秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

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石山寺の如意輪観音と比良明神

2010-11-28 | 古代史のミステリー
石山寺の東大門から参道をしばらく行くと、拝観料500円を支払う関所があります。
入ってすぐに、4本の竹としめ縄に囲まれた一見井戸のような場所があります。
 

立て札をアップしてみると
 

昔このあたりが琵琶湖の湖中だった頃、比良明神が釣り糸を垂れていた石だそうです。
今はそれが石垣で覆われています。

比良明神も影向石も初めて知った言葉だったので調べてみました。
まず影向石は、ようごういし と読みます。
神仏の降臨した岩石の意、
神が降臨する際に御座(みくら)とするといわれている石のことです。

続いて、比良明神ってどんな神様か?
白髭神(しらひげのかみ)と呼ばれ、琵琶湖が葦原になるのを7度見たという。
いわば日本列島の形成とともにあった神だそうだが、イマイチよくわからなかった。

石山寺縁起には、次のように書かれています。

「聖武天皇は東大寺大仏に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。
そこで聖武天皇の命を受け、東大寺の開山・良弁は吉野の金峯山で『金をおあたえ下さい』と祈った。
すると良弁の夢に吉野の蔵王権現が現われて次のように告げた。
『金峯山の黄金は、56億7000千万年後に弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うためのものなので、大仏鍍金に使うことはできない。
近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩が現われる土地があるので、そこへ行って祈るがよい』

良弁は、夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた。
良弁は比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し草庵を建てた。

その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され元号を天平勝宝と改めた。
ところが如意輪観音像が岩山から離れなくなってしまったので、如意輪観音像を覆うように堂を建てた。
これが石山寺の草創である」

本堂の中央の塑造如意輪観音像は761年から制作され、胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたそうだ。

石山寺の本尊・如意輪観音半跏像は秘仏のため厨子におさまり普段は見れません。
33年に1度開扉され次回は2016年です。
ただし天皇陛下即位の翌年春、天皇皇后両陛下行幸行啓には公開され、
去年2009年も「西国三十三所結縁総御開帳」で特別に開帳されました。
その時の画像を検索でもらってきました。

  

その像内からは奈良時代の金銅仏4体、水晶製五輪塔などが平成14年に発見されました。
内陣拝観券300円で、その胎内仏が特別拝観できました。