スリッツの映画を観て最初に頭に浮かんだ日本のガールズバンドが水玉消防団だった。男性上位のロック界で強い女性像を体現したと言う意味では、日本版スリッツと呼べるかもしれない。しかし水玉消防団を「ガールズ」バンドと呼ぶのは今ひとつしっくり来ない気がする。2ndアルバム『満天に赤い花びら』のライナーノーツで蜷川幸雄が、音を聴いたら恐ろしかった、最初に会った時、青年だと思ったら女性だった、と書いているし、ジャケットやライナーに写るメンバーの写真は、スリッツと同じように目を隈取りしたり、髪を逆立てたりしているにも拘らず、可愛らしさやキラビやかさは一切なく、まるで格闘技家か学生運動家か暗黒舞踏か前衛劇団のような禍々しいオーラに満ちている。パンク以前の70年代半ばから早稲田でJORAというイベントスペースを自主運営しDIYを実践していた彼女たちが、パンクロックに影響されて楽器を手にして79年に水玉消防団を結成したとき思春期をとっくに過ぎていた。夢みるだけでは何も起こらないことを知る世代。自ずと思想やファッションも変わってくる。やりたいようにやるために、ミニスカートやキュートなメイクは必要ない。
Mizutama Shobodan - Travel Pack Vacuum
而して名前とは裏腹に「恐ろしい」と言われるほどインパクトのあるガールズロックバンドが誕生した。硬質な言葉を吐き出す機関銃のような歌、祭太鼓のようなジャングルビートを叩き出すリズム隊、テクニックよりもアイデア重視で尖ったフレーズを畳み込むギターとキーボード。結成1年でレコーディングされた1st『乙女の祈りはダッダッダッ!』のプリミティヴな曲調はパンクに通じるが、ロンドンパンクのポップさではなく、ニューヨークのNO WAVEに近い先鋭的なポストパンクになっている。
水玉消防団 [mizutama shobodan] - Unzipped Siegried
天鼓の公式サイトのプロフィールによると「81年に旅先のニューヨークで即興演奏に出会い、帰国後、即興を中心としたヴォイス・デュオの"ハネムーンズ"を結成」とあるが、80年ピナコテカレコードからリリースされた『愛欲人民十時劇場』に天鼓とカムラのデュオでハネムーンズとして即興的なライヴ録音が収録されているので、NYに行く前から吉祥寺マイナーの地下音楽シーンで活動していたことは間違いない。背景には竹田賢一との交流があると思われる。つまり水玉消防団結成の直後から実験的な音楽に興味を持ったメンバーがいたということ。ぽっと出のティーンエイジャーだったら有り得ない知識欲と行動力である。
Honeymoons ハネムーンズ - 21 Century Game
その影響で水玉消防団も前衛的な手法を取り入れて。84年の2ndアルバム『満天に赤い花びら』はフレッド・フリスも制作に関わり、アヴァンギャルド色強い作品となった。水玉消防団は関東中心にライヴ活動を続け89年まで活動していた。並行して天鼓は84年からヴォイスパフォーマーとしてソロ活動を開始、海外の即興アーティストと交流を深め、日本のハードコアな地下ジャズ・地下ロックの原動力となる。カムラは渡英し現地ミュージシャンと交流、一時期フランク・チキンズのメンバーでもあった。『地下音楽入門』ならばハネムーンズの唯一のアルバム『笑う神話』(82)やフレッド・フリスやアート・リンゼイ、デヴィッド・モスなど前衛音楽の猛者が参加した天鼓の1stソロ『Slope - ゆるやかな消失』(87)をメインで紹介すべきかもしれないが、80年代末から90年代にかけてジャパノイズと呼ばれ世界に流布された日本地下音楽の才能の萌芽のひとつが、オール女性パンクバンド、水玉消防団にあったことを認識する必要がある。
水玉消防団 満天に赤い花びら・鬼火・残像 (sound only)
水玉の2枚のアルバムの他、ハネムーンズと天鼓の1stソロの合計四作のLPをリリースしたのは天鼓自身のレーベル・筋肉美女レコードであった。録音/アートワーク/装丁を含めたクオリティの高さは当時の自主制作盤の中では飛び抜けている。ウブな乙女ではなく、屈強なオトナだった分、人間関係が潤沢で、録音や印刷の専門家の手を借りプロ級の作品を残した彼女たちの特異性は明らかである。
Tenko - Nightrope dancing
乙女から
筋肉美女への
棒高跳び
その意味ではスリッツよりもフランク・チキンズに近い存在かもしれない。