秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

海龍王寺と藤原氏

2016-04-08 | おでかけ・近畿




海龍王寺到着 12:28撮影
不退寺からぷらぷら歩いて25分ほどかかりました。






同行の友人はこちらの十一面観音さんが大好きで何度か拝観してるそうです。











海龍王寺のサイト 歴史と由来 より引用

「710(和銅3)年 平城京に都が移された時、藤原不比等がここに邸宅を構えるにあたり、付近一帯を治めている土師氏から土地を譲り受けた際、土師氏ゆかりの寺院がありましたが、寺院を取り壊さなかったので、邸宅の北東隅に残ることとなりました。
720(養老4)年 藤原不比等が亡くなり、娘である光明皇后が邸宅を相続したので、邸宅は皇后が起居する皇后宮となり、北東隅の寺院は『光明皇后宮内寺院』となりました。
731(天平3)年 遣唐留学僧として唐に渡っていた玄の帰国をひかえ、無事に帰国を果たし最新の仏教・仏法を我が国に伝えることを願われた光明皇后は『皇后宮内寺院』の伽藍を整えられます。隅寺(海龍王寺)としての歴史は、ここから始まりました。」

続きは→こちら


玄と海龍王寺より引用
宮子は藤原不比等の娘で、聖武天皇出産後に療養していたのは藤原不比等邸内であった。そして海龍王寺の立地が藤原不比等邸の北東隅であることなどから海龍王寺が内道場であったのではないかとする説もある。そう信じたいがその確証は残念ながら無い。 」

「玄が太宰府で没してから丁度20年後の天平神護2年10月20日、この海龍王寺の毘沙門天像から仏舎利が出たと時の称徳天皇に報告される。
・・・中略・・・
こうした朝廷の政治に深く関わる事件がこの海龍王寺を舞台にして行われたことは、この海龍王寺が当時の朝廷にとっても何らかの特別の意味を持つ寺院として認められていたからであろう。 」

道鏡と海龍王寺 の中抜きした部分は →こちら



個人的には、こちら元藤原邸より、不退寺の元在原邸のほうが好き。