クイナが来る、クイナがぁぁぁ
ディクテーションは、録音された他人の話を聞き、それを文章にするわけで、複数の人が話していても、そこに何人いるのかすら知らされず、大抵、資料はほとんどないという状況で作業をします。資料があるというときは逆に山ほどあって、どの資料のどこを見ているのか分からず、探すのが嫌になります。そういう状態なのに日本語がおかしいのですから、予測したとおりにならない、日本語としての流れが悪いので非常に聞き取りにくい、ありえない言葉が出てくる、次に何と言うか予測できない、ということで、とにかくいったんは聞こえるとおりに少しずつ入力するしかありません。
実際、正しい日本語で話す人なら、当然次に出てくるべき言葉がちゃんと出てきますので、非常に効率よく気持ちよく入力できます。よほど専門的な話でなければ、しばらく作業を続けて慣れてくると、その人が話すのと同じ速度で入力できるようになります。言葉の流れから語尾を先読みして入力しても裏切られません。まあ、そんなことはめったにありませんから、あの人と、あの人と、という具合に指折り数えられる程度の人数ですよ。
そもそも録音状態が悪く、眉間にしわを寄せなくても聞こえるなんていう音のいいものはめったにありません。耳に神経を集中させ、雑音の中から言葉を一つ一つ拾い上げるような状態なのでぶつ切りになり、頻繁に Enterキーを押す、そのせいで右手の薬指を痛めてしまったほどです。今は、鍼灸治療のかいもあってだいぶよくなり、ノートパソコンに替えたことで指にかかる負担が減り、随分楽になりましたが・・・。
さらに、自分の頭で考えていることを文章にする場合にはありえないような変なところで区切って Enter しているので、変換がだんだんおかしくなってきます。そして、「ここが○○のいちばん得意な」を、「得意な」が聞き取れなかったので「いちばん」で切り、戻って聞き直し、続けて「とくいな」と入力して変換すると「と くいな」となり、「いちばん」まで削除して「いちばんとくいな」と入力して変換してみたら「いちばんと くいな」になって、「水鶏(クイナ)じゃないっつーの! キーッ!!!(`д´)」と、切れました。
ディクテーションは、録音された他人の話を聞き、それを文章にするわけで、複数の人が話していても、そこに何人いるのかすら知らされず、大抵、資料はほとんどないという状況で作業をします。資料があるというときは逆に山ほどあって、どの資料のどこを見ているのか分からず、探すのが嫌になります。そういう状態なのに日本語がおかしいのですから、予測したとおりにならない、日本語としての流れが悪いので非常に聞き取りにくい、ありえない言葉が出てくる、次に何と言うか予測できない、ということで、とにかくいったんは聞こえるとおりに少しずつ入力するしかありません。
実際、正しい日本語で話す人なら、当然次に出てくるべき言葉がちゃんと出てきますので、非常に効率よく気持ちよく入力できます。よほど専門的な話でなければ、しばらく作業を続けて慣れてくると、その人が話すのと同じ速度で入力できるようになります。言葉の流れから語尾を先読みして入力しても裏切られません。まあ、そんなことはめったにありませんから、あの人と、あの人と、という具合に指折り数えられる程度の人数ですよ。
そもそも録音状態が悪く、眉間にしわを寄せなくても聞こえるなんていう音のいいものはめったにありません。耳に神経を集中させ、雑音の中から言葉を一つ一つ拾い上げるような状態なのでぶつ切りになり、頻繁に Enterキーを押す、そのせいで右手の薬指を痛めてしまったほどです。今は、鍼灸治療のかいもあってだいぶよくなり、ノートパソコンに替えたことで指にかかる負担が減り、随分楽になりましたが・・・。
さらに、自分の頭で考えていることを文章にする場合にはありえないような変なところで区切って Enter しているので、変換がだんだんおかしくなってきます。そして、「ここが○○のいちばん得意な」を、「得意な」が聞き取れなかったので「いちばん」で切り、戻って聞き直し、続けて「とくいな」と入力して変換すると「と くいな」となり、「いちばん」まで削除して「いちばんとくいな」と入力して変換してみたら「いちばんと くいな」になって、「水鶏(クイナ)じゃないっつーの! キーッ!!!(`д´)」と、切れました。