文科省が作成して学校現場を強く拘束する学習指導要領。以前はそのなかに「態度を養う」という語句が多用されていたが、最近は少なくなっているようだ。しかしわたしは、「態度を養う」という意味がわからない。
たとえば、小学校の学習指導要領の「外国語」。そこに、「主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う」とある。要するに、「主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図」る、のではなく、それらしく振る舞えば良いということから「態度を養う」とするのだろう。「特別活動」でも、「自主的,実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして,集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに,人間としての生き方についての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を養う。」とある。
日本の学校では、「それらしく振る舞うこと」が求められるのだ。つまり外面、そとづらを重視するのである。
さて、昨日の『東京新聞』、「本音のコラム」で、前川喜平さんが「小学校~それは小さな社会~」という映画を見た感想をこう書いている。
冒頭は、新一年生が家庭内で給食の配膳の練習をする場面。さらに教室の机を目測しながらまっすぐに並べる児童の姿が映る。新一年生の担任教師は「腕を耳に当てて」と挙手の仕方を教える。六年生の担任教師は、体育の授業の開始時刻に全員が揃わなかったことをきびしく叱る。提出物を忘れた児童にはタブレットを取り上げる罰を与える。音楽教師は、合奏の練習で暗譜してこなかった一年生を叱責する。教師は児童に「殻を破る」よう促すが、破った先に求めるのは、教師の規範意識にかなう児童像だ。教師の規範意識は確実に児童間の同調圧力になる。脱いだ上履きはかかとを揃えておくこと。係の児童は靴箱の中を点検して〇や△で評価し、タブレットで証拠写真を撮る。教室では背筋を伸ばして着席すること。係の児童は各人の座り方を点検し、正しく着席した者の名を挙げる。コロナ対策でマスクを着用すること。マスクをする児童が、マスクをしない児童を「良くないね」と言う。こうして規律正しい「良き日本人」がつくられる。ここには障害のある子も、外国ルーツの子も、性的マイノリティの子も、不登校の子も登場しない。この映画の原題は「The making of a Japanese」だ。
「態度を養う」というのは、こういう子どもたち、日本人をつくりだすための、文科省のやりかただ。
登校しない、できない子どもたちが増えている。あたりまえだ。こんな学校なら、行きたくもない。教師が設定する(それは、文科省ー教育委員会ー学校長へと下された命令でもある)規範に従うという「態度」なんて、クソくらえである。
今学校では、子どもたちがおとなしくなっているそうだ。反抗精神が抑えられ、「規範」に息苦しさを感じる子どもたちが学校に行くことを拒否する。おとなしい子どもたちが教室を埋める。
日本の未来は暗いといわざるをえない。