◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

百科事典として使うには知恵が要る。

2007-01-31 13:52:37 | 言葉についてあれこれ
                 こんにゃろ!
 人が話しているのを聞いて文書にする、テープ起こし、ディクテーション、人の話ですから、当然、自分には関係のない話、関心のない話、全く知らない世界の話などもあるわけで、それを文章化しようとすると、知らない単語をどうにかこうにか聞き取り、聞き取れなければ、ヒントになる言葉を幾つも拾い、辞書やインターネットで調べるわけです。でも、検索でたまたま引っ掛かったサイトを一つや二つ見たぐらいでは、それが正しいかどうかは不明です。
 特に人名や固有名詞は、漢字を特定するのは大変な作業になります。実際、日本人の大人ならだれでも知っているような超有名人の名前でも、検索すると、正しい漢字と誤った漢字とが半々などという結果になります。そういうときは、その人自身が書いて公開しているサイトを探しますが、そんなものがいつも必ずあるとはかぎりません。人の名前というのは、自分が間違うことはありませんが、他人が書くと平気で間違えるものなのです。人名を書くときはせめて正しい漢字を調べてほしいのですが・・・。
 インターネット多数決をしても、半々とか6:4とか、そんなことでは確定できません。例えば、アガリクスかアガリスクか迷ったとき、5~6年前は半々でしたから、多数決では確定できませんでした。そうなると、公的な研究機関や医療機関、大手のしっかりした販売店など、信用できそうなサイトを探し、そこがどう表記しているかを見る必要がありました。そこまでして初めて確定できるわけで、なかなか大変な作業です。
 ちなみに、今は、msnで「アガリクス」で検索すると20万件、「アガリスク」で検索すると6万件出てきます。一応、差がついていますね。あまりにも間違いが多いので、「アガリクス」とだけ表記していると検索に引っ掛かるチャンスが減るので、「アガリクス(アガリスク)」と表記したり、親切に「アガリクス(アガリスクは誤った表記)」と書いてあったり、「アガリスクならアガリクス専門店へ」だなんて、わざとなのか間違いなのか分からないようなものまであります。
 公開するなら辞書を引いて! 人名や固有名詞は調べてから書いて! 書いたものを一度チェックして! 「ちゃんとしゃべれ!」を読んで! インターネット上で自分の書いたものを広く一般に公開している人すべてにお願いしたいのです。出版社から出る書籍など、誤字・脱字や日本語の誤りをチェックされてから世の中に出るものならいいのですが、インターネット上で公開されている文書のほとんどはノーチェックですね。だから、ちょっと見ただけでも間違いがたくさん見付かります。
 チェックを受けていると思われるものでも、公開される前に複数の人が読んでいると思われるものでも、間違いはあります。どうしても人のチェックは100%完ぺきというわけにはいかないし、使い分けの難しい単語などは見る辞書によって意見が分かれていることもあり、一つや二つ、三つや四つの間違いはありますが、それはもうしょうがないでしょう。私が気になるのは、合っているかどうか全く気にもしていない、どうでもいいと思っているような文書があることです。
 間違いを間違いと思っていない、全く気づいていない、気づかないからそのままなのでしょうから、何とかして気づいてもらわなければいけないわけで、これを目的に私はブログを書き始めたわけです。「ちゃんとしゃべれ!」を読んで、「あ、これ、間違い?」と気づいてほしいのです。人前で話す機会の多い人でも間違いに気づいていない、中には一般人より日本語を知らないアナウンサーもいますからね、原稿を書く人も変な日本語、読む人も変な日本語、なかなか正しい日本語が耳に入ってこないのですから、日本語は一体どうなってしまうのでしょうか。
 今日の気になるワードは「マルチ」です。昼のテレビ番組で、半年で2倍になるから出資しろとかいう詐欺事件の話をしていましたが、その中で「マルチ」と繰り返し言っていました。しかし、「マルチ」は、マルチレベルマーケティングという経済用語であって、簡単にいうと、知人や友人を通じて販売を広げていく営業手法、いわゆる口コミに近い販売方法で、いいものを「いいよ」と人に言うのは自然なことです。悪いのは、マルチを悪用した「悪徳マルチ」や「マルチまがい」です。「マルチ」に罪はないのに、まるで「マルチ」そのものが悪いものであるかのような印象を与える言い方をするのは非常によくないですね。
 言った本人は世の中に警鐘を鳴らしているつもりかもしれませんが、「マルチは悪」という誤解を生み、正しい理解を妨げることになります。「マルチ」と「悪徳マルチ」「マルチまがい」はきちんと区別しなければいけません。間違った先入観によって物事を正しく理解する機会を奪われた人こそ不幸です。本当に、言葉をもっと慎重に扱ってほしいと思います。特に、テレビは影響力が非常に大きいのですから。そして、見るほうも、ただぼんやり見ていてはいけないのですよ。何でもそのまま鵜呑みにしてはいけないのですよ。
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ボトルチョコレートを食べたい。

2007-01-30 11:23:16 | いろいろあれこれ
                 箱買い?
 この時期になるとロンドのボトルチョコレートを食べたくてしょうがないのですが、もうないのですね、残念ながら、もうないのだということが分かりました。子どものころは、お菓子屋やスーパーに必ず置いてあって、月に1回、小遣いで3個買ってきて自分のおやつ箱に入れ、何日もながめ、「よし、食べるぞ」と決意して大事に大事に時間をかけて食べていました。
 大人になってからは、スーパーには売っていないけれど、バレンタイン商戦が始まると、探せば何とか見付かって、箱(25個入りかな~)で買って、「包装しますか」と聞かれて「いえ、いいです、自分で食べるから」と答える、という具合だったのですが、ここ何年か見かけないなぁ、どうしたのかなぁと思っていました。そして、あ、そうだ、インターネットがあるじゃないかと思い、調べてみました。え、気づくのが遅いって? 本当にそうです。
 まぼろしチャンネルの串間努氏によると、(株)コビトが昭和42~43年ごろにボトルチョコレートを発売し、昭和55年3月に菓子の製造・販売を廃業、昭和55年7月に明治製菓の100%出資子会社として創立された(株)ロンドが10月に権利を買い取り、ボトルチョコレートの生産・販売を始めたそうです。私はロンドのボトルチョコレートと認識していたのですが、子どものころはコビトのボトルチョコレートだったのですね。
 では、なぜロンドのボトルチョコレートが姿を消したのでしょうか。明治製菓の事業報告書を見て、あぁ~、そうだったのかぁと、がっくり。平成11年にロンドは自社ブランド品から撤退し、明治製菓品を主体とする生産子会社になったようです。あぁ、まぼろしとなってしまったボトルチョコレート、まぼろしと分かるとなおさら食べたい!!!
 さて、今日の気になるワードですが、「引越します」「引越しします」、正しくは「引っ越します」「引っ越しをします」です。引っ越しを考えているかた、「お知らせ」を書くときはご注意ください。
 チョコレートが好きで、毎日いろいろなチョコレートを食べていますが、ハムスターにチョコレートは毒なので、かけらを落としたままにしておかないように注意しています。
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日本人どうしなのに日本語が壁になる。

2007-01-29 10:06:35 | 言葉についてあれこれ
                 何考えてる?
 誤った表現がそのまま耳に入り、誤りであることに気づく暇もなく繰り返され、聞き慣れ、自分も誤った表現をするようになり、どんどん広がっていく。誤りであると認識されず、やがて誤った表現が正しい表現を駆逐してしまうのですから、これは本当に困った事態です。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」です。
 人に伝えたいことがあるというとき、話し手と聞き手の日本語の感覚がずれていると思わぬ誤解を生むことがあります。ある言葉に、話し手が思ってもみなかったようなイメージを聞き手が持っていて、話し手としては、なぜ伝わらないのか、何に引っ掛かっているのか、理解に苦しむのです。ふだんの言葉の扱い方の違いが高い壁になってしまうわけで、どこが違うのかその場で気づけばいいのですが、さんざん考えて後になって分かるということもあり、分かってみると、その場で気づかなかったことがとても悔やまれます。
 間違いを指摘されたら素直に修正すればいい、それだけのことなのですが、それすらできない人が多すぎます。いや、できないというより、このごろは、直したくないのではないかと感じることがよくあり、これはもっと深刻な状況なのではないかと心配しています。なぜ直したくないのか、ひょっとして、言葉ではなくハートが大切なんだ、要は中身だ、個性だ、多様さだ、変化して当然だ、と言っているのでしょうか。
 でも、考えてみてください、実際、コミュニケーションのために言葉がどれほど大切か。日本人どうしが日本語で話していて、日本語が変になっているのにスムーズな誤解のないコミュニケーションが取れると思うのは考えが甘いのではないでしょうか。言葉が壁になって伝えたいことが伝わらないのがどんなにもどかしいか。何でもかんでも雪崩のように変わってしまっていいのでしょうか。
 ましてや、いつも直接会って身振り手振りで話すというわけにはいかず、電話で聞くだけ、メールで文章を読むだけということも多いのに、間違いだらけの日本語でスムーズに意図が伝わるでしょうか。句読点の位置一つで意味が変わってしまうのですよ。また、自分の書いたものを大勢の人が読むというこの時代、せめて、漢字が合っているか、必要な助詞が抜けていないか、何か誤りがないかチェックしてみてください。え? 「そんな暇はない」って? そこを何とかお願いします。
 ハムスターは何も言ってくれないので、よく観察することでハムが何を望んでいるのかを知ろうと試みます。でも、人には言葉があるのですから、日本人には日本語があるのですから、思っていることすべてを伝えるのは難しいとしても、せめて誤解だけは避けたい。本当に切なる思いです。
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災い転じて福・・・?

2007-01-28 11:11:22 | 気になる言葉、具体例
 本来は「災いを転じて福となす」なのですが、助詞の「を」を省いてしまい、その結果、「福となす」という積極的な意味が薄れてしまっています。つまり、「災い転じて福となる」という意味になっているのです。でも、「福となる」とはっきり聞いたことはない、災い転じて、何だっけ? 災い転じて何とかって・・・とごまかしていませんか。でも、いつもそんなうまい展開になるとはかぎらないのですから、災いを転じて福となすべく努力しないとね。
 「流れに掉さす」は、本来の意味の「流れに乗じる」から「流れに逆らう」へ移ってしまいましたが、船頭さんが流れに棹さし舟を進めるという光景が見られなくなった現代では、「棹さす」というと、流れに逆らう、止まるというイメージになる、これはもうやむをえないと思います。でも、「舌鼓」を「したずつみ」と発音するのを容認してはいけないと思うのです。
 日本に昔からある楽器、鼓、これは「つづみ」です。鼓には大鼓(おおつづみ)と小鼓(こつづみ)があります。「こずつみ」ではありません。「こずつみ」と入力して変換すると「個ずつ身」となり、「こづつみ」と入力して変換すると「小包」となります。「包(つつみ)」に「小(こ)」が付き、最初の「つ」が濁って「づ」になります。しかし、「つづみ」は「つづみ」であって、「ずつみ」にはなりえないし、なってはいけないのです。
 今日の写真の背景は、金沢駅東口の鼓門(つづみもん)です。
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変な日本語、その2、助詞がおかしい。

2007-01-27 10:41:48 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
                 まいうー!
 今の日本人の話し方は、助詞をはっきり言わない、正しい助詞を使っていない、誤った助詞を言ってしまっても言い直さない、というように、完全に聞き手に甘えていて、それが話の流れを予測しにくくしています。日常会話ならそれでもいいですが、講演やプレゼンでこれは許されません。しかし、ふだん助詞に気をつけていないので、きちんと言わなければいけない場面でも言えないということになります。
 例えば、テープ起こしをしていて、「検討していくことを明確に位置づけられました」と聞こえ、「位置づけられました」が敬語だとすると「検討していくことを」もありえるので、とりあえずそのままにしておいて話を最後まで聞き、やはり「を」ではなく、「検討していくことが」だと分かり、そこへ戻って「を」を「が」に修正する、こんなことはしょっちゅうです。たかが助詞、されど助詞、正しくなければやはり困るのです。
 では、今日のお気に入りワード。料理を試食している人に感想を尋ねたら、いい大人が「普通においしい」と答えました。すると、司会者が少し慌てて「え? 普通ですか?」、これはちょっと笑えましたね、お気に入りワードです。若い人が「普通にうまいっす」と言ったのならそのまま聞き流されるのでしょうが、40歳を過ぎた人が言えば突っ込まれるのだな~と、妙に納得した面白いシーンでした。
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「もうける」って悪い意味?

2007-01-26 12:42:08 | 気になる言葉、具体例
                 区別してる?
 日本人が「~してくださる」とあまり言わなくなったのは悲しいことですが、善因善果、悪因悪果ということをきちんと区別せず、何もかもごっちゃにして表現する人が多いのは、悲しいというより、非常に危険です。例えば、去年の、あの有名人のセリフ、「お金をもうけるってそんなに悪いことですか」、これを聞いたとき、あなたはどう思いましたか。私は、お金をもうけること自体は決して悪いことではないけれども、その手段ともうけたお金の使い方には気をつけなければいけないだろうと思いました。
 そもそも、「もうける」とは、利益を得る、子どもをつくる、思いがけず手に入って得になる、こういう意味であって、悪い意味は含まないのです。それなのに、「もうける」という言葉のイメージを悪くさせる人たちがこれまで大勢いたということでしょうか、「もうける」自体に拒否反応を示す人もいます。「金」と「お金」も随分イメージが違ってきますね。でも、世の中には、頑張って、知恵と努力でいっぱいもうけて、もうけたお金を世のため人のために使うという人もいるのですから、もうけている人をみんな十把一からげにするのは失礼なことではないでしょうか。
 言葉の厳密な区別、これは非常に大切なことです。世の中に氾濫する情報の中から正しい情報を選び出すというとき、ふだんから言葉をあいまいに扱っていると間違った先入観を持ってしまい、正しい判断ができなくなります。善なるものまでも悪いものであるかのように誤解させるような表現を許してはいけないのです。厳密に言葉を区別し、善悪の因果ということを考えないと、何でもかんでも同じに見えてしまい、選ぶべきものを選び出すことができず、選べるチャンスを逃してしまいます。
 また、罪の意識が薄くなるような言い換えも絶対に許してはいけないのです。そんなことを許して言葉をいいかげんに扱うから道徳心が失われていくのです。「ちゃんとしゃべれ!」では「ゲットする」を取り上げましたが、そういう例はまだまだたくさんあります。その辺りをあいまいにしてしまうと、善悪の区別までもがあいまいになるのです。もうそろそろ、そのことに日本人すべてが気づかなければいけないと思うのですが、いかがでしょうか。
 そういえば、オーストリアのカタカナ表記がオーストリーに変わるそうで、理由は、どうしてもオーストラリアと間違えられるから。分かるー、分かります、その気持ち、オーストリア国民の気持ちが分かります。若いハムスターは見た目が似ていて区別しにくいのですが、何とか区別しようと一生懸命世話して観察しているとだんだん区別できるようになってきます。
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Lightning Seeds はどう訳せばいいですか?

2007-01-25 11:42:50 | 言葉についてあれこれ
 トラックバックがあって、開いてみたらココログのブログでちょっと意外でしたが、hoshikoさんの「洋書を読んで英語を学ぼう」、とても興味深く、11月の記事から幾つか読みました。英語や洋書に関心のある人、ハリー・ポッターが好きな人は読んでみてはいかがでしょうか。私は、本は読んでいませんが、映画は見ています。あの額の傷は the lightning-bolt scar だそうです。 そういえば、「ぼのぼの」の第4巻にスカーフェイスという名前のシャチが登場しますね。
 雷、lightning と thunder について書いてあるところを読んでふと思ったことがあります。私は洋楽が好きで、The Lightning Seeds のCDを何枚か持っているのですが、 Lightning Seeds はどう訳せばいいのでしょうか。Lightning は電光、稲妻、 Seeds は種、原因、根源、うーん、何だろう。
 そして、英和辞書に「a bolt from the blue 青天の霹靂、突然の出来事」とあるのを見付けました。bolt は、電光、稲妻のことです。言語は違っても人の感覚というものは似たものがあるということですね。「summer lightning(遠方のため雷鳴は聞こえない)稲妻」というのもありました。CAMEL の曲にも SUMMER LIGHTNING というのがありますね、これも大好きな曲です。
 太平洋側に住んでいる人にはあまり知られていないことですが、北陸では冬の間しょっちゅう雷が鳴って、昔は急いでデータを保存してパソコンの電源を切ったりしていました。その直後にブレーカーが落ちたなんていうこともあります。遠くから雷鳴が聞こえているときは通信が勝手に切断されて不便なのですよ。今シーズンは暖冬で雷も少なく、助かっていますが、雪不足は夏の水不足につながるのでそっちのほうが心配です。窓から北西の方向を見ると、冬でも遠い空に稲妻が見えることがありますが、やはり summer lightning なのでしょうか。
 ところで、NHKのことばおじさんによると、手の第4指、中指と小指の間の指を薬指と言うのは、薬師如来の右手の第4指がやや前に出ているところから来ているという説があるとのこと。如来とは、仏教の悟りを開いた者、仏、仏の最高位にある者、薬師如来は病気平癒を祈る仏、ということは、英語では全く違う表現になるはずで、まず、薬指を和英辞書で調べました。
 the third finger または the ring finger、え、ちょっと待って、なぜ第3指なの? なんと、親指は thumb で、finger ではないのです。だから、人差し指から数えて3番め、the third finger 、へえー、知りませんでした。文書入力を長時間続けると薬指が疲れますが、画像の加工を長時間続けると、クリックやドラッグが多いので人差し指が痛くなりますね。ハムスターの前足は指が4本、後ろ足は指が5本、うーん、不思議ぃ~。
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指を痛めて鍼灸治療。

2007-01-24 09:20:59 | ストレスと闘いながら
                どうされました?
 テープ起こしという仕事は、耳や脳だけでなく、指にとっても過酷な仕事です。新しいパソコンも、3か月ほどでキーのAとMとNの文字が消えました。DとKも半分消えています。前に使っていたものはU、I、Oも消えています。日常生活では、右手の薬指はそんなに使いませんよね。実際、力もあまり入らないので、顔にクリームを塗るとき、皮膚に与える刺激を少なくするために薬指で塗るのがいいといわれています。
 この薬指が、文書入力という仕事では大活躍、というより、酷使しなければいけないのです。母音のO、さらに、Enterキーを受け持っているわけですから、ただでさえ丈夫ではない指に大変な負担がかかり、激痛に悩まされるようになりました。それでも仕事を辞めるわけにはいかず、服薬以外で治療したかった私は鍼灸治療を受けることにしました。鍼とお灸です。15日と19日の記事でも少し触れましたが、治療の結果、思ってもいなかった、慣れすぎて忘れていたほかの症状までもが改善したのですから、これぞ「人間万事塞翁が馬」ですね、不幸が幸福に転じたのです。
 痛いと思っていたのは指ですが、そもそも首や肩、腰も具合が悪かったのです。テープ起こしの前にやっていた仕事の関係で、首の右側の後ろから肩にかけて常に痛みがあり、車の運転中は、右後方を目視するたびに痛みでうめいていたのです。でも、長年そうだったので、そんな苦しいことにすら慣れてしまい、すっかりあきらめていました。でも、鍼灸治療のおかげで、今は首を右後方に回しても痛みは全くありません。
 そういえば、NHKで放送していた韓国ドラマ「チャングムの誓い」の中で鍼治療をするシーンがありましたね。あれは随分太くて長い針を使っていましたが、あれとは違い、非常に細い針を使うので、治療自体、ほとんど痛みはありませんでしたよ。ちなみに、鍼灸治療、英語では Acupuncture-Moxibustion Therapy ですね、ハムスター治療は Hamtherapy (^-^)。
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結論を出さずに会議を終わらせる言葉とは。

2007-01-23 11:11:23 | 気になる言葉、具体例
 資料を山ほど準備し、これはどうだ、あれはどうだと知恵を絞り、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論、みんな熱くなって、ああでもない、こうでもない、しまいには喧々囂々(けんけんごうごう)、全くまとまりそうにない。そろそろ時間がなくなってきて、とどめを刺す議長の一言、「これは難しいですねぇ」、これが出ると会議はそこでおしまい。先ほどまでの議論は何だったのかと思うほどむなしい空気が漂い、全員の思考は停止、スイッチオフ、結論など出やしません。あー、もったいない。
 私も、ここのところ毎日毎日本当に分からないことだらけの中でいろいろやってみて、ストレスがたまってくると必ず出てくる言葉が「分からない」や「難しい」であるということに気づきました。「うーん、分かんないなぁ」と頭の中でつぶやいているときはまだまだ考えていますが、「あー、分からない」と口に出した瞬間、考えることをやめてしまいます。「難しい」と言ったとたん、トライすることもやめてしまいます。
 昨日、「きっちり時間を取るというのが難しい」と書きましたが、それはやらないことの言い訳だなと反省し、少し本を読みました。でも、用語集を読むためにカタカナ語辞典を見て、その説明の中に出てくる言葉をまた調べてと、脳みそフル回転でも時間がかかります。このごろ、脳みその長い間使っていなかった部位を使っている感じで、夜は以前より早く眠くなり、寝つきがよくなった気がします。では、昨日仕入れた知識をもとに、今日の気になるワード、いってみよう!
 インターネットの玄関口であるポータルサイトのトップページを見ると、いちばん上に「○○をホームページに設定する」と書いてあります。ホームページって、企業や個人が開設している、あのホームページ? 設定するってどういうこと? じゃ、サイトって何? ポータルサイトのトップページをなぜ「ホーム」と呼ぶの? msnの「スペース」って? と、まあ、疑問だらけでしたが、ようやく「趣味悠々、ブログに挑戦してみよう!」によって解決しました。一般的にホームページと呼ばれているものは「サイト」と呼ぶのが正しく、ホームページとは、本来、サイトのトップページを指す言葉だった。なるほど!
 これでようやく私も「サイト」という言葉をきちんと使うことができます。私は、誤解を避けるため、今後、ホームページという言葉を使わないようにします。一般的にいわれるホームページはサイト、ブログはサイトの一種、ポータルサイトの最初に出てくる画面、トップのページで「ホームページに設定する」というときのホームページは最初に出てくるトップページのこと、皆さんは、会話の中でそういう区別はしてらっしゃいますか? え、「そんなの当たり前だろ」って? こりゃまた失礼いたしました。
 ハム3兄弟、若いハムは、性格こそ微妙に違いますが、見た目だけでは区別がつきません。
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「ランチを誘うメールが来て」って?

2007-01-22 11:20:37 | 気になる言葉、具体例
 「趣味悠々、ブログに挑戦してみよう!」を見たのですが、カテゴリー、リンク集、どれもいまひとつ分かりません。そういう方面には脳みそが硬直していてなかなか対応できないようです。記事を投稿するとき、ふさわしいカテゴリーがあることに気づかず、後で「あれ? こういうの、あったんだ」ということで、似た内容なのに違うカテゴリーにあるというようなことになっています。それは後からでも整理したほうがいいのでしょうね。まだそんなにたくさん記事がたまっていないから、もう少し後でもいいかなーって、甘いですか?
 本屋に行って「ブログに挑戦してみよう!」を買いましたが、私は、本を買うと「買ったぞ」と安心して「積んどく」タイプで、まだ読んでいません。きっちり時間を取ってというのが難しく、決心が要ります。そういう、買ったのに読んでいない本がたくさんありますが、今、モノを増やさない、不要なモノは処分する、2~3年さわっていないモノは処分するというふうにしなければいけないと思っていて、買って読みたい本がすべて電子書籍で出たらどんなにいいだろうと思います。
 今日は「ランチを誘うメールが来て」について考えてみましょう。何かおかしいと感じますか? 何も感じませんか? 別に違和感はないよ、というかたは要注意です。
 今、助詞を正しく使えない日本人がとても多く、まるで日本語をだいぶ話せるようになった外国人のようです。「ランチ行こう」「どこ行く?」「パスタ食べよう」、ふだんの会話ならこれでもいいのですが、人前できちんとしゃべらなければならないというときまでこういう話し方しかできなくなってしまっています。アナウンサーでもこういう人がいるのですよ。
 そこまでひどくなくても、助詞が間違っているせいで話が分かりにくい、どうも引っ掛かる、助詞のせいで意味ががらっと変わってしまうなど、非常に困ったことになっています。もしかして、あなたも言っていませんか、「いろいろな種類の野菜が売っていて」と。
 「ランチに誘うメールが来て」「いろいろな種類の野菜を売っていて」が正解です。ランチは目的、誘う対象はあなた、「ランチに」行こうと「あなたを」誘うメールなのです。「野菜を」売っているのはお店の人、お店で「野菜が」売られているのです。
 助詞に関しては、きちんと日本語を学習した外国人のほうが上手だったりして・・・。コールセンターでは外国人が対応している場合がありますが、アクセントはしょうがないとして、文法的にはそちらのほうがよほどしっかりしていて、思わず、「日本語がとても上手ですね、日本人より上手ですよ」と言ったことがあります。お世辞ではなく、本気で。
 さて、今日の気になるワード、「5日間に1度、○○が開かれています」というのが聞こえたのですが、どうですか、おかしいと感じますか。普通は「5日に1度、○○が開かれています」ですよね。「5日間」というと、例えば「この5日間で1度だけ○○が開かれました」というように、「○日から○日までの5日間という期間」を意識していることになります。単に5日に1度開かれるということなら、「間」は要らないのです。こういうことに気づけるようになりたいですね。
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箸をちゃんと使えない日本人。

2007-01-21 14:14:05 | 言葉についてあれこれ
               おいらは手づかみ
 正しい助詞を使えない日本人が増え、訳の分からないことを言っているのがよく耳に入ってきますが、箸をちゃんと使えない人も本当に多いですね。どちらも日本人ならできて当たり前なのですが・・・。せめて、テレビ番組でおいしい物を食べる人は、せっかくのごちそうが箸から落ちそうで危なっかしくて見苦しいので、お願いですから、箸の訓練をしてください・・・って、だれに言っているのか分かりませんが。それに、幾ら正しい持ち方を教えても直せない人が多く、不思議に思います。
 同じように、言葉を間違えて覚えていて、正しい言葉を教えても直らない人もいます。私の小学校4年生のときの担任の先生がそうでした。「マヨネーズだ」と何度言っても、先生は「マネヨーズ」としか言えないのです。ひょっとして、その先生は「マネヨーズ」が気に入っていて直したくなかったのかも。
 人の思い込み、あるいは刷り込みというのは恐ろしいものです。あるとき、話し手が言っているそのまま、全く修正しないでありのままテープ起こしをするという仕事で、ほかの人が作業したものを見る機会があり、とても驚きました。話し手は関西出身の有名人で、文章を見ると「ほんまにおおきに」と書いてあるのですが、テープから聞こえてくるのは「本当にありがとぉ」で、関西弁っぽいアクセントではあるものの、言葉そのものは標準語だったのです。
 そのような間違いはそこだけではなく、始めから終わりまでずっと、標準語なのに関西弁で起こしてあったのです。一体なぜ、この人には、「本当にありがとぉ」が「ほんまにおおきに」と聞こえたのでしょうか。関西出身だから関西弁でしゃべっている、関西弁なら「ほんまにおおきに」だと思い込んだためにそう聞こえた、そんなばかなーと言いたいところですが、そうとしか考えられません。
 そういえば、英会話教室のCMで、「ボンジュール、マドモアゼル、助けてください、抜けなくなりました、助けてください」と言われた女性が英会話教室に駆け込み、友人が「あれ英語じゃなかったよ」と言うのですが、笑えますねぇ。外国人だから外国語だと思っていれば、日本語も外国語のように聞こえる、そういうことは確かにあると思います。それに、フランス語でも英語だと思ってしまうということもありそうです。日本人は、道で外国人が日本語で話しかけてきたら、「だめ、分からない、ノー、ノー」とか言いそうですね。
 とにかく、間違えて覚えてしまっているものを後から修正するのはやはり大変なことなので、若者言葉は文化だなどと言っていないで、若い人にこそ、ふだんから正しい日本語を話してもらいたいと思うのですが、私の願いはなかなか届きそうにありません。変な日本語を変だと思っていない人のほうが多いので、間違っていると言われてもピンと来ないのでしょうか。ふだんはちゃんと会話できていて、別に何も困らないのだからそれでいいと思っているのでしょうか。あなたはどうですか?
 化学物質過敏症の人は化学物質の怖さを見せてくれます。アレルギーの人はそこにアレルゲンがあることを教えてくれます。たとえ気づいていなくても、いろいろなところで弊害がすでに出てきているのですから、いつまでも鈍感なままでいていいわけがありません。さて、どうしましょうかね。
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外国映画の日本語字幕について。

2007-01-20 11:28:56 | ちゃんとしゃべれ!変な日本語
 先月25日にでじたる書房から電子書籍を出し、同時にそこのライターズブログを書き始めたのですが、写真を載せたのは31日からで、スタートしたときは写真なしでした。写真を掲載できることに気づかなかったからです。「msnとYahooは写真も掲載できる」と書いたのはそういうわけで、掲載できることを知っていたら、「msnとYahooは」とは書きません。
 先日、あるテレビ番組に、外国映画の字幕でとても有名な人が出演して翻訳裏話を披露していらっしゃったのですが、各シーンぶつ切りで、必ずしも上映される順に来るわけではないということでした。そういうこともあるのかぁと思い、「ちゃんとしゃべれ!」の中で「彼女が中にいます」と「彼女は中にいます」の違いについて書いたことを思い出しました。
 「外に女性が倒れていて、彼女を助けに来たヒーローは敵と戦いながらその場から徐々に離れていく。その間に仲間が女性を中に連れて入り、介抱する。ヒーローが、ようやく敵を倒し、女性の倒れていた場所に戻ってくる。そこへ先ほどの仲間が駆け寄り、ヒーローに声をかける、『彼女が中にいます』・・・これはおかしい。『彼女は中にいます』でなければならない」。
 こう書いたのですが、ピンと来ましたか? 敵を倒したヒーローが戻ってきたところのフィルムが先に翻訳者の元に届き、ヒーローが、実は、その場にさっきまでいたのだけれども、敵と戦うために離れたのだということを知らなかったのかもしれないわけで、知らずに翻訳すれば「彼女が」で、「彼女は」とすることはできないでしょう。ふぅーむ。

 ばんざーい、年末にジョージアのキャンペーンがあり、私のラッキーナンバーで応募したら当たりました。懸賞に応募すること自体が随分久しぶりですが、当たるというのがすごい! 年賀状を早く出して郵便局からお肉をもらって以来だから、7~8年ぶりではないでしょうか。「治納由気」効果かなー。「ちゃんとしゃべれ! あなたの日本語 ここが変だから直してください」を出すに当たり、よい画数のペンネームを持とうと思い、画数を先に決めて漢字を選択したのですが、思わぬところで効果が出た!?
 それにしてもすごいですねぇ、本当に小さなテレビですよ。そして、うちはまだ地デジ対応ではないので、テレビより少し遅れるというところがまた面白いですねぇ。地デジも、地域によって受信するタイミングにずれがあり、そのせいで時報が放送できなくなったという話を聞きましたが、まさにそれを見たわけで、アナログがデジタルになっていろいろ便利になる反面、できなくなることもあるのだなぁと実感しました。
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ハムセラピーのおかげ。

2007-01-19 10:44:30 | ストレスと闘いながら
                あぁぁぁぁぁ
 髪は「血餘(けつよ)」といいますが、友人から「血の余り、だから、余裕があるんだよ、あなたは栄養が十分足りているから髪がきれいなんだよ」と言われたことがあります。長年通っている美容院では、「本当に性質のいい髪ね、あなたはストレスなんかないでしょう、だから髪質がいいのよ」と言われます。で、そう言われた私は、目を細めてふふっとほほえむだけです。
 栄養が足りていると言われても、食は細いし、炭水化物中心で野菜はあまり食べないし・・・、ストレスがないだなんて、それも違う。ストレスがないわけではない、いや、むしろ大変なストレスを感じながら日々暮らしています。それでも生きていけるのは、ストレスと闘っているのは自分だけではないということを知っているからです。これを知っているのといないのとでは結果に大きな違いが出ます。
 人は、ついつい苦しいのは自分だけだと思ってしまいます。「なぜ私だけが」というセリフを聞いたことはありませんか。私はそれを聞くとはがゆくなります。この人だけじゃないのに、この人が世界の苦しみを一身に背負っているわけではないのに、それを知らずにそんなに苦しむなんてと、悲しく、残念に思うのです。
 私は、もう治らないとあきらめていた症状も鍼灸治療でかなり改善し、ハムセラピーを毎日、随時、受け、最近視力の低下に困っていたのですが、それも非常にいいものを教えてもらい、久しぶりに希望という言葉を思い出しています。変な日本語アレルギーの症状は相変わらずですが・・・。
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話を聞いてもらうときのマナー。

2007-01-18 10:28:14 | 言葉についてあれこれ
                お、言い直した?
 食事でも、マナーどおりにしたほうが結局スムーズにいく、周りに不快感を与えない、つまり、そこにいるみんなが料理をおいしく頂けるというわけで、肩が凝るとか面倒くさいとかいうのは、マナーについて誤解しているのではないでしょうか。知っていると楽になるもの、それがマナーなのですから、誤解したままではもったいないですよね。
 以前、Aさん、Bさん、私、3人でフランス料理を食べに行ったとき、Aさんが魚料理のときに肉料理用のナイフを使ってしまい、私はそのことに気づいたのですが、Aさんは年上なので黙っていました。すると、ウエーターが、Aさんが気づかないほど本当にさりげなくナイフを取り替えていったのです。すごいなー、プロだなーと感心し、私もほっとしました。
 ナイフ&フォークは、魚料理用と肉料理用とでは形が違っていて、料理の出てくる順番どおりに外側から並んでいるのですが、Aさんは何を思ったのか、わざわざ1本飛ばして次のを使ったわけです。でも、魚料理に肉用のナイフは使えても、肉料理に魚用のナイフは使えないのです。言葉も同じ、飛ばしてはいけない言葉を飛ばされると分からなくなりますし、助詞が間違っていれば意味が変わってしまうのです。
 たとえ雑音でかき消されても後から補えるように正しい日本語を話してほしいのですが、ほとんどの人の話し方は、言葉そのものが聞き取りにくいうえに、日本語の決まりも何もあったものではない、ひどいものです。音が似ている別の単語、「指標」「手法」「仕様」、「四月」「七月」、「広域的」「公益的」、「会の活動」「勧誘活動」など、音だけでは判別しにくく、文脈や資料から推測するしかありません。
 一つの単語としても意味をとらえられないような言葉を言って、それを言い直さずにそのまま先に行ってしまう人が多すぎます。「▽○☆□△□◎」、ほとんど宇宙語、訳の分からないことを言って、それを自覚しているのかいないのか、そのままどんどん先へ行きます。日本人の聞き手に対して宇宙語で話して一体どうするのでしょうか。聞き手に甘えないで、言い間違えたらちゃんと言い直しましょう。

 先日、珍しく言い間違いをしっかり言い直した人をテレビで見ました。しかも、間違いであるという理由まで簡潔に説明して。このとき、メモを取れる状況ではなかったのでそれがだれなのかは忘れてしまいましたが、こういう人が増えたらいいなぁと思いました。
 新しい制度について説明するという内容のものをテープ起こししたとき、何%とか何百万円とか、とにかく数字がたくさん出てきたのですが、割と聞き取りやすい声で雑音もそんなにひどくない、なのに、資料を目で追いながら何とか聞き取るという状況になり、とても大変でした。なぜかというと、言い直しがあまりにも多すぎたからです。数字を1回言い間違えて言い直す、「51・・・57%、で、えー、金額にすると250ぅー・・・260ぅ・・・8万円」という具合です。「57%、金額にすると268万円」と言ってくれないのです。
 人間だから言い間違えることはある、ありますよ、ですが、ほとんどの数字を間違えるというのは一体どういうことなのでしょうか。たまにあるのですが、言い直しが多すぎて何と言ったのか分からなくなるのです。おまけに、最初に言った数字が資料と合致していて、言い直したけれど聞き取れなかった数字は資料と合致していないというとき、一体どちらが正しいのでしょうか。私には分かりません。
 ハムスターの気持ちが分からないとき、ソロモンの指輪があったらどんなにいいだろうかといつも思いますが、バウリンガルならぬ「いろはにほへとリンガル」があれば・・・なんてね、ぶふふ。
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遠慮なく咳をする人たち。

2007-01-17 09:39:55 | ディクテーションについて
 冬に録音された講演会や会議では、咳をする人が必ずいます。5~6人で咳の大合唱なんていうこともありました。テープ起こしをするときは、ヘッドホンで、聞き取りにくい声を聞き取ろうと神経を集中しているところへ突然ゲホゲホッとくるのですから、「ひっ!」と息が止まり、心臓が口から飛び出しそうになります。くしゃみをヘックショーィ、ハウリングのピキー、何かを倒してガシャーン、灰皿を落としてカチャーン、さまざまな音が脳みそを直撃します。
 咳をするときはハンカチを口に当てるというのもマナーだと思うのですが、最近はどうもそうしない人が多いようです。1時間以上の講演中ずーっと、遠慮なく咳をしていた、なんてこともあります。それなら、事務局さんがレコーダーの位置を変えるとか、何か工夫してくださればいいのですが、それもなし。携帯電話の呼び出し音も必ず入っています。入ってしまった大きな音は消せないので、事務局さんが「この辺りに大きな音が」と教えてくださればいいのですが、そんな経験はただの一度もありません。
 そういえば、ずっと以前の話ですが、「ナザレのイエス」という映画を見ていたときのこと、いよいよラストへ、イエスが十字架を背負って歩いていく、うるうる・・・と、そのとき、激しく泣いている赤ちゃんを抱っこした人が入ってきました。え? なに? もう少しで終わる、感動のラストというときに、なんで? 映画のラストは全く覚えていません。神様、この人のことを今でも許せない私をお許しください。
 ところで、先日、ハムスターについて、おいしいものが欲しいときはじっとこちらを見詰め、待っていて、呼ぶと寄ってくると書きましたが、それは、距離が1.5メートル以内のときであって、それ以上だと来ません。いや、来ないというより、来られないのです。名前を呼ぶと、呼ばれていることは分かるようでキョロキョロするのですが、声の主がどこにいるのか分からないようなのです。視力は相当弱いようなので、大きく手を回したり体を動かしたりして気づいてもらおうとするのですが、90度ずれた方向を見て立っています。
 「もぉー、早く来ないとあきらめちゃうよー」と言いつつ、もう少しだけ頑張ってみて、結局、こちらからハムのところに行き、手に乗せて「はい、チーズ、おいちいでちゅねー」となります。この瞬間も、もちろんハムセラピー(ハムテラピー、Hamtherapy)です。犬ちゃんは、セラピー犬として働いている子もいて、呼べば確実に来てくれるところがかわいいですよね。猫ちゃんも、しっぽ返事だけはしてくれますからね、あはは。
 腹毛がグレーの子と真っ白な子、どちらも同じジャンガリアンハムスターのノーマルグレーです。しかも、兄弟、なのにこの違いはどうしたことでしょうか、とても不思議ですが、かわいさは同じ、うんうん。
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