あ~っ、逃げられちゃったね
このごろ、みーんな「分かりづらい」「広がりづらい」って言いますよね。ちょっと前までは「分かりにくい」「広がりにくい」と言っていたのに。何だか、言葉の多様性、豊かさがなくなって、表現が画一的になっていくような・・・、ぽつぽつと聞こえていた変な日本語が突然わーっと広まって定着するような、そんな感じがします。もともと変な日本語はものすごい感染力を持っているので広まりやすいのですが、いとも簡単にうつってしまうというのは何ともはや、寂しいというか、むなしいというか・・・( ̄~ ̄)、みんなと同じだと安心だからかな?
さて、「分かりにくい」「広がりにくい」を「分かりづらい」「広がりづらい」と言ったからってそれがどうした?! と言われそうですが、「~づらい」という表現ばかり聞いていると、「これが危険だとは思いづらい」なんて言うようになるのですね、これが。これが困っちゃうのですよ。「これが危険だとは思いづらい」って・・・、危険性を認識しにくい、察知しにくい、という意味で言っているようなのですが、どうですか? 言いづらい、やりづらい、本来のつらいという意味からいくと、「これが危険だとは思いづらい」は適当ではありませんね。普通、こういうのは「これが危険だとは思えない」と言いませんか?
ちょっと余談、農薬餃子事件の報道で「被害拡大は防げなかったのか」と画面に出たのを見て思いついたことですが、多くの日本人が「これが危険だとは思えない」ということで何年も放置したことの結果が出てきているというのが、今、あれこれありますよね。NOVAのことにしても、あそこはおかしいという訴えが最初に出たのはもう10年も前なんだそうで、もっと早く何らかの手を打っていればこれほど被害は拡大しなかったのではないかとNHKのある番組で言っていました。これはちょっと意地の悪い言い方かもしれませんが、特に役人や企業の上層部にいる人たちは、「これが危険だとは思いづらい」というのが本音なのではないでしょうか。
うーん、これが危険だとは思えないなぁ、ちょっと分かんないなぁ、大丈夫なんじゃないのぉ? という「これが危険だとは思えない」から一歩進んで、「これが危険だとは思いづらい」です( ̄_ ̄)ゞ。
このごろ、みーんな「分かりづらい」「広がりづらい」って言いますよね。ちょっと前までは「分かりにくい」「広がりにくい」と言っていたのに。何だか、言葉の多様性、豊かさがなくなって、表現が画一的になっていくような・・・、ぽつぽつと聞こえていた変な日本語が突然わーっと広まって定着するような、そんな感じがします。もともと変な日本語はものすごい感染力を持っているので広まりやすいのですが、いとも簡単にうつってしまうというのは何ともはや、寂しいというか、むなしいというか・・・( ̄~ ̄)、みんなと同じだと安心だからかな?
さて、「分かりにくい」「広がりにくい」を「分かりづらい」「広がりづらい」と言ったからってそれがどうした?! と言われそうですが、「~づらい」という表現ばかり聞いていると、「これが危険だとは思いづらい」なんて言うようになるのですね、これが。これが困っちゃうのですよ。「これが危険だとは思いづらい」って・・・、危険性を認識しにくい、察知しにくい、という意味で言っているようなのですが、どうですか? 言いづらい、やりづらい、本来のつらいという意味からいくと、「これが危険だとは思いづらい」は適当ではありませんね。普通、こういうのは「これが危険だとは思えない」と言いませんか?
ちょっと余談、農薬餃子事件の報道で「被害拡大は防げなかったのか」と画面に出たのを見て思いついたことですが、多くの日本人が「これが危険だとは思えない」ということで何年も放置したことの結果が出てきているというのが、今、あれこれありますよね。NOVAのことにしても、あそこはおかしいという訴えが最初に出たのはもう10年も前なんだそうで、もっと早く何らかの手を打っていればこれほど被害は拡大しなかったのではないかとNHKのある番組で言っていました。これはちょっと意地の悪い言い方かもしれませんが、特に役人や企業の上層部にいる人たちは、「これが危険だとは思いづらい」というのが本音なのではないでしょうか。
うーん、これが危険だとは思えないなぁ、ちょっと分かんないなぁ、大丈夫なんじゃないのぉ? という「これが危険だとは思えない」から一歩進んで、「これが危険だとは思いづらい」です( ̄_ ̄)ゞ。