A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【私のB級サイケ蒐集癖】第15夜:吉祥寺で生まれた二枚の地下音楽ライヴ盤『OZ DAYS LIVE』『愛欲人民十字劇場』

2018年07月27日 02時24分50秒 | 素晴らしき変態音楽


筆者が裏日本の小京都と呼ばれた石川県金沢市から家族で東京に引っ越してきたのは1977年3月末中学3年に進級する年だった。練馬区関町の畑が残る町並みは、想像していた大都会東京のイメージとは異なり、金沢よりも田舎びて感じられた。しかし中学に編入し少し経つとロック好きの友人も出来て、一緒にレコード屋に遊びに行くようになった。最寄り駅の武蔵関にはレコード屋はなかったが、隣の上石神井には小さなレコード店があり、たまに足を運んだが、筆者が欲しかったドクター・フィールグッドやジョニー・ウィンターは置いていなかった。そこでバス通りを自転車で20分走って吉祥寺まで遠出することが増えた。当時はパルコもヨドバシカメラもなかったが、華やかなサンロード商店街や東急と近鉄の2つのデパートがあり、都会へ来た実感が湧いたものである。小遣いが少なくレコードはめったに買えなかったが、南口のレコード・プラントの2階の輸入盤コーナーでジョニー・ウィンターやセックス・ピストルズのLPを購入した。リスニング・ルームがあり、買ったレコードを高級なオーディオで試聴する事ができた。アメリカ盤の音は透明感と開放感があるように感じた。

高校に進学すると通学帰りや休日に吉祥寺でレコード屋廻りをするのが楽しみになった。西友裏のビルの地下にあるジョージアJr店はパンクやニューウェイヴが充実していたのでお気に入りだった。そのビルの向かい側に「赤毛とそばかす」というロック喫茶があった。ロックのレコード・ジャケットが飾られタバコの煙でよく見えない暗い店内には、いつも常連と思しき長髪にひげの男性グループがいて何やらボソボソ小声でおしゃべりしていたが、時折曲に合わせてテーブルを叩いたり大声で歌ったりして騒ぐこともあった。高校生の筆者はそれを見て、大人のロックマニアはこういう店に屯するものか、と思ったが自分がそうなれるとは思えなかった。だから次第に会話お断りのジャズ喫茶のほうが好きになった。

79年高校2年のときに『東京ロッカーズ』と『東京ニューウェイヴ』がリリースされ衝撃を受けた。フリクションやミラーズ、SEXが名前を変えたSYZEや自殺を観にライヴハウスへ通い始めた。最初に行った荻窪ロフトで観たSYZEがMCで「次のギグは吉祥寺マイナー」と言っていたので1週間後にマイナーへ観に行った。ビルの上ににある小さなスペースで、芝居小屋風のベンチが並ぶ店内はロフトに比べて質素な感じがした。開演間近になってもドリンクの注文を取りに来ないので、店員と思われるお姉さんにコカ・コーラを頼んだら、えっほんとにオーダーするの?と尋ねられた。今思えばその女性がオーナーの佐藤隆史氏の奥さんの渡辺敏子さんだったのかもしれない。その後数回マイナーに通った。フリクションとSYZEの対バンのときは、最初に出たフリクションのレックのヴォーカルが殆ど聞こえず残念だった。しかしトリのSYZEの伊藤耕の歌は歌詞まではっきり聞き取れた。今思えば東京ロッカーズを快く思っていなかったスタッフがわざとレックのマイクのヴォリュームをオフにしたのではないだろうか。山崎春美の話では「マイナーは東京ロッカーズと喧嘩しているから出演しない」と電話してきた関西NO WAVEの女性アーティストがいたという。

82年大学に進学してから吉祥寺ぎゃてい(GATTYと表記される場合もあるが、筆者が出入りしていた頃は「ぎゃてい」と平仮名表記が多かった)でバイトしつつライヴ出演をしていたが、次第に大学の方が忙しくなり吉祥寺のライヴハウスに足を運ぶ回数は減り、就職後のバンド活動は高円寺20000Vや下北沢屋根裏がホームになった。とは言っても89年に結婚してからも吉祥寺~三鷹周辺に住んでいて、昨年まで実家が吉祥寺にあったので、この街は常にホームタウンだった。若者に人気の街と言われて久しい吉祥寺は、実はディープな日本地下音楽のメッカでもあった。そんな吉祥寺でレコーディングされた知る人ぞ知る2枚のレコードは筆者が折に触れてターンテーブルに乗せる地下サイケのエヴァーグリーンである。

●OZ DAYS LIVE
OZ Records ‎– OZ-1,2 (Aug 1973)


1972年6月に開店し1973年9月に閉店したロックハウス「OZ」の閉店を前に店内で録音されたライヴLP2枚組3,000円で1,000セットの限定盤。。アシッドセブン、都落ち、南正人、タージ・マハル旅行団、裸のラリーズっを収録。日本のサイケデリック・ミュージック史に名高い裸のラリーズとタージ・マハル旅行団が一枚のLPの表と裏に収録されていることが奇跡。フィードバック・ギターからセンチメンタルなヴォーカル・ナンバーまで魅力を網羅したラリーズ・サイドの素晴らしさは、彼らの数少ない公式リリースの一つとして限りなく愛おしい。ロックンロールの都落ち、アメリカン・ロックのアシッドセブン、ヒッピー・フォークの南正人もそれぞれの在り方で当時の日本のサイケを象徴している。
無頼横町

●愛欲人民十字劇場
Pinakotheca ‎– PRL#1 (1980)


1978年3月開店し1980年9月に閉店したフリー・ミュージック・ボックス「マイナー」で通常営業のあと夜10時から開催されたライヴ・シリーズのライヴ録音(一部別の会場での音源あり)。収録アーティストは、
A1. 白石民夫、2. 佐藤隆史、ヤタスミ、石渡明広、篠田昌巳、3. ハネムーンズ(佳村+天鼓)、4. 横山宏+芝淳子、5. 板橋克郎+吉沢元治、6. ガセネタ
B1. 灰野敬二、2. ヴェッダ・ミュージック・ワークショップ、3. キノ / リュウチシンゾウ、4. 田中トシ+後飯塚遼+ニシャコフスキー、5. マシンガン・タンゴ(工藤冬里+菅波ゆり子+小沢靖+白石民夫+ヤタスミ+佐藤隆史)
70年代後半に出現した東京地下音楽の代表格が集結した異端の極地は、時代と意思が生んだ想念の奇跡を表している。参加アーティストの半数以上が現在も日本の地下音楽を担っている事実こそ、このアルバムの存在意義と言っても過言ではない。

気違ジョージ
地下精神の
サイキック

コメント (8)
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