聞こえてるよね?
占いなんて当たらないなぁと思うのですが、年が改まると、九星や星座など、2015年の運勢について何と書いてあるか、やはりちょっと気になります。北陸朝日放送の「土曜はドキドキ」でも九星占いをやっていたのですが、大きなボードに大きな文字で「開放感で満ちた一年」と書いてありました。「開放感に満ちた一年」でも「開放感で満たされる一年」でもないって、だれか気づけよ・・・もう遅いか┐( ̄д ̄)г。
うん? 待てよ、開放感で満たされる? それに、「空間」ならまだしも、「一年」には違和感を覚えますねぇ。ガンダルフによってサルマンから解放されたローハンの王のように、束縛や苦痛から解放される、さまざまな悩みから解放される、「解放感に満ちた一年」「解放感で満たされる一年」ですね。
「ワイド!スクランブル」で、話し手が「どうしたらお客さんが喜んでいただけるのか」と言ったとき、「どうしたらお客さんが喜んでくれるのか」というテロップが出たという珍しいことがありました。今は、一般の人も、そんなに緊張していなくても「お客さんも喜んでもらえるし」なんて言いますからね、なぜ「お客さんにも喜んでもらえるし」でも「お客さんも喜んでくれるし」でもないのかなぁ。
明るい声で「ゲストの皆さん、お越しいただきました」と言ったのはベッキーです。とうとう助詞抜きですよ。羽鳥慎一はいつも「○さんがお越しいただきました」で、大勢のアナウンサーがその影響を受けていますが、ベッキーはどのように感じているのでしょうかね、「~に」でも「~が」でもなくて「ゲストの皆さん、お越しいただきました」って、迷ったら抜けばいい┐( ̄д ̄)г?
「極Kiwami」という番組で見た「踵の部分は丸みつけて仕上げる」というテロップ、助詞抜きが当たり前の世の中でも、これはないでしょ! しかしまぁ、現実にはいっぱい見掛けますね。「主治医が見つかる診療所」なんて、医師が「使ってる筋肉ってのは限られてるんですね」と言っているとき、「使ってる筋肉 限られてる」というテロップを出すのですよ、毎度こんな調子です( ̄д ̄)!
なぜ「使っている筋肉は限られている」と書かないのか不思議でたまりませんが、「主治医が見つかる診療所」はいつもこういうやっつけですからあまり気にしないように我慢して見ているわけですよ。でも、「極Kiwami」は全体的に丁寧に作ってありましたから、ちゃんと「踵の部分は丸みをつけて仕上げる」と書かないと。ほかにも「節と節の間が長く・太く」という奇妙なテロップが出たり、ナレーションが、「材料」なのに「原料」だったり。日本語で書くのってそんなに難しい?
「ネット検索たまにしてます」という記述、これはまだいいですよね、気軽に話し言葉でそのまんま書いているだけですから。でも、割ときちんと書いてある文章の中で「伯父にお金の援助してもらっているため」や「専門家がメニュー組んで行うのが最もリスク少ないと思います」はいけません。「伯父にお金の援助をしてもらっているため」「専門家がメニューを組んで行うのが最もリスクが少ないと思います」です。
「聴覚障害に該当しない診断します」は、画面に映った、医師が書いた書面にあった記述です。自分は耳が聞こえないと言っていた作曲家、作曲も別人がしていたようですが、その人の検査を事件発覚後に実施し、聴覚障害には該当しないと診断したようなのですがねぇ、どうやら正式な書面のようなのですがねぇ・・・。
単なる脱字、たまたま出ちゃったケアレスミスならいいのですが、近ごろの文章は何を見てもちゃんと助詞を書いていない、ただの脱字と言うには多すぎるのです。つまり、抜けたのではなく、書いていない、そう感じることが多いので、ますます日本語の未来が心配になるわけですよ。
占いなんて当たらないなぁと思うのですが、年が改まると、九星や星座など、2015年の運勢について何と書いてあるか、やはりちょっと気になります。北陸朝日放送の「土曜はドキドキ」でも九星占いをやっていたのですが、大きなボードに大きな文字で「開放感で満ちた一年」と書いてありました。「開放感に満ちた一年」でも「開放感で満たされる一年」でもないって、だれか気づけよ・・・もう遅いか┐( ̄д ̄)г。
うん? 待てよ、開放感で満たされる? それに、「空間」ならまだしも、「一年」には違和感を覚えますねぇ。ガンダルフによってサルマンから解放されたローハンの王のように、束縛や苦痛から解放される、さまざまな悩みから解放される、「解放感に満ちた一年」「解放感で満たされる一年」ですね。
「ワイド!スクランブル」で、話し手が「どうしたらお客さんが喜んでいただけるのか」と言ったとき、「どうしたらお客さんが喜んでくれるのか」というテロップが出たという珍しいことがありました。今は、一般の人も、そんなに緊張していなくても「お客さんも喜んでもらえるし」なんて言いますからね、なぜ「お客さんにも喜んでもらえるし」でも「お客さんも喜んでくれるし」でもないのかなぁ。
明るい声で「ゲストの皆さん、お越しいただきました」と言ったのはベッキーです。とうとう助詞抜きですよ。羽鳥慎一はいつも「○さんがお越しいただきました」で、大勢のアナウンサーがその影響を受けていますが、ベッキーはどのように感じているのでしょうかね、「~に」でも「~が」でもなくて「ゲストの皆さん、お越しいただきました」って、迷ったら抜けばいい┐( ̄д ̄)г?
「極Kiwami」という番組で見た「踵の部分は丸みつけて仕上げる」というテロップ、助詞抜きが当たり前の世の中でも、これはないでしょ! しかしまぁ、現実にはいっぱい見掛けますね。「主治医が見つかる診療所」なんて、医師が「使ってる筋肉ってのは限られてるんですね」と言っているとき、「使ってる筋肉 限られてる」というテロップを出すのですよ、毎度こんな調子です( ̄д ̄)!
なぜ「使っている筋肉は限られている」と書かないのか不思議でたまりませんが、「主治医が見つかる診療所」はいつもこういうやっつけですからあまり気にしないように我慢して見ているわけですよ。でも、「極Kiwami」は全体的に丁寧に作ってありましたから、ちゃんと「踵の部分は丸みをつけて仕上げる」と書かないと。ほかにも「節と節の間が長く・太く」という奇妙なテロップが出たり、ナレーションが、「材料」なのに「原料」だったり。日本語で書くのってそんなに難しい?
「ネット検索たまにしてます」という記述、これはまだいいですよね、気軽に話し言葉でそのまんま書いているだけですから。でも、割ときちんと書いてある文章の中で「伯父にお金の援助してもらっているため」や「専門家がメニュー組んで行うのが最もリスク少ないと思います」はいけません。「伯父にお金の援助をしてもらっているため」「専門家がメニューを組んで行うのが最もリスクが少ないと思います」です。
「聴覚障害に該当しない診断します」は、画面に映った、医師が書いた書面にあった記述です。自分は耳が聞こえないと言っていた作曲家、作曲も別人がしていたようですが、その人の検査を事件発覚後に実施し、聴覚障害には該当しないと診断したようなのですがねぇ、どうやら正式な書面のようなのですがねぇ・・・。
単なる脱字、たまたま出ちゃったケアレスミスならいいのですが、近ごろの文章は何を見てもちゃんと助詞を書いていない、ただの脱字と言うには多すぎるのです。つまり、抜けたのではなく、書いていない、そう感じることが多いので、ますます日本語の未来が心配になるわけですよ。