなくちゃ」
  
  彼女はベッドを出て、下着をつけ、ストッキングを穿き、キャミソールを着て、スカートと
 ブラウスを着た。羽原はその一連の動作をベッドの中からぼんやりと眺めていた。女が衣服を
 身につけていく動作は、それを脱ぐときの動作より興味深いかもしれないと彼は思った。

 「何か読みたい本はある?」と出がけにシェエラザードは尋ねた。とくにないと思うと羽原は
 答えた。ただ君の話の続きが聞きたいだけだ、と彼は思ったが、口には出さなかった。口に出
 すと、話の続きを永遠に聞けなくなってしまいそうな気がしたからだ。

  羽原はその夜、まだ早い時刻にベッドに入り、シェエラザードのことを考えた。彼女はひょ
 
っとして、もうこのまま姿を見せなくなるかもしれない。彼はそのことを案じていた。それは
 決して起こり得ないことではない。シェエラザードと彼とのあいだには、どのような個人的取
 り決めも存在しない。それは誰かからたまたま与えられた関係であり、その誰かの気分ひとつ
 で、いつ取り上げられるかもしれない関係だった。言うなれば、細い糸一本でかろうじて結ば
 れているだけの繋がりだ。おそらくいつか、いや、間違いなくいつか、それは終わりを告げる
 だろう。その糸は切られてしまうだろう。遅いか早いか、違いはそれだけだ。そしていったん
 シェエラザードが去ってしまえば、羽原にはもう彼女の活か間けなくなる。物語の流れはそこ
 で断ち切られ、語られるはずのいくつもの未知の不思議な物語は、語られないまま消えてしま
 う。

  あるいはまた、彼はすべての自由を取り上げられ、その結果シェエラザードばかりか、あら

 ゆる女から遠ざけられてしまうことになるかもしれない。その可能性も大きい。そうなれば、
 もうニ度と彼女たちの湿った身体の奥に入ることもできなくなってしまう。その身体の微妙な
 震えを感じ取ることもできなくなる。しかし羽原にとって何よりつらいのは、性行為そのもの
 よりはむしろ、彼女たちと親密な時間を共有することができなくなってしまうことかもしれな
 い。女を失うというのは結局のところそういうことなのだ。現実の中に組み込まれていながら
 それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間、それが女たちの提供してくれるものだった
 そしてシェエラザードは彼にそれをふんだんに、それこそ無尽蔵に与えてくれた。そのことが
 またそれをいつか失わなくてはならないであろうことが、彼をおそらくは他の何よりも、哀し
 い気持ちにさせた。
 
  羽原は目を閉じ、シェエラザードのことを考えるのをやめた。そしてやつめうなぎたちのこ

 とを想った。石に吸い付き、水草に隠れて、ゆらゆらと揺れている顎を持たないやつめうなぎ
 たちを。彼はそこで彼らの一員となり、鱒がやってくるのを待った。しかしどれだけ待っても、
 一匹の鱒も通りかからなかった。太ったものも、痩せたものも、どのようなものも。そしてや
 がて日が落ち、あたりは深い暗闇に包まれていった。 


                              村上春樹 著『シェエラザード』(MONKEY Vol.2 

                                          この項了
     
 

  

 

 

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