「なまこ山」に、筆者・澤田展人の考え方が記されているところがあった。
久仁人(前項では、「なまこ山」の登場人物をすべてカタカナで表記した)の考えを以下のように書いている。
久仁人は、反権威、反権力の威勢のいいことを言いながら、実際には自己保身に走り地位と収入を得るために汲々としている仲間をいやというほど見て、彼らを嫌っていた。
おそらくこの記述は、筆者の考えであろう。筆者は、亡くなった外岡秀俊らと札幌南高校で高校紛争の当事者であった。この時代、高校紛争に関与した者(すべてではないが)は、反権威、反権力の志向を変わらずにもつ。一方、周囲の人間を見ていて、大学でのいろいろな闘いに関わった者は、いつのまにか反権力、反権威の志向を捨て去っている。結局、彼らは「出世」の階梯をのぼっていった。
高校生の時期にもった志向は、一生を左右する。捨て去ることができない。外岡も、朝日新聞社内で「出世」の階梯をのぼることを拒否していた。それは澤田も同様であろう。
私も、澤田と同様に、反権威、反権力を貫いてきた。しかし私は、「自己保身に走り地位と収入を得るために汲々としている」者を「嫌う」ことはしなかった。異なった価値観を持つ者だと、冷静に見ていた。
なお「なまこ山」は、北海道の富良野にあるようだ。私は北海道には一度しか行ったことがないし、富良野には行かなかった。小説の表題にするほどだから、特別な景観をもつのだろうと思う。