夜7時半頃から披露宴会場に入場です。
確か500年ぐらい前の建物と聞いたように思います。
大きなカーブを描いた階段を上がった二階が会場で
奥に新郎新婦の席があり、全部で102席がセッティングされてました。
日本と違って、なんと、家族や親族の席が新郎新婦のまん前だった。
たぶん日本から訪れた親族は9名で、
新婦のお友達が外国からたくさん参列してくださり驚いた。
彼女が学生時代リトアニアに1年間留学したので、そのときの友人が1人で来てました。
シンガポールのリッツカールトンで勤務していた時の同僚グループが10名程度。
現在住まいとしているオーストラリアのメルボルンからも参列者いました。
日本からは親族以外で10名程度でしょうか。
友人たちはそのおかあさんや、友達と一緒だったりお連れがいました。
日本人の友人でたった一人でイタリアへ来た人はいなかったかも。
私もたった一人で参加する勇気も度胸もないなぁ~
残り60名ほどがイタリア人でしょうか。
外国での結婚式、皆さん自費でよくまぁ参列してくださったことに感謝と同時に、友人関係の広さにすごいなぁ~とこれも驚きでした。
いよいよ和装姿にお色直しして新郎新婦の登場。
妹や他の家族が手分けしてスーツケースに詰めて持ってきたのだった。
イタリアでは着付け担当者もいませんから、妹が着物を着せて、新婦の妹がメイクとヘアー担当です。
やっと新郎新婦が席について、さぁ~始まるぞ、
と思いきや、いつの間にかワインが注がれて各自勝手に飲み始める。
そして料理が運ばれてくれば、どんどん食べ始める。
式次第もなく、開会宣言もなく、乾杯の音頭もありません。
ココが始まりというけじめがありません。
新郎新婦は、テーブルで食事する間をめぐり、それぞれのグループごとに乾杯したり、談笑したり、一緒に写真撮影したり。
たぶん新郎のイタリアでの友人達でしょうか、常に盛り上がってます。
この調子では、「宴たけなわではありますが、ここで中締め」もありえないことになる。
せっかく持っていった半被…
このままでは披露する場所がない!
上着を半被に着替えて、そのグループのところへ行きました。
そして英語の単語を並べて、日本のハンドパフォーマンス、手打ちを説明。
伝わったかどうか分かりませんが、日本ではコングラチュレーションの場で手打ちするんだと言いきりました。
イタリア人にレッツ プラクティスを強制したあと、3回ほど大阪締めをしてきました。
明るい陽気なイタリア人は喜んで参加してくれました。
そのあと日本人のグループに新郎新婦がやってきた。
新郎のお父さんは日本人の江戸育ち、3本締めをしたいと思われていたようです。
広島からの参列者の提案で皆で5本締めを執り行いました。
私的には大阪締めのほうがラテン系であったと思います。
ほぼ料理も食べつくし、残すはデザートとなった頃、
サプライズがあるから中庭にでて欲しいと言われました。
中庭の木立の右側の窪んだところに、大きなプールがセットされ、
水は張られませんでしたが、ロデオの機械にサーフボードが。
新郎や、イタリア人の友人などがその上に乗り、みなノリノリで振り落とされてました。
広島からの参列者の日本人の若い男性もチャレンジしました。
しかしお酒を飲んだあとでぶんぶん振り回されて、あとでゲーッ でした。
お気の毒。。。
日本人親族の間で、こんなサプライズをセッティングするのに、たぶん30万円ぐらいかかるんちゃうか。
(イタリアの友人達からのプレゼントのようではありましたが)
なんかお金の掛け方、わかわからん…
深夜1時半頃、クレモナの街に戻るためのバスが来ました。
このレストラン会場があるアグリツーリズモに宿泊する、親族と友人の何人か、そして自家用車で来ているイタリア人達が残りました。
日本人はもうへとへとで、部屋に引き上げました。
いつの間にか自分が納得した時に終わりにしていくようです。
終わりはパーティ主催者ではなくて自分が作るのね。
夜半3時過ぎるまで生バンドの音や騒ぐ声が聞こえていたので、現地の人たちはそれまで楽しんでおられたのでしょう。
夜通しでパーティできるイタリア人たちはパワフルです。
このパワーをイタリアの財政難克服に活かされるといいのにね。