秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

ハマユウ ハマオモト

2020-06-14 | 四季折々・色とりどり
ブロック塀から白い花がチラッと見えました。
昔、ギズモと出逢ったのはこの塀の前だった。
その低い塀内覗き込んで写真撮った。


ハナノナアプリで確かめる


これがハマユウかぁ。

念のためGoogleレンズでは



家に帰って確かめた。

ハマユウ
名の由来は、花が木綿(ゆう)のように白く垂れることからきている。
木綿(ゆう)というのは、神事のとき榊につけ垂れ下げたもののことである。
 別名を浜万年青(ハマオモト)という。
これは、葉が厚く万年青(オモト)に似ているところからきている。
 宮崎県の県花に指定されている。 俳句の季語は夏である。

万葉集にもでてきます。
柿本人麿の歌

み熊野の浦の浜木綿百重なす
心はおもへど直に逢はぬかも

海岸沿いの砂地に生息し日本原産。
人麿は熊野へ行ったことあったんですね。

Googleレンズで出てきたインドハマユウは


インド原産のハマユウはユリのようにみえます。
日本のハマユウは繊細な花びらで
ずいぶん趣き異なります。
まさに神道の白いひらひらたれる布のよう。

ゆふは、コウゾなどの樹皮を細く裂いてつくり、古代から神事に用いられました。

女優浜木綿子さん、香川照之さんのお母さんですが
子供の頃に「はまもめんこ」と読んでました(^^)





10 コメント

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万葉集の花 (ミミー)
2020-06-15 23:27:44
浜木綿の花、たおやかで楚々としたたとたずまいですね。私も高校時代、超内気で物言えない性格でしたので(家が貧乏で、友人たちと付き合いができなかった劣等感でしょう)、好きな人ができても、心に秘めていたので、ちょうどこの歌を愛唱していました。思い出の歌です。大学、4回生で万葉集の比喩表現という主題で、卒論書くことになるとは思っていませんでした。
人麿については、故梅原猛さんの「水底の歌」だったかな、人麿は罪を得て水死させられたという説で、和歌の由来も含めて、ユニークな論を展開されてました。昔は愛読してたのですが、母の没後は弟一家に家をだんだん整理するよう言われて、大きな本棚も多数の書物も整理処分されてしまいました。その時、「水底の歌」も処分しましたので、今は中身はうろ覚えです。世間では断捨離が勧められてますが、寂しいものです。
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ミミーさんへ (ulala)
2020-06-16 11:02:42
ハマユウに、ちょっと切なくて卒論にまで繋がる思い出おありだったのですね。
柿本人麻呂は、古代史のミステリー追いかけてると、いろんな地で人麻呂歌碑に出くわします。
人麻呂は古代史の秘密知ってた不思議な存在だと思ってました。

『水底の歌』は読んだことないのです。
政治犯として石見の国に流刑になり水死したのではないか、という梅原仮説ですよね。
有名なので断片的に知ってましたが、今改めてWikipediaみると、
「柿本人麿は柿本猨(さる、別名:猿丸大夫)と同一人物であり、地位も春宮大夫で天皇の側近くにある立場であった説」

猿丸太夫、知りませんでした。

出雲に熊野大社ありますよね。
その神社ある熊野が石見の国に含まれるのかしら?
「み熊野の浦の浜木綿百重なす…」
この歌に出てくる熊野は、紀国かなと勝手に想像してました。

石見国と紀の国では、白いハマユウのもつイメージがずいぶん違ってきますね。
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古代は謎 (ミミー)
2020-06-18 00:38:49
「令和」の名付け親の中西進氏も人麿水死説だったと思います。影響を受けた作家の井沢元彦さんが「猿丸幻視行」というミステリー小説を書いてます。これも読みましたが、うろ覚えで書けなくてすみません。昔は新刊書でしたが、今ならBOOKOFF行ったら、文庫本だったら100円で売ってるかも。歴史学会では、この説は承認されてませんが、確か私の亡くなった恩師…万葉集の偉大な先生も、個人的には、人麿水死説に賛同されてたような気がします。
人麿の有名な「石見のや 高角山の木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか」という、赴任先の石見の国(現在の島根県の西半分)から大和へ戻る際に石見の現地妻を思って詠んだ長歌の反歌(長歌は省略します)という解釈も、実は罪を得て石見の国に流されて、罪を得て生きて帰れない人麿の辞世の歌だと思ってました。
島根県の熊野大社も古式ゆかしい神社ですし、ここの浜木綿の花との関連があれば面白いですが、島根県の方は海岸近くではないのでは…調べてなくてわからなくてすみません。紀伊國のほうが情緒ありますが。
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ミミーさんへ (ulala)
2020-06-18 10:35:48
「猿丸幻視行」も面白そうですね。
今はタブレットとかで拡大して見れる時代となり、老眼鏡かけて本読むのが苦痛になりました。

以前から、猿丸は気になってまして、
蝉丸と一緒に記事にしました。
https://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/59c8ff588d8df08e161b761482c72fe1

蝉も猿も、名前を出せないで貶めるように命名。
けれど見た人の心に残り調べたくなる、これが狙いでしょうか。
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続きです。 (ミミー)
2020-06-18 21:19:22
紀の国の熊野大社も山中だし、石見の国(島根県)の熊野大社も山中でも、そこの国の浦(浜辺)の浜木綿ととったらいいわけですね。ただ時代が、石見の大社の創建が、851年に初めて従三位の位をもらったという記録は有りますが、創建はいつかわからないです。元明天皇の和同元年(708年)に、4月20日の項に柿本猨(かきのもと の さる)…本人かどうか?の死亡記事があることから考えたら、時代が違いますね。。
歌に「み熊野」とあるからには、すでに神社が創建されてなければならないでしょうね。とすれば、素人考えでは「み熊野」は紀州の公算が強いかな。
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ミミーさんへ (ulala)
2020-06-19 12:59:06
柿本人麻呂のWikipediaの注釈に、

人麻呂が石見国で死んだというのが虚構だとするのならば、なぜ人麻呂が石見国に結び付けられたのか(または人麻呂自身がなぜ石見国について取り上げたのか)、その理由について説得力のある説明は未だない。

謎は謎として、平城京遷都までには無くなってる可能性に一票!

和歌山の熊野を旅してこのブログで記録残す際に、よく参考にさせてもらうサイトが、「み熊野ねっと」

なんで「み」が付いてるのか。
「み」にはその土地に対する畏敬や憧憬の念が込められ「み」は神のものを表わす接頭語。
「み」が冠された地名は古代では「み熊野」「み吉野」「み越路」。
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ありがとうございます (ミミー)
2020-06-20 01:44:17
おざささんのブログでは、いろいろためになることが多く感謝しています。お花の写真も美しく、心なごみます。

うちの亡くなった母も、よく冗談で浜木綿子さんを「はまもめんこ」と言ってました。

この後の記事の「理」さんのお料理、すごくおいしそうで、食べに行きたいです!
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ミミーさんへ (ulala)
2020-06-20 07:08:45
ちっちゃい頃から好奇心旺盛なのが目がキラキラに現れてると言われてました。
不思議だな何でかなと思う心を大事に育みますわ。
老化防止にお付き合いありがとうございます。
ご訪問いただけ、コメントいただけることが継続の励みになります。

さて、十割蕎麦「理」さんは、京阪守口市駅から徒歩数分。
線路沿いで電車の中から次の土居駅までの間に見えます。
県をまたいでの移動解除になりましたからぜひご一緒しましょう。
月曜は定休日です。
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ぜひご一緒に (ミミー)
2020-06-21 01:00:20
お誘いありがとうございます。おいしいおそばが食べたいです。7月は祇園祭もないので(疫病退散の祈りを込めて、鉾が建てられたらいいのですが、三密になるから無理でしょうね)、そちらへ伺いたいです。その次は、懸案の中之島の「ノガラッツア」にご案内しますね。この5か月、おいしい外食しなかったです( ;∀;)
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ミミーさんへ (ulala)
2020-06-21 18:47:52
今年こそ祇園祭に案内してもらおうと思ってましたのに。
疫病退散で、密にならぬよう工夫してやってほしかったですね。

蕎麦は、大阪へ来られるついでで、いつでもどうぞ。
お昼の日替わり蕎麦ランチは千円でお手頃ですよ。
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