![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6f/63e3a945ea4a6151728c1caf96e17bc6.jpg)
昨日は月末だったけど、九度山での研修お誘いうけて二つ返事。
高野山麓で防寒対策しっかり準備したのに、とてもよいお天気に恵まれ気温も高かった。
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市役所から38名乗車、大型バス満席でした。
配布された資料によれば、
「大石順教尼から人権を考える」という現地研修会^^
単なる観光じゃなくて、人権協会主催です!
九度山といえば、大河ドラマ真田丸で、真田ミュージアムの展示最終日でもありましたが、これは後ほど。
二班に分かれてのフィールドワークで一番最初に訪れたのが旧萱野家。
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門の前で、ボランティアガイドさんに案内されて、目の先には
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高野山につながる山々、左側に高野山の奥の院とか聖地で写真撮ったつもりがなかった。
残ってたのは、足元のマンホール。
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大石順教尼記念館では靴を脱いで上に上がり、まずDVDを視聴。
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館長さん自らが補足説明してくださいました。
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その方が書かれた座右の銘。
人権教育よりも、今の私にヒットしました。
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大石順教尼(本名:大石よね)さんは17歳のときに、養父の狂乱の犠牲となり両腕を切り落とされるという災厄に遭遇。
口に筆とりて 書けよと教えたる 鳥こそ われの師にてありけれ
カナリアが嘴で雛に餌を与える姿を見て、両手がなくても口で筆を使えることに気づかれたそうです。
昔、俳画を何年間か習ってて年賀状とか手描きしてました。
手をつかってもこんな上手にかけなかった。
この境遇を克服して芸術でもすばらしい作品を残され、障害者教育でも力を注がれた。
九度山に人権啓発のこうした場所があるとは、昨日まで知りませんでした。
私は「くどさん」と読んでいましたが、「くどやま」なんですネ。
座右の銘、そうなんだと心に残りました。
逢うべき人には必ず逢える…ulalaさんと私は逢えるのかしら(❤)。
mariさんとは直接お目にかかることなくとも、ネットを通じて合い通じるものがあると信じています。
四天王寺の庚申で初コメントいただいた2012年4月、もうすぐ5年になりますね。
大阪と奈良の県境に葛城山・金剛山があり和歌山にかけて紀伊山地とつながっています。
東から南東、南側の山麓で柿が名産となっています。
そのダイヤモンドトレイルを役行者が山伏として納経の巻を納めた最後が槙尾山。
去年春に西国33所で参詣し記録残してますが、その槙尾山へ弘法大師は月に9度通ったから九度という地名由来に。
この記念館を見学後対面石を見たのでそこで書こうと思ってます。
(真田丸の時には気が付かなかった)
検索(やっと検索)してみましたら、行ったことがありました。
弘法大師の母堂が息子に会いたさに暮らしていたお寺で(当時高野山は女人禁制だった)弘法大師も月に九度会いに来たと聞きました。
四国遍路打ち終わったお礼に高野山に行く途中お参りしたお寺でした。
大石順教尼の壮絶な話はどこかで聞いて知っていましたが、当時記念館はなかったです。
これらの事が私の血肉になっていたらいいのですが、
どうやら記憶の彼方へ行ってしまったようです(恥)
当時はただただ順番にお参りしただけで、真田の九度山もよくわかってなかったです。
その慈尊院は、空海が高野山で必要な物資を調達するための政所として作られたようです。
九度山の駅から坂を上っていく途中の真田のみちエリアから、丹生川を越えたところに道の駅があり、さらに10分ほどの距離に慈尊院があります。
弘法大師が母上に会いに九度、というのは明治以降にできた伝承らしいです。
大事なお言葉で、これはお金でどうにもならない所がまた素敵ですよね。
丹生川見えるんですね?そこもかなりかなりかなり響きました。毎回自己中でピンボケですみません。柿も気になりますね。
鳥のようにというのも今年ぴったりです。
私も手が不自由で口に筆を挟んで描いた絵の本がうちにあったはず、探してみます。はや15年は過ぎていそうどこにあるのか?複数そういう方が活躍しているんでしょうね。私も絵が描きましたが凄いレベルの方が多いはず、色々な経験やご苦労はおありで今に至っているようですが、そもそもそれほどの才能がおありで更に努力を積み重ねた証なのでしょうね。お名前の字も興味深いです。
いいパワーが流れている場所なのでしょう。
人間は人の繋がりで苦境から出れる、人とのコミュケーションを絶ってしまったら一人で乗り越えられないこともありそうですね。絶妙の時期に会えると思うとなんだか不安もなくなり、また準備の目も持てそうです、ご紹介ありがとうございました。6570