● 映画『トランセンデンス』
『トランセンデンス』(Transcendence)は、日本語では超越とでもなろうか。ウォーリー・フィス
ター監督、ジャック・パグレン脚本による2014年のイギリス・中国・アメリカ合衆国のSFスリラー映
画。人工知能と化した科学者の姿を通して、行き過ぎたテクノロジーがもたらす危機を描いている。
出演はジョニー・デップ、レベッカ・ホール、モーガン・フリーマンらである。世界初の人工知能PI
NN(ピン)を研究開発するコンピューター科学者のウィル・キャスター(ジョニー・デップ)とその
妻エヴリン(レベッカ・ホール)は、コンピューターが人間の能力を超えることができる世界を構築
する為の技術的特異点を目標に活動していた。しかしそのさなか、ウィルは反テクノロジーを唱える
過激派テロ組織RIFT(リフト)の凶弾に倒れてしまう。エヴリンは夫を救うべく、死の際にあったフ
ィルの意識をPINNにアップロードする。彼女の手により人工知能としてよみがえったウィルは、軍
事機密から金融、経済、果ては個人情報にいたるまで、ありとあらゆる情報を取り込み、驚異の進化
を始める。やがてそれは、誰も予想しなかった影響を世界に及ぼし始める。という展開だという。
これまで撮影監督を務めてきたウォーリー・フィスターの監督デビュー作である。ジャック・パグレ
ンはフィスターに監督させるために脚本を書き、プロデューサーのアニー・メーターはストレート・
アップ・フィルムズに企画を持ちかけた。企画はストレート・アップに売られ、2012年3月までには
アルコン・エンターテインメント(英語版)が権利を取得した。アルコンは出資し、ストレート・ア
ップとアルコンのプロデューサーが共同で製作に参加した。6月にはそれまでフィスターと働いてい
た映画監督のクリストファー・ノーランとその妻で製作パートナーでもあるエマ・トーマスがエグゼ
クティブプロデューサーとして参加した。2012年10月までにはジョニー・デップへの出演交渉が行わ
れたという。
これまでデジタル式映画撮影でのフィルムストックの使用を支持していたフィスターは本作を35mmフ
ィルムでアナモルフィック形式(英語版)で撮影することに決めた。デジタル・インターミディエイ
トの代わりに従来の光学処理が行われる。さらに4K解像度によるデジタルマスターが完成されIMAX
でも上映される。また中国では3D版も上映される。撮影は2013年6月に始まり、62日間にわたって行
われたという。
●大峰山登破計画
「大峰山は奈良県の南部にある山。現在では広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳をさしていう。
歴史的には、大峰山は大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々をさす。
対して小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までを金峰山という。この一帯は1936年(昭和
11年)、吉野熊野国立公園に指定され、さらに2004年(平成16年)7月、ユネスコの世界遺産に「紀
伊山地の霊場と参詣道」の文化的景観を示す主要な構成要素として史跡「大峯山寺」史跡「大峯奥駈
道」ほかが登録された。吉野から熊野に至る大峯奥駈道は、古来よりの自然信仰と渾然一体となった
渡来の神仙思想や道教や仏教の修行のために、藤原や平城の都からこの地を訪れた僧侶(修験者)に
よっ切り開かれたことに始まったとされる。
熊野修験が勢力を伸ばす中で長久年間(1040年- 1044年)に修験者(義叡、長円)により熊野から吉
野までの大峯奥駈道が体系付けられた。熊野から吉野まで詣でることを順峯。吉野から熊野まで詣で
ることを逆峯と呼んでいる。なお大峯山では「峯」の文字を使用しており、これは「山久しくして平
らかなり。」という意味味を示している。深田久弥の随筆『日本百名山』やそれを元にした各種一覧
表では、大峰山(1,915m)とあるが、これは広義でいう大峰山の最高峰「八経ヶ岳」(八剣山)の標
高である。『日本百名山』において深田久弥は山麓の吉野郡天川村洞川(どろがわ)から山上ヶ岳に
登った。宿坊で泊まり翌朝山頂に立つとそこから南へと大峰山脈縦走路(大峯奥駈道)に入り大普賢
岳、行者還岳を経て夕方に弥山(みせん)の山小屋に着、翌朝に近畿の最高地点である八経ヶ岳の山
頂に登った。縦走路はさらに南へ続くが大峰山最高峰到達に満足し山を下ったとされる。
大峰山の麓、天川村には日本三大弁財天の一つ(異説もあるが)で古い歴史を持つ天河大弁財天社が
あり、弥山の山頂にはその奥宮がある。1984年(昭和59年)8月、大峰山寺の解体修理に伴う外陣回
りの発掘調査で、山岳宗教史上の大発見として黄金仏2体が検出された。」という(「ヤマコレ」山
のデータ→大峰山より)。
遅れていたが、やっと目途らしきものがたち、百名山登破紀をつづることにした。後は、家庭の事情
と天候が整えば即決行。
その夜は雨が降っていた。雨脚はさして強くないが、降りやむ兆しの見えない秋特有の長雨
だった。繰り返しの多い単調な告白のように、そこには切れ目もなく、めりはりもなかった。
いつ頃から降りだしたのか、今となってはそれすら思い出せない。それがもたらすのは冷やや
かに湿った無力感だ。傘を差して外に出て、どこかで夕食をとろうという気持ちも湧いてこな
い。それなら何も食べなくていい。枕元のガラス窓は細かい水滴で覆われ、水滴は次から次へ
と新しいものに更新されていった。木野はそのガラス窓の模様の細かい変化を、とりとめのな
い思いで観察していた。その模様の向こうには、暗い街並みがあてもなく広がっている。ポケ
ット瓶からウィスキーをグラスに注ぎ、同じ量のミネラル・ウォーターで割って飲んだ。氷は
なし。廊下の製氷機まで足を運ぼうという気にもなれなかった。その生温かさが、彼の身体の
気怠さにうまく馴染んでいた。
木野は熊本駅の近くにある安いビジネス・ホテルに泊まっていた。低い天井、狭いベッド、
小さなテレビ、小さなバスタブ、ちっぽけな冷蔵庫。部屋の中の何もかもが小振りにできてい
る。そこにいると、まるで自分が不格好な巨人になったような気がするほどだ。しかし彼はそ
の狭さをとくに苦にも感じず、部屋に終日閉じこもっていた。雨が降っていたこともあり、近
所のコンビニエンス・ストアまで足を運んだのを別にすれば、一度も部屋の外に出なかった。
コンビニエンス・ストアでウィスキーのポケット瓶とミネラル・ウォーター、そしてつまみの
クラッカーを買った。ベッドに寝転んで本を読み、本を読むのに飽きるとテレビを見て、テレ
ビを見るのに飽きると本を読んだ。
それは熊本での三泊目だった。銀行の預金残高にはまだ十分余裕があったし、泊まろうと思
えばもっとましなホテルに泊まることもできた。しかし今の自分にはこれくらいが似合った居
場所だろう、そんな気がした。狭いところにじっとしていれば、余計なことを考える必要もな
いし、手を仲ばせば大抵のものに届く。それが木野には意外にありかたかった。これで音楽が
聴ければ言うことはないのだがな、と彼は思った。テディー・ウィルソン、ヴィック・ディッ
ケンソン、バック・クレイトン、そういう古風なジャズがときどき無性に聴きたくなった。堅
実なテクニック、シンプルなコード、演奏することそれ自体の素朴な喜び、見事なまでのオプ
ティミズム。今の木野が求めているのはそのような、今はもう存在しない種類の音楽だった。
しかし彼のレコード・コレクションは遠く離れたところにあった。明かりが消え、しんと静ま
りかえった「木野」の閉店後の店内を、彼は思い浮かべた。路地の奥、大きな柳の木。やって
きた客たちは休業の貼り紙を見て、あきらめて引き返していく。猫はどうしただろう? 戻っ
てきたとしても、出入り□が塞がれていることを知り、きっとがっかりしたことだろう。そし
て秘密めいた蛇たちはまだあの家を静かに包囲しているのだろうか?
八階の窓の真向かいにはオフィス・ビルの窓が見えた。いかにも安普請の細長い建物だ。朝
から夕方までのあいだ、真向かいのフロアで働いている人々の姿を、窓ガラス越しに眺めるこ
とができた。ところどころブラインドが閉まっているので、切れ切れにしか様子は見えないし、
それがどんな関係の仕事かまではわからない。ネクタイをしめた男たちが出入りし、女たちは
コンピュータのキーを叩いたり、電話の応対をしたり、書類の整理をしたりしていた。見てい
てとくに興味を惹かれる光景ではない。働いている人々の顔立ちも服装も、一様に凡庸だった。
木野かそれを長い時間飽きもせずに眺めていた唯一の理由は、とくに他にすることもなかった
からだ。そしてそこで木野がもっとも意外に思ったのは、あるいは驚いたのは、人々が時々と
ても楽しそうな表情を顔に浮かべることだった。中には大きな口を開けて笑っているものもい
た。どうしてだろう? そんな見栄えのしない事務所で一日働いて、面白みのない作業(とし
か木野の目には映らなかった)に追われて、どうしてそんなに愉快な気持ちになれるのだろ
う? そこには自分には理解することのできない大事な秘密のようなものが隠されているのだ
ろうか? そう考えると、木野はなぜか少し不安になった。
そろそろ次の場所に移らなくてはならない。できるだけ頻繁に移動し続けてください――カ
ミタにそう言われていた。しかし木野はその熊本の狭苦しいビジネス・ホテルから、なぜか腰
を上げることができなくなっていた。この先行きたい場所も、見たい風景もまるで思いつけな
い。世界は目印のない広大な海であり、木野は海図と碇を失った小舟だった。これからどこに
行けばいいのか、九州の地図を開いて探していると、船酔いのような軽い吐き気に襲われた。
木野はベッドに寝転んで本を読み、ときどき顔を上げ、向かいのオフィス・ビルで働いている
人々の姿を観察した。時間が経つにつれ、自分の身体が次第に重みを失い、皮膚が透き通って
いくみたいに感じられた。
その前日は月曜日だったので、木野はホテルの売店で熊本城の絵葉書を買い求め、そこにボ
ールペンで伯母の名前と伊豆の住所を書いた。そして切手を貼った。それから葉書を手に取り、
長いあいだ城の写真を無心に眺めていた。いかにも絵葉書に使われそうな型どおりの風景写真
だ。青空と白い雲を背景に堂々と聳える天守閣。「別名銀杏城。日本三名城のひとつとされて
いる」と説明にはあった。どれだけ眺めても、その城と木野のあいだには接点と呼べそうなも
のは見当たらなかった。それから彼は衝動的に葉書を裏返し、空白の部分に伯母にあてた文章
を書いた。
「お元気でしょうか? 最近腰の具合はいかがですか? 僕はまだこうして一人であちこち旅
を続けています。ときどき自分が半分ほど透明になった気がします。とれたての年影のように、
内臓まで透けて見えてしまいそうです。でもそれを別にすればおおむね元気です。そのうちに
伊豆に行きたいと思っています。木野」
どうしてそんなことを書いてしまったのか、木野にはそのときの自分の心の動きをうまくた
どれない。それはカミタに固く禁じられていたことだった。宛先以外、葉書には何ひとつ書い
ていけません。そのことを忘れないようにしてください、カミタはそう言った。しかし木野
はもう自分を抑制することができなくなっていた。どこかで現実と結びついていなくてはなら
ない。そうしないとおれはもうおれでなくなってしまうだろう。おれはどこにもいない男にな
ってしまう。木野の手はほとんど自動的に、葉書の狭い空白を細かく硬い字で埋めていった。
そして思いの変わらないうちに、ホテルの近くにある郵便ポストに急いで葉書を投函した。
村上春樹 著『木野』(文藝春秋 2014年 2月号 [雑誌] )
●豚肉の地産地消時代へ
農研機構が、 世界初、ガラス化保存未成熟卵子から子ブタを生産したことを公表。それによると、
ガラス化保存ブタ未成熟卵子の加温温度の最適化により、加温後の卵子の生存率が20%向上し、
胚盤胞期への発生率が1.6倍に向上したという。この手法で 世界初のガラス化保存卵子由来の子
ブタを生産し。卵子による保存が可能となったことから、ブタ遺伝資源の安定的な保存につながる
という。これまで、家畜では、精子・卵子及び胚の凍結あるいはガラス化による超低温保存が可能
なのはウシのみだったが、ブタは他の家畜に比べ特に生殖細胞の超低温保存が難しく、これまでは、
凍結精子により雄の遺伝資源を保存してきたが、最近になりブタ胚のガラス化による超低温保存が
可能となってきたが、ブタ卵子は低温傷害を受けやすいため超低温保存による雌の遺伝資源の保存
やガラス化保存卵子からの子ブタの生産は成功しなかった。
このように農産物の高度化(=農林畜水産業の高次化)が進めば、安全・安心な食糧供給が地産地消
化として実現とすると、わたしは考えている。採算性は問題ないのか?輸入肉と比べて割高にならな
いのか? この質問には、多少時間はかかるが実現可能だと答えるだろう。
●紫蘇スカッシュ試飲中
眼精疲労がひどいので、彼女が紫蘇エキス(煮込みエキスをとる)とクエン酸と砂糖、水で紫蘇濃縮ジュース
をつくり、これを炭酸水(市販のペットポトル入り)で割って飲む。朝食には、紫蘇濃縮ジュースと牛乳あるい
はヨーグルトを時折、混ぜ出してくれる。ストロベリー・ヨーグルトのような味がしてなかなか美味しいものだ。
なにより簡単に作れ、持続性は?だが、一時的に目がスカットし、体にもよいからこれはお勧めだ。コンピュー
ティングの仕事の方に、職場で事務所で、そして、ユアーホームで愛用してみてはどうかと考える。