駆ける、駆け・・・
以前からずっと売られていて、○日をもって販売を終了するという状況で「○日まで発売されている」という説明が聞こえたら、どうですか、違和感を覚える人はどれほどいるでしょうか。「発売」は、売り出すこと、新発売、限定発売、○月○日発売予定、ですからね、「発売」ではなく「販売」で、「○日まで販売されている」です。何でもかんでも「発売」って、おかしいでしょ( ̄д ̄)!
「高校生ぶりですね」と言ったのはミュージカル女優で、後日、また別の芸能人が「小学生ぶりに虫捕りしたよー」と言うのを聞きました。本来、「高校生のとき以来だから、○年ぶりですね」「小学生のとき以来、○年ぶりに虫捕りしたよー」と言うところですが、計算できなければ「ほぼ○年ぶり」「○年ぶりぐらい」でもいいのです。
それも面倒なら、「高校生のとき以来で、久しぶりですね」「高校生のとき以来ですね」「小学生のとき以来、久しぶりに虫捕りしたよー」と言えばいいのですが、高校生ぶりだの小学生ぶりだの、何がそんなに面倒なのでしょうか。それとも、何でも省略して言うのがかっこいいとでも思っているのでしょうか。
「お仕事リスタートです」は、不倫騒動でしばらく休業していたタレントが書いた文ですが、「仕事を再開します」ではなく「お仕事リスタートです」ですか、ふぅ~ん( ̄_ ̄)。しかし、「お仕事」って何ですかね。他人の「お仕事」ではなく、自分の「お仕事」と言ったり書いたりするのが当たり前のようになっている昨今ですが、とても幼稚な印象になりますよ。え? そんなの自由、ですか?
「林先生が驚く 初耳学!」で「自分の知識かのようにライブで言ってる」と言ったのは田村淳(ロンドンブーツ1号2号)ですが、テロップも同じでした。そして、「ミュージックビデオかのように仕上がっていたので」と言ったのは武井咲。芸能人の多くは平然と「○○かのように」と言いますが、いけませんね。
では、どのように言うべきなのか。日本人なら「さも自分の知識であるかのようにライブで言ってる」と言ってくださいよ。次のはいろいろな言い方ができますね、「まるでミュージックビデオのように仕上がっていたので」とか「ミュージックビデオかと思うほどの仕上がりだったので」とか言えたらすてきですよ。
本来の意味とか文法とか、日本語としてどうだとか、そんなことは関係ない? 表現がとても自由に、いや、お手軽で自由すぎる状況・・・、いや、むしろ逆かな、基本や正しい表現というものを知らず、知ろうともせず、はやりに乗っかる人ばかりだから、豊かさがなくなってきているのではないでしょうか。
「マツコ&有吉の怒り新党」で「避けることができなく」と言った夏目三久。中学生の投稿を読んだようですが、「あさチャン!」でも「ぐ~で、たまたま、と歌えなく」と言いましたから、「~なく」という中途半端な言い方に疑問を感じてはいないようです。アナウンサーとして、これはいけません。
「気持ちが追い詰まっていっちゃう」と言ったのは一般の人ですが、何ともはや、自由ですねぇ、普通は「追い詰められていっちゃう」と言うところです。「ユアタイム~あなたの時間~」で「こみあがる涙」と言った市川紗椰。これは「込み上げる涙」が正しいのですが、「こみあがる」と言っちゃう気持ちは分からなくもないですよ、「上げる」は他動詞で「上がる」は自動詞ですからね。でも、「込み上げる」は自動詞なのです。なんで? と突っ込まれても困りますが。
以前からずっと売られていて、○日をもって販売を終了するという状況で「○日まで発売されている」という説明が聞こえたら、どうですか、違和感を覚える人はどれほどいるでしょうか。「発売」は、売り出すこと、新発売、限定発売、○月○日発売予定、ですからね、「発売」ではなく「販売」で、「○日まで販売されている」です。何でもかんでも「発売」って、おかしいでしょ( ̄д ̄)!
「高校生ぶりですね」と言ったのはミュージカル女優で、後日、また別の芸能人が「小学生ぶりに虫捕りしたよー」と言うのを聞きました。本来、「高校生のとき以来だから、○年ぶりですね」「小学生のとき以来、○年ぶりに虫捕りしたよー」と言うところですが、計算できなければ「ほぼ○年ぶり」「○年ぶりぐらい」でもいいのです。
それも面倒なら、「高校生のとき以来で、久しぶりですね」「高校生のとき以来ですね」「小学生のとき以来、久しぶりに虫捕りしたよー」と言えばいいのですが、高校生ぶりだの小学生ぶりだの、何がそんなに面倒なのでしょうか。それとも、何でも省略して言うのがかっこいいとでも思っているのでしょうか。
「お仕事リスタートです」は、不倫騒動でしばらく休業していたタレントが書いた文ですが、「仕事を再開します」ではなく「お仕事リスタートです」ですか、ふぅ~ん( ̄_ ̄)。しかし、「お仕事」って何ですかね。他人の「お仕事」ではなく、自分の「お仕事」と言ったり書いたりするのが当たり前のようになっている昨今ですが、とても幼稚な印象になりますよ。え? そんなの自由、ですか?
「林先生が驚く 初耳学!」で「自分の知識かのようにライブで言ってる」と言ったのは田村淳(ロンドンブーツ1号2号)ですが、テロップも同じでした。そして、「ミュージックビデオかのように仕上がっていたので」と言ったのは武井咲。芸能人の多くは平然と「○○かのように」と言いますが、いけませんね。
では、どのように言うべきなのか。日本人なら「さも自分の知識であるかのようにライブで言ってる」と言ってくださいよ。次のはいろいろな言い方ができますね、「まるでミュージックビデオのように仕上がっていたので」とか「ミュージックビデオかと思うほどの仕上がりだったので」とか言えたらすてきですよ。
本来の意味とか文法とか、日本語としてどうだとか、そんなことは関係ない? 表現がとても自由に、いや、お手軽で自由すぎる状況・・・、いや、むしろ逆かな、基本や正しい表現というものを知らず、知ろうともせず、はやりに乗っかる人ばかりだから、豊かさがなくなってきているのではないでしょうか。
「マツコ&有吉の怒り新党」で「避けることができなく」と言った夏目三久。中学生の投稿を読んだようですが、「あさチャン!」でも「ぐ~で、たまたま、と歌えなく」と言いましたから、「~なく」という中途半端な言い方に疑問を感じてはいないようです。アナウンサーとして、これはいけません。
「気持ちが追い詰まっていっちゃう」と言ったのは一般の人ですが、何ともはや、自由ですねぇ、普通は「追い詰められていっちゃう」と言うところです。「ユアタイム~あなたの時間~」で「こみあがる涙」と言った市川紗椰。これは「込み上げる涙」が正しいのですが、「こみあがる」と言っちゃう気持ちは分からなくもないですよ、「上げる」は他動詞で「上がる」は自動詞ですからね。でも、「込み上げる」は自動詞なのです。なんで? と突っ込まれても困りますが。