浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

大杉栄らの墓前祭

2023-09-09 19:11:52 | 近現代史

 1923年、関東大震災の混乱のなか、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の3人が、東京憲兵隊によって虐殺された。2023年、虐殺事件を振り返り、大杉、野枝の生き方や思想を考えるための集会が各地で行われる。

 静岡には、大杉らの墓があり、断続的に墓前祭が執り行われてきた。2013年からは毎年9月に開催してきた。今年は9月16日、11時から沓谷霊園で墓前祭、午後2時から静岡労政会館で、大杉豊さん(栄の弟である勇の子)による講演会が開かれる。

 他の地域で開催される集会などは、100年ということから単発的に行われるものであるが、静岡の墓前祭は、長い歴史がある。

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 1923年9月16日、東京憲兵隊本部で虐殺された大杉らの遺体は、菰で包まれ、さらに縄で縛られて同本部構内の廃井戸に投げ込まれた。18日、『報知新聞』夕刊が、憲兵隊により大杉らが拉致されたことを報じ、翌19日、大杉勇が憲兵隊司令部に赴くも門前払いを受ける。その日、閣議で後藤新平内相が警察情報をもとに、大杉らが拉致された件を報告、山本権兵衛首相は田中義一陸軍大臣に調査を求めた。その結果、虐殺が明らかとなり、甘粕正彦らが拘引される。そして20日、廃井戸から遺体が引き上げられ剖検が行われた。

 遺体は25日、幌付きの軍用貨物自動車で落合火葬場へ、27日払暁荼毘に付される。10月2日、分骨された遺骨とともに、大杉らの遺児が福岡に向かう(16日葬儀が執り行われた)。12月16日、谷中斎場での葬儀が、当日朝右翼団体大化会によって遺骨が奪われたため、遺骨のないままで営まれた。25日、遺骨が警視庁に返された。しかし、難波大助による虎の門事件が起き、また遺骨強奪事件の証拠品とされたことから、遺族への遺骨返還が実現しなかった。

 1924年5月17日、警視庁から遺骨が返還された。同月25日、静岡市の沓谷霊園に大杉ら3人、そして弟の大杉伸の遺骨が埋葬され、1925年7月13日、墓碑が建立された。

 静岡に大杉らの墓があるのは、大杉の父・大杉東(あずま)の墓が清水の鉄舟寺にあったから。当初、鉄舟寺、次いで真福寺に埋葬する計画があったが、いずれも反対に遭い、静岡市の共同墓地となった。静岡市在住の大杉栄の妹柴田菊夫妻(夫は柴田勝造)の尽力によるものであった。     

   2013年以降、私たちは、墓前祭に引き続く追悼講演集会で、いろいろなテーマをとりあげてきた。過去の墓前祭では主に大杉栄がテーマとして扱われてきた。しかしもっと視野を広げてこの事件を捉えるべきだと考え、大杉事件が広く世界に伝えられたこと、伊藤野枝の闘いや思想のこと、1923年の大震災時には大杉らだけではなく、朝鮮人・中国人、そして平沢計七(友愛会の活動家、浜松の鉄道工場で働いていたこともある)も虐殺されていることから、そうした虐殺事件をも視野に入れること、そして現在のアナーキズム思想と、毎年テーマを変えてきた。

 とにかくこの事件は、現在の視点から、全体的にとらえ直すことが求められていると思う。というのも、1990年代以降、歴史否認の妄説が、雑誌、SNSなどで繰り返し報じられ、震災時の朝鮮人虐殺についてはそれを否定するものまで現れた。そしてそれが今、行政にも反映してきている。

 地道な事実究明の努力が、歴史的事実として確認され、人びとの共通認識とされてきたにもかかわらず、妄説がそれを覆そうとしている。そういう時代に、私たちは生きている。

 そんな時代だからこそ、大杉栄の思想、野枝の闘いの軌跡を、私たちは振り返る必要がある。

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関東大震災時の朝鮮人虐殺

2023-09-05 20:08:47 | 近現代史

 関東大震災の際、多くの朝鮮人、中国人が虐殺された。それを否定する妄言がネットを中心にはびこっているが、しかし当時の政府は朝鮮人虐殺を認めている。

当時の司法大臣、平沼騏一郎は、次のように答えている(「衆議院議事速記録」1923年12月24日)。まずその経緯を記す。

一九二三年九月七日、緊急勅令として「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」が出された。大日本帝国憲法第八条により、緊急勅令は、次の議会で承認を得なければ、その効力は将来に向けて失われることになる。「治安維持令」についての帝国議会の議論は、同年十二月になされた。

 この緊急勅令に関して、南鼎三議員が質問した。

本勅令は洵に時宜に適したるものと考へます、併しながら之を政府が御出しになったことに依って、自警団と云ふものが出て良民を虐殺したり、或は労働運動に従事して居る者を捕へて虐殺したり、朝鮮人を殺したと云ふのは、主として斯う云ふ勅令の出た結果であらうと考えます、それも亦非常時に於ける副産物として、先づ致方のないものである位は吾々は考えて居る、進んで此自警団等が行ふた事柄が、官憲が主として此範を自警団に示したと云ふのが多いのであります、大抵其時の官憲が不逞鮮人が居らぬか、或は社会主義者がどうだとか、扇動者は未だそこらに居らないかと云ふこと云ふものですから、其言葉を聞いて自警団員がそれに相応はしい者を捕へて来て殺したとい云ふことがー斯う云ふ非常な勅令を出す場合に、政府が此事を取扱ふ当局者に対して何等かの制動になるやうな事、即ち「ブレーキ」作用を起すやうな法令、即ち職務上超越したる所の不法の行為の無いやうにする勅令或は訓令等の如きは何等出て居らない、唯々是は丁度自動車に馬力があって走るだけで「ブレーキ」の無い自動車を走らして居るやうな勅令である、其結果が遂に彼の忌むべき事件が頻発したのであらうと私は考えるのである・
・・・・

 それに対して、平沼はこう答弁した。

・・ 実は此緊急勅令を発布致しましたのは九月七日でございます、朝鮮人其他に対しまして殺傷事件の起りましたのは、多くは九月七日以前であります、此勅令発布前に多くは行はれて居ります、それでございますから、此勅令の公布になりました為に、斯の如き不詳の犯罪が現はれたと云ふ事実はないのであります・・・

 当時の政府は、朝鮮人虐殺をこのように認めていたのである。

 

 

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繰り返すのか、日本

2023-09-01 08:05:22 | 近現代史

 1937年の盧溝橋事件、偶発的な事件であったのは周知のこと。日中双方も、戦争拡大を望ますに現地で収拾を図っていたのだが、上海で事件が起きた。大山事件である(第二次上海事件)。

 大山勇夫が中国軍の重要基地に突入した事件を契機に、上海で日中の戦闘が起き拡大していった。この大山事件は、日本海軍の謀略事件であった。海軍は、戦争を拡大することによって、政府大蔵省から多額のカネをせしめようとしたのだ。

 海軍の謀略事件を契機に、華北で始まった日中の戦闘は、華中にも拡大し、その後全面戦争になった。戦争が続けば、陸軍にも、海軍にも、政府から多額のカネが投入される。

 そのカネをつかって、陸軍はソ連との戦いの準備をはじめ、海軍はアメリカとの戦いを想定した軍備を整えていった。

 そして1941年。日本は対米戦争へと突き進んでいったが、海軍は対米戦には消極的であった。

 ところが日中戦争以降、海軍は対米戦の準備を進めていたから、いまさら対米戦はできないと主張できずに、真珠湾攻撃へと事態は進んでいく。

 軍備が強化されていけば、その武器を使って戦争する方向へと動く。

 今後、防衛費、私は軍事費と呼んでいるが、43兆円が費やされるという。軍事費の増大は、戦争を導く。過去の歴史は、それを証明している。

見積もりが甘かった…イージス搭載艦の建造費が試算の6割増 防衛省「過去最高」7.7兆円概算要求の危うさ

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廃仏毀釈のこと

2023-07-12 12:49:29 | 近現代史

 雑誌を捨てる前に、読んでおこうと思うものを読んでいるのだが、これはどうも一面そうだろうが、他面においてはそうはいえないだろうということを書き記しておく。

 阪本是丸の「廃仏毀釈と国家神道ー神仏の習合から分離への過程」、これは『歴史と地理』540号(2000年12月)に掲載されたものである。阪本氏はいまはもう亡い。

 「より大きな要因は「近世的宗教世界」そのものの中に、全国的な「神仏分離」や「廃仏毀釈」を可能にする萌芽が存在したということ」を阪本は指摘する。それを私は否定するものではない。

 阪本が前提とするのは、こういう考えからである。

 義江彰夫の『神仏習合』(岩波新書)の記述を参考にする。「日本の神仏習合は普遍宗教と基層信仰が完全に開かれた系で繋がっているという点で、世界的に見ても独特な宗教構造を作り出した」ことを前提に、多様な神祇信仰が存在したことを指摘する。

 そして「普遍宗教(仏教)と基層信仰(神祇信仰)が開かれた形態で習合していたからこそ、別当・社僧と社人が、あるいは別当・社僧が一人格として矛盾することなく存在しえたし、だからこそ明治維新政府は神仏分離を遂行しえたのではないだろうか。そうでなければ、後述するように、極論すれば昨日まで「御仏」に仕えていた僧形の者が仏・菩薩を廃棄して、一朝にして「神祇」に祈祷する者へと、かくも鮮やかに「変身」することが可能なのであろうか。端的に言うならば、彼ら別当・社僧とは所詮、外形において「仏教者」であったに過ぎず、内面にあっては「神職・神道家」以上の「神祇信仰者」ではなかったのか」という。

 阪本は、学問的に幕末維新の日本の宗教の大きな変化を研究する者であったが、その立場は神道を是とする。その立場から上記のようにいうのであるが、私はこの点では納得できない。

 明治初年まで、秋葉さんの山頂には、三尺坊という僧を神として祭る修験の寺、秋葉寺があった。今そこには秋葉神社があるが、火伏の神として明治初年まで信仰されていたのは三尺坊であり、現在の秋葉神社の祭神・火之迦具土大神は神社となってから。つまり明治以後に勧請したものである。

 秋葉寺には別当・社僧がいたが、その中から神社にしたいと思う者があらわれ、地方権力と結んで秋葉寺をつぶして秋葉神社を興したのである。詳細は省くが、時勢の赴くところ「鮮やかに「変身」」した者がいたのである。

 まさに秋葉寺は神仏習合を体現するものであったのであり、それを強引に、住職を拘引しておいて無住の寺院だからということから破却したのである。

 明治初期の廃仏毀釈には、たしかにいろいろな形態があったのだろうが、しかし秋葉寺の破却はあまりに強引であった。私は、明治初期の廃仏毀釈・神仏分離の典型として、この秋葉寺の滅却をみる。そしてそこに維新政権の強引な神道の国教化の姿を見るのである。

 

 

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井上毅のこと

2023-07-08 20:26:52 | 近現代史

 岩波新書に『法の近代 権力と暴力をわかつもの』という本がある。私はこの本を5月18日に読み終えた。なぜ購入したのかというと、確かに権力と暴力は、現象としておなじようなことが行われる。たとえば死刑。これは権力によるものだから「合法」となる。しかしある人が誰かを殺せばそれは「暴力」となってそのある人は殺人犯として国家により処罰される。同じ現象であっても、権力がそこに介在すれば処罰されない。権力も暴力をふるうのだが、その暴力は「暴力」とされない。では権力のと一般の「暴力」とを「わかつもの」は何であろうか、という問題意識をもって読んだのだが、しかし私の関心は、井上毅となった。

 というのも、本書には井上毅についての言及が多いのだ。井上は、近代日本の国家制度の構築に大きな影響を与えた人物で、大日本帝国憲法や教育勅語の成立に関わった人物である。

 彼は熊本の貧しい士族の家庭に生まれたが、幼い時から俊英とされ、フランス語を学び、維新政府によりフランス留学までした人物である。こういう経歴を持つ人物であるから、さぞかし西洋文明の日本への導入に貢献したことだろうと思われるのだが、実際はそうではない。彼は創成期の近代日本国家の官僚として、国家的立場から重要な「仕事」をしたのである。大日本帝国憲法の制定に、伊藤博文らとともに関わったのである。

 『法の近代』には、井上毅がいかなる役割を果たしたのかが記されている。維新政府は、「文明国」になるために、背伸びする。欧米諸国から西洋文明を学び、西洋列強と同じように近代国家として認めてもらいたいと切に望むのである。伊藤博文が書いたといわれる『憲法義解』は、井上が書いた。そこには大日本帝国憲法第一条、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を説明するに、「統治」は漢語である(書経)。井上は、「統治」という漢語を使いながら、それを記紀の「しらす」で説明する。「しらす」とは、「天皇が支配する様態」である。

 なぜ天皇が統治権者として君臨するのか、それは「皇宗の遺訓」によるものであって、『法の近代』には、「統治=シラスと前提されることで、第一に明治憲法体制の歴史的正統性が呈示され、第二に明治憲法体制が天皇の〈理性〉あるいは〈全知〉に準拠することが闡明されたのである」(111頁)と書かれている。つまり、西欧文明を導入して作成された大日本帝国憲法に、いやその重要な根幹部分に「天皇」、記紀神話をルーツとする存在を据えたのである。

 なぜ井上がこういうことをしたのかを調べようと思っていたが、それをしないままに時が過ぎた。

 ここ数日、『歴史学研究』の廃棄処分をおこなっているが、その際に目次をみながら、読んでから捨てようということで少しはとってあるのだが、そのなかに中島三千男の論文、「明治国家と宗教ー井上毅の宗教観・宗教政策の分析」を発見した(1974年10月号)。そこには、井上毅が「国学・神道を「祭政一致の事業を人民に示す」ものとして、また「立国の本」、「風俗の源」として積極的に位置づけようとし」たことが書かれていた。彼は、「国体(古典・国籍における固有の精神)を核心として、それを儒教によって包摂して(倫理名教)の領域を形成し、さらにその周辺を西洋文明によって粉飾するという性質」をもっていたという。納得である。核心に「国体」があったのであって、だからこそ「しらす」と儒教の徳目をまぶした教育勅語をつくったのである。

 もう50年も前の論文であるが、たいへん役に立った。これでこの号を捨てることができる。

 捨てるために読む本が、たくさんある。

 

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2023年 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭

2023-06-20 14:20:25 | 近現代史

 2013年から続いている大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭は、関東大震災100年の今年も開催される。

 9月16日(土) 11時~ 墓前祭 於:静岡市沓谷霊園

          14時~ 追悼講演会 於:静岡労政会館

             講師 大杉豊氏(大杉栄の甥) 

             演題「大杉栄という生き方ー虐殺100年を迎えて」 

 今年は、全国各地で大杉栄、伊藤野枝、橘宗一虐殺事件に関する集会などが開かれる。

 伊藤野枝の故郷、福岡市では「伊藤野枝100年プロジェクト」として、森まゆみさんらの講演会が予定されている。

 また橘宗一の墓がある名古屋市でも、16日に墓前祭が予定されている。

 静岡では、2013年に再度、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭実行委員会が結成され、「沓谷だより」(現在12号まで)を発行している。その他にも関東大震災の混乱の中、朝鮮人や中国人が虐殺されたことをまとめた小冊子、伊藤野枝の生の軌跡を追い、その闘いをまとめた「伊藤野枝ーその生と闘いー」という小冊子(残部なし)を刊行している。

 そして今年は、なぜ静岡に大杉らの墓地があるのかなどをまとめた資料集を発行する。

 全国的に、関東大震災100年に関する行事がおこなわれるはずである。大杉栄・伊藤野枝・橘宗一が虐殺された事件の他、平沢計七ら労働運動家らが虐殺された亀戸事件もある。

 関東大震災100年、震災だけに眼を向けのではなく、こうした虐殺事件をも注視することが、現代においてとりわけ重要であると思う。

 

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無思想の研究者たち

2023-05-10 07:33:16 | 近現代史

 辻まことと松尾邦之助の関係について調べている。松尾については、玉川しんめい『エコール・ド・パリの日本人野郎』(朝日新聞社、1989年)がフランス時代の松尾について、また戦後日本に帰国してからは、松尾自身が『無頼記者、戦後日本を撃つ』(社会評論社、2006年)を書いている。

 辻潤、まことが訪欧したとき、松尾との間に深い人間関係が、とりわけ辻潤との間に成立していた。しかし、松尾が帰国したとき、すでに辻潤は餓死していた。松尾は、辻潤を高く評価している。

 さて今私は、松尾自身が書いた『無頼記者・・・』を読んでいるのだが、以前読んだときに赤線をいれたところに、再び線を引いている。再び線を引いたところはたくさんある。というのも、松尾の、日本人に対する批評がまったく古くなっていないからである。

 たくさんあるなかで、この文を、まず私はとりあげたいと思った。

 戦後になって学問思想についてとやかくいうようになったとはいえ、その思想学問なるものが、みな「研究書」の類であり、つねに研究者でしかない大学教授たちは、ご自分の思想を持たず、“研究”という客観の煙幕をはって虚名を博す卑怯者でしかない。(224)

 今の若い研究者は、任期付きの仕事しかないために、自分自身を売り込むこと、これなら認められるのではないかという気持ちから、思想なんかはまったくないままに、研究する価値があるのかどうかもわからないものに打ち込んでいる。

 すでに亡くなったり、一線を退いている研究者の多くは、思想をもち、生きている現在の課題を意識しながら研究活動をしていた。私はそうした姿をみながら研究をしてきた。

 しかし今、若い研究者のなかにそういう人をみつけることは少なくなっている。だから研究発表を聴いていても、研究のための研究であって、それがどうしたの、という感想しかもてなくなっている。

 そうした研究状態に不満をもちながら、しかし良くなる雰囲気もないために、私自身研究会から足抜けしたいという気持ちを持ち始めている。研究会にも参加することがすくなくなっている。まだ農作業をしていたほうが、私自身生き生きしているように思う。

 思想を持たない者の研究は、はっきりいってつまらない。

 

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辻まこと

2023-05-07 20:26:22 | 近現代史

 辻まことは、辻潤と伊藤野枝との間に生まれた。しかし弟の流二が生まれてから、母である野枝は、辻潤から去り大杉栄との生活に入る。流二は養子になり、まことは辻のところに残った。

 辻まことは、いろいろなことをやった人だ。全集もみすず書房から出ているし、他にもたくさん出版されている。文を書き、画を描き、ギターを鳴らしながら唄もうたい、山に登り、スキーも楽しむ。

 辻まことの交友関係はひろく、先日紹介した島崎藤村の3男の島崎蓊助とも交流があった。『島崎翁助自伝』を読んでいたら、辻まことが浜松によく行っていたことが記されていて、これは調べなければならないと思い、文献を渉猟している。

 辻が訪れていたのは、引佐郡金指の松尾家である。フランスで活躍し、戦後は読売新聞社にも勤めていた松尾邦之助の実家である。まことが父・潤とともに訪欧しフランスで武林無想庵、林倭衛、松尾邦之助らと交遊していた。いやその前に、まことは静岡県立静岡工業学校に在学していたのだが、父が訪欧するというので中退して渡仏したのである。

 以上については、私も知っていた。問題は戦後である。というのも、まことが浜松を訪れていたのは戦後だから。

 松尾邦之助は戦後帰国し、読売新聞に勤めながらいろいろなことをしていた。いろいろなことをするなかで、そのグループに松尾の甥やまことが入っていたのである。細かいことは研究会の会報に書くつもりなので、これ以上書かないが、いずれにしても、まことはしばしば浜松に来ていたということだ。

 なお辻まことが描いた画は、ユーモラスでゆったりして、とても個性的である。またちくま文庫から『虫類図譜』が出ている。

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近代日本と現代日本

2023-04-29 13:31:58 | 近現代史

 すでに亡くなられた田村貞雄氏は、いろいろ研究しながら、その研究するなかで考えたこと、新たに発見したことなどを電話で話すことをされていた。おそらく話しながら自らの頭の中を整理されていたのだろう。

 自分自身が何かを考えようとしているとき、その構想を、初期段階から誰かに語りながら確かなものにしていくという作業は必要だ。語るなかで考えをまとめ、その妥当性を確かなものにしていく。しかしながら歳をとると、そういうことがなくなっていく。私のように、今までそういう話をしていた研究者が亡くなり、そのためか研究意欲はがた減りとなってしまっている。それでもなんらかの発表の機会を保持した方が脳にもよいと思い、講座を引き受けてはいるのだが、その準備が進まない。

 いま考えているのは、近代日本(1853~1945)と現代日本(1945~2023)に、なんらかの共通性があるのではないかということである。この二つの時代を貫いているのは、アメリカ合州国の存在である。ペリー来航により近代日本が始まり米軍に降伏することによって近代日本が崩壊した。現代日本は米軍に占領されることにより始まり、その後は安保体制下の対米従属国家となり、そして今アメリカの世界戦略下、中国を敵視することにより、現代日本を崩壊に導こうとしている。

 近代日本が「大国」として勃興する契機となったのは日清戦争(1894~5)である。近代日本国家は、「眠れる獅子」とみなされていた中国に勝利し、世界を驚かせた。日本が中国(清)に勝利したことで、中国は「弱い」と認識した欧米諸国が清に殺到し、そこから多くの利権をせしめようとした。

 そして今。中国は世界の中の経済大国として成長している。かつてはソ連がアメリカの対抗馬としての地位を保っていたが、今やその面影はなく、最後のあがきをおこなっている最中である。中国は世界の経済大国から軍事大国へと成長し、アメリカの覇権と競い合う地位にまで台頭した。

 覇権を維持したいアメリカは、そうした中国の台頭を何とか抑えたいと思っている。だが、単独でそれを行うほどの力を持っていない。

 そこで、アメリカは、隷属化する現代日本国家に、あの日清戦争のような戦争をやらせようとしているのではないか。日清戦争後の「北清事変」(1900年)では、日本軍は西欧列強の一員として、義和団を鎮圧する役割を負った。

 その後日本がさらに中国大陸への侵出を図ったことは、周知のことである。近代日本にとっても、日清戦争や「北清事変」は、大陸雄飛への足がかりとして、日本の支配層のDNAに刻まれているだろう。

 現代日本へのアメリカの期待と日本の支配層のなかのDNAが混じり合って、現在の岸田政権の軍事政策、外交政策となっているのではないか。

 だが彼らが視野に入れていないのは、近代日本が中国侵出を強めるなかで近代日本が崩壊していったことである。それをみれば、岸田政権の政策は、現代日本崩壊への道であることがわかる。

 マルクスの言葉に、「歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」がある。1945年はたしかに悲劇であった。二度目は、おそらく世界史に、歴史に学ばなかった日本の無惨として、無能な国家の事例として刻まれるだろう。

 

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【映画】「マルモイ(ことばあつめ)」

2023-04-08 20:25:34 | 近現代史

 大日本帝国の植民地となった朝鮮半島では、朝鮮総督府により日本語を強制され、創氏改名を命じられた。朝鮮のことばが奪われようとしていた。

 しかし、朝鮮民族のことば、文字をきちんと残し、伝えていこうという人びとが、「朝鮮語大辞典」をつくろうと結集した。もちろんそうした動きは、朝鮮総督府によって禁じられた。それでも、朝鮮語学会の人びとは、ことばあつめを行った。

 1942年におこった「朝鮮語学会事件」をモデルにしたフィクション、それが映画「マルモイ」である。「マル」はことば、「モイ」は集める。

 浜松にあるシネマイーラで上映されたが見逃してしまった。そしたら、AmazonPrimeで見ることができた。

 植民地支配下を舞台にしているため、残酷な場面もあるが、しかし最後は心温まる場面で終わる。 

映画「マルモイ」が描く 禁じられた朝鮮語の辞書作り

 

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昔の「戦前」、今の「戦前」

2023-04-08 12:28:40 | 近現代史

 昨今の政治情勢をみていると、1945年の大日本帝国の崩壊へと進んで行った歴史と同じように、現在の日本国も崩壊へと向かっているようなきがしてならない。

 日本国は、アメリカ主導下、中国を「仮想帝国」として、中国との戦闘を前提として南西諸島方面に自衛隊を展開させている。しかし少し考えるだけで、中国ともし戦争になれば、日本国はまさに崩壊することは確実である。第一に、大日本帝国でさえ、中華民国に勝てなかった歴史がある。広大な土地とばく大な人口を支配することはそもそも無理であったのに、日本軍は中国大陸に派兵して戦争を展開したが、日本軍の支配は「点と線」だけであった。その頃の中国は、軍隊を日本に派遣して、あるいは様々な兵器を駆使して日本を攻撃することはできなかった。それでも結局、大日本帝国は中華民国・蒋介石に白旗を掲げた。

 そして今。中国は核兵器を始め、多くの武器を持ち、日本を攻撃することなんか容易にできる状態だ。とりわけ、日本海側に並んでいる原発にミサイルを打ち込めば、それは同時に核爆発となり、日本はあっという間に破壊される。

 1930年代からの大日本帝国の戦争政策は拡大の一途をたどったが、それに対して無謀であるという批判・評価は当時もあった。しかし大日本帝国は、にもかかわらず、破滅への途を進んで行った。

 現代の支配層も、おなじ途を歩もうとしているようだ。中国との戦争は、日本にとってあまりに危険で無謀である。

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ウクライナ侵攻

2023-02-06 20:16:09 | 近現代史

 ロシアのウクライナ侵攻に関して、ウクライナだけを批判して、ロシアを批判しないという言説がある。

 私は、ロシア=プーチン政権は極悪であり、またウクライナ=ゼレンスキー政権は悪であると両者を批判している。どちらも悪であるが、ウクライナに侵攻し、ウクライナの庶民を殺傷し、生活の場を破壊するロシアの悪の方が大きいと思い、極悪と表現している。

 ウクライナには統一教会もあれば、ネオナチもいる。だからといって、ウクライナの庶民の生活を破壊する権利は、ロシアにはない。

 ロシアのウクライナ侵攻は、アメリカのイラク攻撃、アフガン攻撃(アフガンにはソ連も侵攻した)その他、数々の侵略を重ねてきたアメリカと同様に大いに批判されるべきである。

 ロシアのウクライナ侵攻は、戦後の国際秩序の根幹を揺るがす大事件であり、日本の軍拡への急速な動きも、このウクライナ侵攻により加速化されたといってもよいだろう。

 ロシアがかつてソビエト社会主義連邦だった、つまり「社会主義国」であったということを想起してロシアを批判しないという集団もあるようだ。

 確かにソ連は「社会主義」を標榜していたが、しかしそれは決して人びとが望んでいたものではなかった。

 今日、書庫から『幻のロシア絵本 1920-30年代』という図録を引っ張り出してきた。その冒頭には、「革命を経た1920-30年代のソヴィエト(ロシア)では、新しい国づくりに燃える若い画家、詩人たちがこぞって絵本の制作に携わり、未来を担う子どもたちに大きな夢を託していました」と書かれている。ロシア革命前後のロシア・アヴァンギャルドを背景にして、芸術家たちの自由な発想が花開いた時期が、確かにあった。ロシア革命は、夢であり希望であった時期が、確かにあった。

 しかしそうした自由かつ創造的な動きは、ソヴィエト権力が確立するにつれて弱くなり、そして抹殺され、社会主義リアリズムというイデオロギーが芸術家たちに押しつけられた。

 そうしたソヴィエト権力がソ連という国家の舵を取るのであるが、それは権力を掌握している者たちだけに特権を与え、それ以外の者は手段化されていき、コミンテルンという組織も「社会主義の祖国」であるソヴィエトを擁護するためだけのものとされた。

 そこには、ソヴィエト権力に関わる者たちの独善によりすべてが運営されていった。だから、、日本との関わりでいえば、1945年の東アジアにおけるソ連軍の蛮行が出現したのである。

 ソヴィエト権力とつながるプーチン政権は、したがって善であるわけがない。それはアメリカという「帝国」が、政権がどうであろうとも、ろくでもない独善にまみれた国家であることと同じである。

 いかなる国家権力も批判にさらされなければならない。それが歴史の中からくみとる教訓である。

 私は、ウクライナ侵攻に関して、ロシアを批判しない言説が流布することに驚きを隠せない。

 

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江戸時代のこと

2022-12-11 18:47:47 | 近現代史

 以前、某所で行われた歴史講座で戦国時代から1945年の敗戦までの歴史を語ったことがあった。

 その際、幕府は、日本に戦乱をなくし、対外戦争(秀吉の時代に朝鮮侵略があった)の処理を行い、平和をもたらしたことを話した。戦国時代は、まさに殺人と略奪の日々であった。それは藤木久志さんの研究に明らかであった。戦国時代を生き抜いてきた、私たちの先祖はとても幸運であったということも話した。

 さて近代日本国家の成立は、富国強兵路線を突っ走り、日本を「一等国」に引き上げようとした。地主制のもと、農民は貧困に苦しみ、戦争に動員され、働く労働者は低賃金で酷使された。朝鮮や中国などは、日本軍の軍靴に踏み荒らされた。

 私は、近代日本よりも、近世という時代の日本の姿の優位性を話した。近代日本国家のスタートは、大きな誤謬であったということを指摘した。もちろん、その誤謬をなんとかしようとした動きについても話したが、しかし、その誤謬はずっと今も日本全体を縛っていると思う。

 最近、田中優子、松岡正剛の『江戸問答』(岩波新書)を読んだ。私は前記の講座で近世の政治外交については話したが、近世の思想や文化については詳しくなかったのであまり言及しなかったが、この本を読んで近世の思想・文化についても知らなければならないと教えられた。「江戸」は、もっと顧みられ、評価されるべきだと思った。

 現在の日本の姿に絶望しか持てない私は、「江戸」に回帰することにより、今とは異なる歴史の歩みがあり得たのではないかと思い、それを探ろうと思い始めた。近代日本国家は、「江戸」を否定するところから生みだされたからだ。

 「江戸」は、振り返られなければならない。

【追記】同じ著書で、『日本問答』(岩波新書)があり、それを図書館から借りて読んでみたが、こちらは雑駁で、話される内容がいずれも表面的で、論点がまったく深まらない。読んでいて、これはためにならない、ダメだと思い、途中で放棄した。専門性を持っていない松岡正剛の、豊富な知識を知らしめるための本のような気がした。(2023/01/06 記)

 

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「虹波」という人体実験

2022-12-06 12:45:50 | 近現代史

 こういう事実は決して忘れてはならない。日本の軍部や医療者は、関東軍731部隊の悪行以外にも、こういうことをしていたのだ。

あらゆる投薬法で「七転八倒」「遺骨は青く」 熊本・ハンセン病療養所で「虹波」人体実験 園長の目の前で…入所者が証言 菊池恵楓園

陸軍の人体実験「虹波」、ハンセン病入所者9人死亡 熊本の療養所が初開示

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支配層の記憶

2022-11-23 12:14:04 | 近現代史

 支配層の記憶は、明治維新からの近代日本に係わるものでしかない。だから彼らが言う「伝統」というものは、前近代にはさかのぼらない。

 支配層、この場合自民党の政治家や官僚、財界、言論界をいうのだが、彼らの記憶は日露戦争以後の20世紀初期の「大日本帝国」のそれである。東アジアにおいて、大日本帝国は第一位の座を占めていた。彼らは、そうした時代の栄光を取り戻したいのだ。

 それは、プーチンが今はなきロシア帝国やソ連邦の「復活」を望むことと同じである。

 しかし1945年で断絶したはずであるのに、何故にかれらの記憶が「大日本帝国」時代なのか。

 1945年の敗戦に関して、もちろんそれに至るもろもろの支配層の悪事を含むのだが、彼らはほとんど責任をとらなかった。軍部、とりわけ陸軍に責任をおしつけて、政治家も、官僚も、財界も、そして言論界も、戦争に積極的に参加し、国民を戦争動員に駆り立てたのに、責任をとることもなかったし、国民もそれを追及することもなかった。

 だから彼らは、「大日本帝国」時代を悪い時代とは思っていなかったし、そうした時代の復活を夢みてきたのだ。

 だから自民党の改憲草案をみればよい。ほとんど大日本帝国憲法のようではないか。今、支配層はアメリカの力を借りて(中国の力が日本を遙かに凌ぐから)、アジアの盟主になろうとしているのではないか。

 だが歴史をさかのぼれば、アジアに於ける大国は常に中国であった。一時的に近代化に乗り遅れた中国は、今では過去の大国としての地位を復活させている。あの兵馬俑をみるがいい、あれがつくられた時代、日本はどのような状況にあったのかを。

 人間に謙虚さが必要なように、国家も謙虚さが必要だ。それは日本だけではない。中国やアメリカも、である。その謙虚さは、憲法前文に込められていると思う。だからこそ、私は日本国憲法が好きだ。

 支配層の願望を実現させてはならないと思う。それは、日本国解体の途だと思うからだ。

 歴史をさかのぼることにより、支配層にみずからを相対化させることが必要なのだ。残念なことに、支配層が、そうした想念を欠いた者ばかりであることだ。

 

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