都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「高嶺格 とおくてよくみえない」 横浜美術館
横浜美術館(横浜市西区みなとみらい3-4-1)
「高嶺格 とおくてよくみえない」
1/21-3/20
意外にも関東圏では初めての大規模な個展だそうです。横浜美術館で開催中の「高嶺格 とおくてよくみえない」へ行ってきました。
作家、高嶺格のプロフィールについては同館WEBサイトをご参照下さい。
高嶺格(たかみね・ただす)@とおくてよくみえない 作家と作品
近年ではせんだいメディアテークの他、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館などで個展がありました。
ともかく高嶺というと私の中では何とも捉えがたい、また謎めいた作家という印象がありましたが、今回の個展でそれは少し変化したかもしれません。
ちらしに記された言葉を借りれば、ここにあるのは確かに「不条理」で「思いもよらない」作品ばかりです。
お馴染みの巨大吹き抜けのエントランスには大きな布製の幕がゆらゆらと靡き、スピーカーからは奇妙なうめき声が終始ひっきりなしに発せられています。まさに摩訶不思議、一筋縄にはいきません。一体どのような展示が待ち構えているのかと、身を構えるようにして足を進めました。
とすると第一の「緑の部屋」(2011)と名付けられた暗がりの展示室には、落ち着いた緑色の壁面をバックに、それこそ草花や抽象文様をした、一見するところ絵画的でありまた美しい刺繍作品がずらりと並んでいます。その数は20点以上、まさに正統派名画展のような雰囲気をたたえて堂々と展示されていました。
もちろんこれらは高嶺が自身の手で作った刺繍というわけではありません。しばらく見ていると気がつきますが、これらは単なる既製の毛布などに過ぎません。高嶺はそれらに輝かしいスポットライトをあて、もっともらしいタイトルとキャプションをつけることで、さも有り難みのある作品を半ば偽装することに成功しました。
美術館の中にあるのは当然ながら美術作品であるということを、高嶺は半ば揶揄するかのようにして毛布を並べ立ています。それこそ普通の名画展などでよくみえなくてもみたつもりになっている自分のような人間は、結局その気になっているだけに過ぎないのではないかと問いただされているような気がしてなりませんでした。 (あえて種明かしをすると、この展示室は前回のドガ展をそのまま用いているそうです。)
横浜トリエンナーレで不思議と印象的だった鹿児島エスペラント風のインスタレーション、「A Big Blow-job」(2004/2011再制作)も、よくみえないのにも関わらずみた気にさせるような作品と言えるかもしれません。暗闇の中を音楽にのせて浮かび上がるのは、例えば「自明性」や「感覚」といった断片的な言葉の群れでした。
実際、これらのテキストは吉岡洋の「新・共通感覚論」を元にしているそうですが、インスタレーションの中ではその文脈は切り刻まれ、全体をみることは叶いません。
しばらくその文字を追っていると奇妙な浮遊感、また居心地の悪さを覚えるのが不思議でした。そしてひょっとするとそれは、例えばわからないことをわからないとして受け流した時に味わう自己嫌悪に似たような感覚でもあるかもしれません。
在日韓国人を通して国家や個人のアイデンティティーを問う「ベイビー・インサドン」(2004)や、東近美の「わたしいまめまいしたわ」展にも出ていた「God Bless America」(2002)など、非常に社会的な問題を捉えた作品を経由すると、最後にはまた謎めいた作品が控えています。それが展示タイトルの通りの新作映像インスタレーション、「とおくてよくみえない」(2011)でした。
スクリーン上に写し出されるのはシルエット状の人物たちです。彼ら彼女らは時に這いつくばり、一心不乱に床一面へ散らばったとある突起物を吸い続けています。その様子はまるで性的なエネルギーでも得ようとする宗教儀式のようです。エンドレスで続くその儀式は、新たに不穏でみえない何かを鑑賞者に投げかけていました。
しかしながらその作品のメッセージが、スクリーンを抜けたすぐ先にあるのも重要なポイントです。そこには高嶺の主張とともに、突起物の正体も明らかになっています。
「野性の法則」(2011)
先の社会的な作品をはじめ、冒頭の既存の美術の在り方を問う「緑の部屋」など、高嶺は表現方法こそ奇をてらったものであれ、そのメッセージは常に強く打ち出しています。そうした意味ではとても戦略的な展示と言えるのかもしれません。あえてこうした表現を美術館の枠の中で行うことの意味までは良く分かりませんでしたが、少なくとも彼の作品に頭を悩ませる体験は私にとってかなりスリリングでした。
「高嶺格 とおくてよくみえない/フィルムアート社」
展示の後、いつものように常設へ回りましたが、どこかおさまりの悪い、またいつもより落ち着かない不安感のようなものを感じてなりませんでした。これも高嶺の世界に触れたこと、もしくはその気にさせられたことの現れなのかもしれません。
高嶺格トークイベント
日時:3月19日(土)15:00~16:30
会場:横浜美術館レクチャーホール(定員240名、無料) *開場は開演の30分前
3月20日まで開催されています。
*開館日時:金~水(木休) 10:00~18:00(金曜は20:00まで開館、入場は閉館の30分前まで。)
「高嶺格 とおくてよくみえない」
1/21-3/20
意外にも関東圏では初めての大規模な個展だそうです。横浜美術館で開催中の「高嶺格 とおくてよくみえない」へ行ってきました。
作家、高嶺格のプロフィールについては同館WEBサイトをご参照下さい。
高嶺格(たかみね・ただす)@とおくてよくみえない 作家と作品
近年ではせんだいメディアテークの他、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館などで個展がありました。
ともかく高嶺というと私の中では何とも捉えがたい、また謎めいた作家という印象がありましたが、今回の個展でそれは少し変化したかもしれません。
ちらしに記された言葉を借りれば、ここにあるのは確かに「不条理」で「思いもよらない」作品ばかりです。
お馴染みの巨大吹き抜けのエントランスには大きな布製の幕がゆらゆらと靡き、スピーカーからは奇妙なうめき声が終始ひっきりなしに発せられています。まさに摩訶不思議、一筋縄にはいきません。一体どのような展示が待ち構えているのかと、身を構えるようにして足を進めました。
とすると第一の「緑の部屋」(2011)と名付けられた暗がりの展示室には、落ち着いた緑色の壁面をバックに、それこそ草花や抽象文様をした、一見するところ絵画的でありまた美しい刺繍作品がずらりと並んでいます。その数は20点以上、まさに正統派名画展のような雰囲気をたたえて堂々と展示されていました。
もちろんこれらは高嶺が自身の手で作った刺繍というわけではありません。しばらく見ていると気がつきますが、これらは単なる既製の毛布などに過ぎません。高嶺はそれらに輝かしいスポットライトをあて、もっともらしいタイトルとキャプションをつけることで、さも有り難みのある作品を半ば偽装することに成功しました。
美術館の中にあるのは当然ながら美術作品であるということを、高嶺は半ば揶揄するかのようにして毛布を並べ立ています。それこそ普通の名画展などでよくみえなくてもみたつもりになっている自分のような人間は、結局その気になっているだけに過ぎないのではないかと問いただされているような気がしてなりませんでした。 (あえて種明かしをすると、この展示室は前回のドガ展をそのまま用いているそうです。)
横浜トリエンナーレで不思議と印象的だった鹿児島エスペラント風のインスタレーション、「A Big Blow-job」(2004/2011再制作)も、よくみえないのにも関わらずみた気にさせるような作品と言えるかもしれません。暗闇の中を音楽にのせて浮かび上がるのは、例えば「自明性」や「感覚」といった断片的な言葉の群れでした。
実際、これらのテキストは吉岡洋の「新・共通感覚論」を元にしているそうですが、インスタレーションの中ではその文脈は切り刻まれ、全体をみることは叶いません。
しばらくその文字を追っていると奇妙な浮遊感、また居心地の悪さを覚えるのが不思議でした。そしてひょっとするとそれは、例えばわからないことをわからないとして受け流した時に味わう自己嫌悪に似たような感覚でもあるかもしれません。
在日韓国人を通して国家や個人のアイデンティティーを問う「ベイビー・インサドン」(2004)や、東近美の「わたしいまめまいしたわ」展にも出ていた「God Bless America」(2002)など、非常に社会的な問題を捉えた作品を経由すると、最後にはまた謎めいた作品が控えています。それが展示タイトルの通りの新作映像インスタレーション、「とおくてよくみえない」(2011)でした。
スクリーン上に写し出されるのはシルエット状の人物たちです。彼ら彼女らは時に這いつくばり、一心不乱に床一面へ散らばったとある突起物を吸い続けています。その様子はまるで性的なエネルギーでも得ようとする宗教儀式のようです。エンドレスで続くその儀式は、新たに不穏でみえない何かを鑑賞者に投げかけていました。
しかしながらその作品のメッセージが、スクリーンを抜けたすぐ先にあるのも重要なポイントです。そこには高嶺の主張とともに、突起物の正体も明らかになっています。
「野性の法則」(2011)
先の社会的な作品をはじめ、冒頭の既存の美術の在り方を問う「緑の部屋」など、高嶺は表現方法こそ奇をてらったものであれ、そのメッセージは常に強く打ち出しています。そうした意味ではとても戦略的な展示と言えるのかもしれません。あえてこうした表現を美術館の枠の中で行うことの意味までは良く分かりませんでしたが、少なくとも彼の作品に頭を悩ませる体験は私にとってかなりスリリングでした。
「高嶺格 とおくてよくみえない/フィルムアート社」
展示の後、いつものように常設へ回りましたが、どこかおさまりの悪い、またいつもより落ち着かない不安感のようなものを感じてなりませんでした。これも高嶺の世界に触れたこと、もしくはその気にさせられたことの現れなのかもしれません。
高嶺格トークイベント
日時:3月19日(土)15:00~16:30
会場:横浜美術館レクチャーホール(定員240名、無料) *開場は開演の30分前
3月20日まで開催されています。
*開館日時:金~水(木休) 10:00~18:00(金曜は20:00まで開館、入場は閉館の30分前まで。)
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