袖井林二郎『夢二 異国への旅』(ミネルヴァ書房)を読み終えた。ひろたまさき氏から夢二晩年の台湾旅行を記した「台湾の夢二ー最後の旅」という論文を送っていただいたのだが、その論文にこの本のことが記されていた。そこで古本で700円ということだったので購入したのである。実際は3000円である。届いた本は新刊本のようであった。
ボクは夢二の絵が好きで、若い頃岡山で米騒動史研究会があったとき、タクシーをとばして「夢二郷土美術館」に行ったこともある。
http://yumeji-art-museum.com/
夢二との出会いは、高校生の頃だったか、デパートで行われた展覧会をみたことだと記憶している。夢二の絵に描かれた女性たちの物憂げなやるせない姿が、ボクのこころに強い印象をもたらしたのだ。そのときに購入した絵はがき、そして岡山の「夢二郷土美術館」で購入した絵はがきの一部は今も持っている。
さて夢二は、アメリカ西海岸、そしてヨーロッパへと旅に出る。夢二はある種の人格破綻者、カネがあればどんどんつかってしまい、いつもカネがない。しかし周りの人々に支えられながら、この大きな旅行を経験する。そして途轍もない女性好きである。
だがだからといって、この旅行が夢二の絵にどういうプラスがあったのかはわからない。あまり描いていないからだ。すでに名声を得ていた夢二、どちらかというと落ち目になったあとに洋行したので、その成果が現れていないように思える。
この本、旅行中に描いた絵が紹介され、また文筆家としても名高い夢二の文が、そこそこに引用されていて、なかなか読ませる本である。
悲哀のためには青い絵の具、歓喜のためには黄色、信仰のためには緑色、純潔のためには白、愛のためには赤い絵の具を・・・
希望を表す色はない、という。夢二には希望はなかったのか。
またドイツで日本画について記したものも紹介されている。
西洋画に於ては、光の中に物を見る。・・・日本画に於ては、心の中に物を見る。・・・・利休は「庭に花あれば、茶室に花を挿さず」と教える。全宇宙の中に唯一を求め、唯一の中に森羅万象を大観する手だてである。またこれは重複を避くる一の審美眼である・・・・
ボクは夢二の絵を見てはいても、夢二の文や、夢二について書かれた伝記めいたものも読んだことはなかった。
この本を読んで、いよいよ夢二が好きになった。
東京にも、弥生美術館・夢二美術館がある。短時間だけど一度行ったことがある。そのとき一緒に行った人は、今頃どうしているのだろうか。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
ボクは夢二の絵が好きで、若い頃岡山で米騒動史研究会があったとき、タクシーをとばして「夢二郷土美術館」に行ったこともある。
http://yumeji-art-museum.com/
夢二との出会いは、高校生の頃だったか、デパートで行われた展覧会をみたことだと記憶している。夢二の絵に描かれた女性たちの物憂げなやるせない姿が、ボクのこころに強い印象をもたらしたのだ。そのときに購入した絵はがき、そして岡山の「夢二郷土美術館」で購入した絵はがきの一部は今も持っている。
さて夢二は、アメリカ西海岸、そしてヨーロッパへと旅に出る。夢二はある種の人格破綻者、カネがあればどんどんつかってしまい、いつもカネがない。しかし周りの人々に支えられながら、この大きな旅行を経験する。そして途轍もない女性好きである。
だがだからといって、この旅行が夢二の絵にどういうプラスがあったのかはわからない。あまり描いていないからだ。すでに名声を得ていた夢二、どちらかというと落ち目になったあとに洋行したので、その成果が現れていないように思える。
この本、旅行中に描いた絵が紹介され、また文筆家としても名高い夢二の文が、そこそこに引用されていて、なかなか読ませる本である。
悲哀のためには青い絵の具、歓喜のためには黄色、信仰のためには緑色、純潔のためには白、愛のためには赤い絵の具を・・・
希望を表す色はない、という。夢二には希望はなかったのか。
またドイツで日本画について記したものも紹介されている。
西洋画に於ては、光の中に物を見る。・・・日本画に於ては、心の中に物を見る。・・・・利休は「庭に花あれば、茶室に花を挿さず」と教える。全宇宙の中に唯一を求め、唯一の中に森羅万象を大観する手だてである。またこれは重複を避くる一の審美眼である・・・・
ボクは夢二の絵を見てはいても、夢二の文や、夢二について書かれた伝記めいたものも読んだことはなかった。
この本を読んで、いよいよ夢二が好きになった。
東京にも、弥生美術館・夢二美術館がある。短時間だけど一度行ったことがある。そのとき一緒に行った人は、今頃どうしているのだろうか。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/