11月11日の盤魔殿vol.19でのDJ Paimonによる日本のアシッドなフォークを中心にしたDJプレイは秀逸だった。南正人、浅川マキ、休みの国、溶け出したガラス箱 、遠藤賢司、ガロ、裸のラリーズ、早川義夫。これらのアーティストは80年代末〜90年代にかけてのCD再発ブームの中で「再発見」され「日本にこんなにヤバい音楽があった」と一部で話題になったものだ。それは丁度、米英ヨーロッパを中心にB級どころかプレス枚数100枚以下の誰も知らないサイケやプログレのレコードまでもがCD化され、新譜以上に新鮮なトキメキを与えてくれた時代にシンクロした流れだった。
Tokedashita Garasubako — Anmari Fukasugite
⇒【完全セットリスト+MIX音源公開】盤魔殿 Disque Daemonium 圓盤を廻す會 vol.19
同じ時期にPSFレコードで新録が次々リリースされた三上寛と友川カズキ、非常階段のJOJO広重らがスラップ・ハッピー・ハンフリー名義でカバーした森田童子や、同じく広重がブログで熱烈に推薦した佐井好子など、地下音楽愛好家の心をくすぐるフォーク歌手が紹介された。渚にてやマヘル・シャラル・ハシュ・バズ、朝生愛といったアコースティック系地下音楽家も活動した90年代地下音楽シーンは明らかに昭和フォークのリベンジがあった。だから、フォークと名のつくものをすべて毛嫌いしていた80年代に比べ、90年代には筆者のフォークアレルギーがある程度治癒されたのは確かである。しかし、それはあくまでモダーンミュージックに置いてあるようなアンダーグラウンドなフォークに限ってであり、例えば当時ヒットしていた渋谷系、特にサニーデイ・サービスのルーツとして再評価されたはっぴいえんど等には興味はなかった(サニーデイは好きだったが)。ましてやかぐや姫やグレープ他のメジャー系フォークには敵意もない代わりに一切関心も持たなかった。
Slap Happy Humphrey - みんな夢でありました
21世紀に入り、2002年に深夜のカラオケまでの時間つぶしのつもりで高円寺ショーボートに観に行った不失者(灰野敬二+小沢靖)に、衝撃というより鈍痛のような疑問と好奇心に取り憑かれ、地下音楽現場に再び通いはじめた。それに伴い音楽的嗜好は、サイケ/ガレージロック/フリーミュージック/エクスペリメンタル/コンテンポラリーミュージックetc.と先鋭化する一方。中古レコード店のノイズアヴァンギャルドセールに早朝から並び、ヤフオクやebayでアヴァンギャルドのレア盤を万単位で競り落とした。そのうちにガールズガレージや地下アイドルの世界に親しむようになったが、好みは電波系、暗黒系、ニューエイジ・ポップやシューゲイザーやメロディック・エレクトロニカ、さらに暴れまくりPunkRockアイドルといった極端な傾向を賛美するばかり。
Maison book girl / 夢 / MV
そんなカタワ音楽愛好家の筆者が「100フォークス」を提唱するに至ったきっかけは、今年2月に吉祥寺ココナッツディスクで見つけた『片便り』というLPだった。厚紙の見開きジャケットに大判カラーポスターが封入された豪華な装丁の、ちょっと寂しげな美少年の風貌と「落ち葉に綴る」というおとめちっくなキャッチコピーに高校時代密かに愛読した雑誌『りぼん』に掲載されていた小椋冬美の純愛漫画を思い出した。1952年生まれのシンガーソングライター佐藤公彦(愛称ケメ)が1975年にリリースした6作目のスタジオ・アルバム。アメリカ旅行の印象を歌った1曲目『西海岸へ続く道』の洗練されたウェストコーストロックに男の哀愁を感じる。薄く流れるストリングスはメロトロンのように聴こえる。アイドル風のルックスに似合う甘い声が、アルバム全体の落ち着いた曲調とブルージーなメロディに不釣り合いで異端な味わいを加えている。それは性徴する身体を持て余す少年の憂鬱であり、思春期を過ぎてから廚二病を患ったピーターパンの手掻きの絵日記帳である。
Nishikaigae tsuzuku michi
俯いた瞳の先に見つめるのは、ゲーテ著『若きウェルテルの悩み(Die Leiden des jungen Werthers)』か、はたまたアポリネール著『若きドン・ジュアンの冒険(Les exploits d'un jeune Don Juan)』だろうか。かたや禁断の恋に絶望した自殺者、かたや奔放な性の快楽の追求者、いったいどちらを選ぶのか?しかしこのアルバムでのケメは、常に浮かない表情で独り言を呟き続けるだけ。心に秘めた本当の欲望を隠し通す決意をしている。その意味で本作は歌い手と聴き手それぞれからの「片便り」であり「片思い」だと言えるだろう。両者の心がすれ違うからこそ、相手に投影する欲望に限界はない。高校時代に小椋冬美を読んで夢精した運命の長い髪の美少女との出会いが、未だに訪れないまま30余年を過ごしてきた筆者の人生に、救いの光と影をもたらしてくれる歌との運命の出会いだった。他のアルバムには本作ほどの鈍痛を覚えることはないが、どれもケメの耳障りのいいスウィートヴォイスが、心と身体が濡れるような潤いを与えてくれる。こんな出会いこそ「100フォークス」の醍醐味なのである。
メリーゴーランド 佐藤公彦
次回から
自分語りを
減らします
⇒【100フォークス (One Hundred Folks)のススメ】第1回:パンクとフォークの発火点〜かつての敵・フォークソングを巡る自分語り。