秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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あかる姫を追いかけて④

2025-02-04 | 古代史のミステリー
1-27あかる姫を追いかけて③ 続きです。

あかる姫を追ってきた夫の天日矛(アメノヒボコ)
渡辺の津まで来るも彼女に会えなかった。
その時あかる姫は何処にいたのでしょう?


ブログった27日の人気記事として、以下が上がってたんです。
2015-1-14
あかる姫の続き書くにあたり、
淀川を遡る前に、ココに注目
という神さまからのメッセージ😮 かもね。

あかる姫は、西淀川区の姫島に長く留まらず移動した先は、
住吉や平野辺りだった?
というわけで淀川中上流で続き書くつもりを変更します😅



大阪湾古地図で、桑津が載ってるの探しました。
弥生時代(2000年前)の大阪平野=「趙・松田2003」から

引用サイトは、


2014年のブログに載せた地図は
CとDの間あたりにあります
桑津天神社(くわづてんじんじゃ)
祭神は少彦名神ほか
大阪市東住吉区桑津にあり、かつて河内湖のほとり、港があったので津という

創建年代は不詳。
口碑によれば、当地を桑津と言うわけは髪長媛がここに桑樹を養い、
糸をとって織物をなしたので、髪長媛を織媛と言う。
後に媛が病気になった時、少彦名神に祈って回復したので、
その縁故があり、後世少彦名神を勧請して氏神として奉祀したのが由縁。

『日本書紀』(応神紀)に、日向国の髪長媛は国中の美人だと天皇が聞いて、媛を召されて摂津国桑津邑に置いた。
この媛を皇子の大鷦鷯尊が目にしてその美しい容貌に心を引かれ、天皇は大鷦鷯尊に与えたとある。


Dあたりの「喜連」は平野区です。

あかる姫の記録残してますよ〜
2015-7-26


古代大阪の変遷は以下にも詳しい⤵

約1800~1600年前
天満長柄の砂州が北へ延びきって、
河内平野(河内潟)への海水の流入をさえぎり、河内潟は淡水湖に


5世紀以降
仁徳期の治水事業により、河内湖の水域が減少するとともに、
流入している大和川枝川等が河口に三角州をつくる
そして湿地・草原あるいは堤防敷となり、その後、河内低地の陸地化が始まる



まだまだ続く