父は、毎日朝早くから会社まで1時間半ほどかけて自転車で通勤していました。
今にして思えば、暑い夏も寒い冬も一日も休まず自転車を踏んでいました。
母は家計のやり繰りはで大変だったようです。
給料袋は、全て母に渡し、少しばかりのこずかいをもらっていました。
父は文句も言わず、コツコツとためて、会社帰りにお菓子屋さんに立ち寄りおかきの空き缶に一杯おやつを買って帰ってくれたものです。
日限のお地蔵さんの縁日には家族で出かける数少ない機会でした。
子供心に、そういった日が待ちどうしく心待ちにしていたものです。
父は、趣味の盆栽を眺め、気に入ると買って帰って大事に庭で世話をしていました。
このときは、必ず大判焼きのお店に連れて行ってもらい、甘いあんこが入った大判焼きを口に頬張るのが楽しみでした。
経済的には恵まれたものとは言えなかったかもしれませんが、楽しい事ばかり思い出されます。
今にして思えば、暑い夏も寒い冬も一日も休まず自転車を踏んでいました。
母は家計のやり繰りはで大変だったようです。
給料袋は、全て母に渡し、少しばかりのこずかいをもらっていました。
父は文句も言わず、コツコツとためて、会社帰りにお菓子屋さんに立ち寄りおかきの空き缶に一杯おやつを買って帰ってくれたものです。
日限のお地蔵さんの縁日には家族で出かける数少ない機会でした。
子供心に、そういった日が待ちどうしく心待ちにしていたものです。
父は、趣味の盆栽を眺め、気に入ると買って帰って大事に庭で世話をしていました。
このときは、必ず大判焼きのお店に連れて行ってもらい、甘いあんこが入った大判焼きを口に頬張るのが楽しみでした。
経済的には恵まれたものとは言えなかったかもしれませんが、楽しい事ばかり思い出されます。