古代からの水路、道が昭和の現代まで脈々と受け受け継がれていたとは! 水色が水路・赤色が道
今年の五月から津島遺跡跡文化財講座へ参加させていただいています。
弥生時代の岡山を取り巻く状況や弥生人の生活を学んでいます。
その中で「いねづくり」に興味を持ち参加したのですが、今回は実際に土を掘り返している現場での見学でした。
一番期待していたのは、「稲株痕跡」が見られると思っていたのですが、残念ながら半月までは残っていたそうですが、先日次の段階に移ったため見ることができませんでした。
3~8cmの小判型の小穴が、10cm間隔で整然と残っていたそうです。
粘土質の田んぼに稲があり時に、洪水が起こり砂が流れ込んで穴が残っていたそうです。
弥生後期の水田に点々と残されていたです。
それにしても、2000年も昔から稲が栽培されていたと言うことです。
田んぼを区画する畦も残っていました。
40~70㎡程度の大きさで方形が多く、前期や中期よりも整然としています。
また水路や道の跡も発掘されています。
すごいのは、その跡と昭和50年ごろまで稲作りが行われていた当時の水路や道が合致することです。
太古の時代から脈々と伝えられてきた「いねづくり」
米離れが進んでいるとは言え、まだまだ主食です。
先人に負けないよう稲作りに精を出さねば!