昨日は、広島に原爆が落とされ65年がたった日でした。
今週に入り、父が「広島に行って、多くの方の御霊にお参りしたい」言い出しました。
木曜日の仕事を終えた後、急遽広島に走りました。
こちらを出たのが18時過ぎ、広島に着いたのは20時半ば。
本当は、8月6日、原爆の投下された当日の早朝に出向く予定だったのですが、このところの日差しや、記念式典が開かれることを考え、そのまま平和公園に向かいました。
行く道中には、6日には記念式典が行われるため、道路交通制限が行われるとのこと。
やっぱり、前日に来て正解でした。
平和公園について、早速慰霊碑にお参りしました。
翌日の式典の為の椅子が設置してありました。
その中央を抜け、慰霊碑に参拝です。
その通路には、多くの方が膝まつき手を合わせておられました。
外国からの方も多く、皆さん多くの方が花束を献花されていました。
父も慰霊碑名前でしばらくの間手を合わせていました。
慰霊碑の間からは、「平和の火」が永遠の平和を見守るように燃えていました。
今年は、欧州からはイギリス、フランスを、アメリカも出席、70カ国を超える国々が参加されました。
いろいろな政治的な駆け引きが渦巻いているようですが、純粋に平和のためにこの地球から早く「核」がなくなり、平和になって欲しいものです。
今週に入り、父が「広島に行って、多くの方の御霊にお参りしたい」言い出しました。
木曜日の仕事を終えた後、急遽広島に走りました。
こちらを出たのが18時過ぎ、広島に着いたのは20時半ば。
本当は、8月6日、原爆の投下された当日の早朝に出向く予定だったのですが、このところの日差しや、記念式典が開かれることを考え、そのまま平和公園に向かいました。
行く道中には、6日には記念式典が行われるため、道路交通制限が行われるとのこと。
やっぱり、前日に来て正解でした。
平和公園について、早速慰霊碑にお参りしました。
翌日の式典の為の椅子が設置してありました。
その中央を抜け、慰霊碑に参拝です。
その通路には、多くの方が膝まつき手を合わせておられました。
外国からの方も多く、皆さん多くの方が花束を献花されていました。
父も慰霊碑名前でしばらくの間手を合わせていました。
慰霊碑の間からは、「平和の火」が永遠の平和を見守るように燃えていました。
今年は、欧州からはイギリス、フランスを、アメリカも出席、70カ国を超える国々が参加されました。
いろいろな政治的な駆け引きが渦巻いているようですが、純粋に平和のためにこの地球から早く「核」がなくなり、平和になって欲しいものです。