秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

ツクヨミ尊は、月夜を見、月を読む、同じようでいて実は…

2022-11-23 | 古代史のミステリー
けっこう降りしきる雨の中、月夜見宮へ。



2013年遷宮の翌年春に来た時はもっと雨風強かった。


春の嵐に、記憶に残る伊勢参り - 秋麗(あきうらら)

天気予報では雨風強い春の嵐になるが午後からあがるということで、思い切って予定通り出かけることになりました。遷宮後の旧宮は今月いっぱいで、新宮と二つ並んだ状態は20...

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あの時に比べればマシ。
でも傘さしての参拝は写真どころじゃない。

鳥居の奥が暗くてわかりにくいですが、真っ直ぐに参道伸びてません。
通せんぼするみたいに石積みが遮ります。
直角に2度曲がります。
お城で言えば枡形の防御仕掛けだそうです。
 


言い伝えでは、
月夜見宮入口の石垣の一つが、夜になり月夜見尊が鞭を当てると白馬と化す。
その白馬に跨って月夜見尊は夜な夜な外宮へ通うそう。
人々は夜この道を通ることを避け、やむを得ず通る場合には神の馬に触れないように、道の端を歩く。








社殿を横から写しました。
屋根の千木や鰹木から御祭神ツキヨミ尊は男神ですね。

毎晩白馬に跨り外宮へ通われたという伝承。
神さまの世界にもいろいろあるんですね〜


別宮・月夜見宮:斎王 05

別宮・月夜見宮:斎王 05

伊勢神宮別宮の「月夜見宮」と外宮「豊受大神宮」を結ぶ道を「神路通」(かみじどおり)と言います。 夜になると「月…

偲フ花

 
こちらのブログによりますと、

富家の伝承が伝えるところでは、外宮は、もとは「月読みの神」を祀っていたと云います。
やがて度会氏が外宮に宇佐の豊姫を「豊受大神」(トヨウケノオオカミ)として祀ったので、
月読みの神は当地に遷座したそうです。





左奥のお稲荷さんの老木根元が焦げてるのは、戦争末期の空襲で焼夷弾が落ち燃えたんだって。




手水舎脇の楠大木は、幹周り太さからして生き延びたんですね。


空襲の記録探してみました。

第二次世界大戦終戦間際の全国的空襲は、神都である宇治山田にも及んだ。

1945(昭和20)729日午前1時頃、宇治山田市街地に6ポンド油脂焼夷弾1万数千発も投下された。

アメリカ軍の資料によると、この時B-2993機で焼夷弾734.6tの攻撃を仕掛けたとされる。

被害は市街地面積の5割に及び、全戸数の34,517戸を焼失、総人口の35%22,600人が罹災した。

月夜見宮は、周辺の住宅がすべて焼失した中で、軍隊による懸命の消火活動と、萱葺屋根に突き刺さった焼夷弾が不発だったため、

社殿だけが焼け跡に建っているという状態。しかし宿衛員嘱託は空襲で命を落とし宮掌が大火傷を負った。



なんかすんごい御神威ですね。


月夜見宮

由緒は定かではないが、古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ、農耕の神を祀る神社であったという。

927年の延喜式では外宮摂社の首位とされた。

『止由気宮儀式帳』では「月讀神社」、

『延喜式神名帳』では「月夜見神社」、『伊勢大神宮式』では「月夜見社」と記載。

1210年別宮に昇格した。

明治になって、同じくツキヨミの神様祀る「つきよみのみや」は、

外宮別宮は「月夜見宮」、内宮別宮は「月讀宮」と表記するようになった。



同じツキヨミ尊をお祀りするのに、なんで名前あえて変えるんだろうと思ってました。

もともと「月読」と「月夜見」はそれぞれ別々の氏族に祀られていた別神で、

外宮の月夜見宮は度会神主によって祀られ、

内宮の月読宮は中臣氏が祀るものだったようです。

古くからその区別が付かなくなってしまい、100%納得できる答えはないそうですが。


やっぱり異なる説あるんだ!


古代より、月を読む、月を観測して暦を定め、農事を占う専門家もいました。
吉凶を占うことにも通じます。
月を読むことを専門とする職能者は、
亀卜の神に仕える神主か巫女のような存在だったのではないかという説も。


先にリンク貼らせてもらったブログには、こんなことも書かれてました。
月神はもともと、びっくりなこと引用コピペさせてもらいます。



月神はもともと宇佐の豊玉姫が祀る神でした。
月には兎がいると信じられていたので、その場所が「宇佐」と呼ばれるようになったのだとか。
当時は太陰暦で、稲作や様々な祭り事が月齢を頼りに決められていました。
つまり月で暦を読むので、「月読みの神」と呼ばれるようになったのだそうです。

豊玉姫の後を継いだ豊姫は、物部イクメ王の東征軍に加わり、
大和の三輪山の麓「大和笠縫村」で月読みの神を祀る姫巫女となりました。
そこで民衆の人気を得た豊姫自身を、月読みの神と呼ぶ一部の人もいたと云います。

記紀の日本神話において、豊姫は「豊鍬入姫」(トヨスキイリビメ)と表記され、
天照大神の御神体を遷宮した、最初の斎王としていますが、
実際は太陽の女神を祭祀することはなかったのです。