『現代思想』4月号は、現在の若者が置かれている困難な状況が記されている。久しぶりに、特集の論文その他をすべて読み終えた。その過程で誤植が多いことが判明したが、それは置いておこう。
山口恵子の「「東京」に出ざるをえない若者たち」は、青森県の青年たちの労働と生活を記したものだ。一度も正社員にならず、職場を転々とする。「労働力流動化政策」により翻弄される若者たち。ハードな仕事、低賃金、放置される労災、「細切れ雇用」・・・・しかしそういう状況であっても、彼らの故郷や実家は、その困難を和らげてくれる。だが、親はなくなり、世代が変わり、実家が永続的にその支えとなるわけがない。実家が支えるという「日本型福祉」は、もうもたなくなっている。
山口は、末尾に近いところでこう記す。
都市近郊部の労働者の外側に、より不利な条件で地方から(および海外から)の労働者が動員される。周縁化された労働者であればあるほど、政策や景気の変動がダイレクトに転嫁され、労働と生活の不安定化が加速していく。構造的な地域間格差のなかでの使い勝手のよい労働力のプール地としての周辺、という位置づけは再生産される続けているようにみえる。
そして「私たちは資本主義の奴隷になるべきではない」が、文の末尾に記される。
中西新太郎の「グローバル競争時代の能力論・人材養成論と内面統治の国家主義」も、若者たちの内面まで統治しようとする暴力的なあり方が示される。
たとえば相互抑圧的な、個人個人の「共感動員」が強制される、「感動」の強制的共感。それを表現しているかどうかにより審判されるという現実。
出口はあるのか、と叫び出したくなるほどだ。
大串潤児の「歴史教科書問題考察の原点」は、もう一度家永教科書裁判の再検証を行うことを要請している。実はボクは、家永裁判の訴訟関係の本が、書棚に並んでいるのだ。歴史教育が、戦前並みに国民教化の手段とされようとしているとき、戦後の知的営為により獲得されてきた、ボクたちの地歩を確認するためにも。
矢野眞和「教育家族の逆接」は、日本人の意識状態が示される。私立大学はとてもカネがかかる、それはボクは「不当」であると思っているのだが、国民はそれを「不当」とは思っていないようだ。「子どもの教育は親の責任」というイデオロギー。これがあまりに強固で、だからこそ、日本の教育が、OECD加盟国のなかで極端に私費が多い、という状況に国民は何ら疑問を持たないのである。
いや、日本国民は、ほとんど、どんなことにも疑問を抱かずに生きていくのだ。
そのほか、今月号は読ませる論文が多い。日本は、本当に山のように課題がある。それらの課題を、あきらめることなく、ひとつひとつ解決していく、そういう気概が求められている。
山口恵子の「「東京」に出ざるをえない若者たち」は、青森県の青年たちの労働と生活を記したものだ。一度も正社員にならず、職場を転々とする。「労働力流動化政策」により翻弄される若者たち。ハードな仕事、低賃金、放置される労災、「細切れ雇用」・・・・しかしそういう状況であっても、彼らの故郷や実家は、その困難を和らげてくれる。だが、親はなくなり、世代が変わり、実家が永続的にその支えとなるわけがない。実家が支えるという「日本型福祉」は、もうもたなくなっている。
山口は、末尾に近いところでこう記す。
都市近郊部の労働者の外側に、より不利な条件で地方から(および海外から)の労働者が動員される。周縁化された労働者であればあるほど、政策や景気の変動がダイレクトに転嫁され、労働と生活の不安定化が加速していく。構造的な地域間格差のなかでの使い勝手のよい労働力のプール地としての周辺、という位置づけは再生産される続けているようにみえる。
そして「私たちは資本主義の奴隷になるべきではない」が、文の末尾に記される。
中西新太郎の「グローバル競争時代の能力論・人材養成論と内面統治の国家主義」も、若者たちの内面まで統治しようとする暴力的なあり方が示される。
たとえば相互抑圧的な、個人個人の「共感動員」が強制される、「感動」の強制的共感。それを表現しているかどうかにより審判されるという現実。
出口はあるのか、と叫び出したくなるほどだ。
大串潤児の「歴史教科書問題考察の原点」は、もう一度家永教科書裁判の再検証を行うことを要請している。実はボクは、家永裁判の訴訟関係の本が、書棚に並んでいるのだ。歴史教育が、戦前並みに国民教化の手段とされようとしているとき、戦後の知的営為により獲得されてきた、ボクたちの地歩を確認するためにも。
矢野眞和「教育家族の逆接」は、日本人の意識状態が示される。私立大学はとてもカネがかかる、それはボクは「不当」であると思っているのだが、国民はそれを「不当」とは思っていないようだ。「子どもの教育は親の責任」というイデオロギー。これがあまりに強固で、だからこそ、日本の教育が、OECD加盟国のなかで極端に私費が多い、という状況に国民は何ら疑問を持たないのである。
いや、日本国民は、ほとんど、どんなことにも疑問を抱かずに生きていくのだ。
そのほか、今月号は読ませる論文が多い。日本は、本当に山のように課題がある。それらの課題を、あきらめることなく、ひとつひとつ解決していく、そういう気概が求められている。