すりすりさせてぇ
聞こえない、言葉そのものが難しい、日本語としてちゃんと成立していない、これでどうしてすんなり文章になるでしょうか、なるわけがない! 30分も作業すると投げ出したくなります。そして、ハムやんを「んまいもんあげるからおいで~」と誘い出し、すりすり、ふがふが、気分転換~(~_~;)へへ。
聞こえてはいるけれど何を言っているのかよく分からない、大多数の人がそうなのですが、足りない言葉を適当に補い、てきと~じゃありませんよ、適当に補って文章を作る、そうしないと「読める文章」にはならないのです。つまり、いかに聞き手に甘えて話しているか、ディクテーションをやるとよーく分かるのですよ。
正確に文章化するにはちゃんと聞き取れることが最低条件になりますが、どうにも聞き取れないことが多い。どう頑張っても聞き取れない、つなぎようがないときは、しかたない、削りますよ。「その*は、我々は果たして*るのかどうか」というように、9割聞こえても肝心な1割が聞こえないというとき、話を勝手に作るわけにはいかないので、やはり削るしかありません。
録音の状態が悪ければ、「うみうられるのはね」と聞こえたら、5回聞いても「うみうられるのはね」と聞こえます。とりあえずそう書いておいて、話をもう少し先まで聞いたら「○、△、□、ということがいわれるんですよね」と言いました。ということは、「うみうられるのはね」は「よくいわれるのはね」です。そうですよ、「うみうられるのはね」と聞こえるんですってば。
「よくいわれるのはね、○、△、□、ということがいわれるんですよね」です。これはよくあるパターンで、無駄な繰り返し、最初と最後がちゃんとつながっていない、一つの文になっていないわけで、最初の「よくいわれるのはね」を削り、「よく」を後半に挿入して「○、△、□、ということがよくいわれるんですよね」とします。
録音の状態はそう悪くない、でも、聞き取れない、聞き取れないくらい早口で言葉がぐだぐだに崩れている、そんな人もいます。もはや何語か分からない、宇宙人かよっ(ーー;)って感じぃ~。先日、ある委員会の議事録作成のためにディクテーションをやったのですが、委員の中に宇宙人が交じっていました。言葉として聞き取れるのは3割程度ですから、文章化なんて無理!
要約というより、ほとんどカット。趣旨を大まかにつかんで短い文章にしました。その場にいてその人と会話している人は、当然、内容をよく分かったうえで話し合いをしているわけで、互いの顔を見ているし、身振り手振りも見ていますから、早口でぐだぐだでも何となく分かる、分かった気になっているかもしれませんが、音声を聞くだけだと、何度聞いても「○*が□※△◇◎から▽@д○жと思います」ですからね。
録音状態が悪いせいで聞き取れないという以外に、話し手本人が言葉としてちゃんと発していないから聞き取れない、本人がちゃんと言っていないのだから分かるわけがないということもあります。よく「かむ」と表現しますが、かんでも言い直さないから分かりません。こんなものはいっそ削ってしまったほうが、間違った内容の文章にするよりいいでしょ?
5回ぐらい聞いてようやく「私をさとさせてくれた」と聞こえたらどうしますか。「悟る」なら「悟らせてくれた」であり、「さとさせてくれた」ではない。「諭す」は「諭してくれた」であり、これも「さとさせてくれた」ではない。でも、何度聞いても「私をさとさせてくれた」と聞こえるのですよぉ~。
ん~~~困った ┐( ̄д ̄)г。よし、削ろう。削っても支障はなさそうだし(~_~;)。いや、正確に言うと、支障のないように、前後の言葉を入れ替え、流れを少し変えて、されども趣旨は決して変えず、巧みに( ← 自分で言うのも変だけど)文章を作って自然な感じに整えました。めでたし、めでたし。(⌒・⌒)v
ところで、皆さんお気づきですか? 5月1日の記事で大物俳優の「並び替える」について書いたのですが、テレビを見ていてびっくりしました。「並べ替える」とはっきりくっきり聞こえたのです。おお~、渡辺謙さん、かっこいい。だれかに指摘されて直したのかなぁ、それとも、前から疑問を感じていて、自ら調べて直したのかなぁ( ̄・ ̄)、だとしたら、こんな素晴らしいことはないですよね(⌒・⌒)。
聞こえない、言葉そのものが難しい、日本語としてちゃんと成立していない、これでどうしてすんなり文章になるでしょうか、なるわけがない! 30分も作業すると投げ出したくなります。そして、ハムやんを「んまいもんあげるからおいで~」と誘い出し、すりすり、ふがふが、気分転換~(~_~;)へへ。
聞こえてはいるけれど何を言っているのかよく分からない、大多数の人がそうなのですが、足りない言葉を適当に補い、てきと~じゃありませんよ、適当に補って文章を作る、そうしないと「読める文章」にはならないのです。つまり、いかに聞き手に甘えて話しているか、ディクテーションをやるとよーく分かるのですよ。
正確に文章化するにはちゃんと聞き取れることが最低条件になりますが、どうにも聞き取れないことが多い。どう頑張っても聞き取れない、つなぎようがないときは、しかたない、削りますよ。「その*は、我々は果たして*るのかどうか」というように、9割聞こえても肝心な1割が聞こえないというとき、話を勝手に作るわけにはいかないので、やはり削るしかありません。
録音の状態が悪ければ、「うみうられるのはね」と聞こえたら、5回聞いても「うみうられるのはね」と聞こえます。とりあえずそう書いておいて、話をもう少し先まで聞いたら「○、△、□、ということがいわれるんですよね」と言いました。ということは、「うみうられるのはね」は「よくいわれるのはね」です。そうですよ、「うみうられるのはね」と聞こえるんですってば。
「よくいわれるのはね、○、△、□、ということがいわれるんですよね」です。これはよくあるパターンで、無駄な繰り返し、最初と最後がちゃんとつながっていない、一つの文になっていないわけで、最初の「よくいわれるのはね」を削り、「よく」を後半に挿入して「○、△、□、ということがよくいわれるんですよね」とします。
録音の状態はそう悪くない、でも、聞き取れない、聞き取れないくらい早口で言葉がぐだぐだに崩れている、そんな人もいます。もはや何語か分からない、宇宙人かよっ(ーー;)って感じぃ~。先日、ある委員会の議事録作成のためにディクテーションをやったのですが、委員の中に宇宙人が交じっていました。言葉として聞き取れるのは3割程度ですから、文章化なんて無理!
要約というより、ほとんどカット。趣旨を大まかにつかんで短い文章にしました。その場にいてその人と会話している人は、当然、内容をよく分かったうえで話し合いをしているわけで、互いの顔を見ているし、身振り手振りも見ていますから、早口でぐだぐだでも何となく分かる、分かった気になっているかもしれませんが、音声を聞くだけだと、何度聞いても「○*が□※△◇◎から▽@д○жと思います」ですからね。
録音状態が悪いせいで聞き取れないという以外に、話し手本人が言葉としてちゃんと発していないから聞き取れない、本人がちゃんと言っていないのだから分かるわけがないということもあります。よく「かむ」と表現しますが、かんでも言い直さないから分かりません。こんなものはいっそ削ってしまったほうが、間違った内容の文章にするよりいいでしょ?
5回ぐらい聞いてようやく「私をさとさせてくれた」と聞こえたらどうしますか。「悟る」なら「悟らせてくれた」であり、「さとさせてくれた」ではない。「諭す」は「諭してくれた」であり、これも「さとさせてくれた」ではない。でも、何度聞いても「私をさとさせてくれた」と聞こえるのですよぉ~。
ん~~~困った ┐( ̄д ̄)г。よし、削ろう。削っても支障はなさそうだし(~_~;)。いや、正確に言うと、支障のないように、前後の言葉を入れ替え、流れを少し変えて、されども趣旨は決して変えず、巧みに( ← 自分で言うのも変だけど)文章を作って自然な感じに整えました。めでたし、めでたし。(⌒・⌒)v
ところで、皆さんお気づきですか? 5月1日の記事で大物俳優の「並び替える」について書いたのですが、テレビを見ていてびっくりしました。「並べ替える」とはっきりくっきり聞こえたのです。おお~、渡辺謙さん、かっこいい。だれかに指摘されて直したのかなぁ、それとも、前から疑問を感じていて、自ら調べて直したのかなぁ( ̄・ ̄)、だとしたら、こんな素晴らしいことはないですよね(⌒・⌒)。