エリザベス女王の葬儀をBBCで見続けた。世界各地に植民地をもっていた大英帝国らしいものであった。連合王国の歴史を感じさせた。ただ私は、その歴史を肯定しているわけではない。
こういう儀式は、国家権力による国民統合の手段として存在する。そうした効果を高めるため、エリザベス女王は最適な女王だった。女王に対しての敵意みたいなものが連合王国国民のなかに少なかったからだ。今回の葬儀でも、それが感じられた。
さて、わが国でも国葬めいた「国葬儀」があるようだ。その対象は、安倍晋三というもと首相である。自民党や公明党、国民民主党や維新の政治家、ネトウヨのような平気で悪罵をなげつける者たちから、彼は評価されている。それはそうだ。近代民主政治の原理を踏みにじり、法治主義などの政治の安定性をぶち壊したからだ。それを望む者たちが、彼を支持した。
それだけでなく、モリカケサクラ壺五輪にみられるように、政治を私物化し、国民の税金を思い切り無駄遣いした。
そういう人間を「国葬儀」というかたちで、税金を投入して「国葬」めいたものをしたいと岸田はじめ、自民党は考えた。
しかし彼の死は、多額の献金を奪って家庭を崩壊してきた統一教会の広告塔に彼がなっていたこと、それを知った容疑者が彼に強い怒りと恨みをもったことが原因である。
そして統一教会は、今もって安倍晋三を「忘れない」などと礼賛している。となると、彼を「国葬儀」にすることは、統一教会を日本国家がバックアップするということにもなるのではないかと思う。
エリザベス女王の葬儀は、キリスト教会が中心となって営まれた。安倍晋三の「国葬儀」は、統一教会の「司祭(?)」が仕切るのだろうか。
安倍晋三の「国葬儀」については、半分以上の国民が反対している。そういうなかで強行することは、国家権力が望む国民統合にとってマイナスとなるであろう。
そしておそらく、安倍晋三の「国葬儀」はエリザベス女王の「国葬」に比較され、その貧相さが如実に示されることであろう。同時に、大きな反対の声がどこでも叫ばれることだろう。
岸田君、きみは何もしない政治家なのに、「国葬儀」だけを強行突破しようとしている。それはきみにとって地獄への道だよ。