あの日をを忘れない・・・昭和20年8月9日
6才の胸に刻まれた 原子雲 (画) 杏子
あの日、わたしたちは熊本の親戚を頼って家族で疎開していた。
住んでいた街を空襲で焼け出され着の身着のままで・・・
ちょうどお昼少し前、西のほうに瞬間パッ!と光るものが
みんなが西側の縁側に走った。
目にしたものは
ぎらぎら照りつける真夏の積乱雲の上空に、うすいピンク色に染まった雲が
もくもくと湧き上がっているのが見えた。
「父ちゃん、なんねあれは・・・」
「わからん、おかしか雲の色たい・・・」
満6才になったばかりの私は、「きれいかねぇ」と
立ち尽くしたままでながめていた。
ぼーっと立ったままのわたしに、親戚のおばあさんが白い割烹着で拭きながら
「ほら、たべんね、杏子ちゃん・・・」
真っ赤に熟れたトマトを、そっとわたしの手のひらにのせてくださった
井戸水で冷えた 赤いトマト
そして西の空に浮かぶ ピンクの雲
あの日を わたしは 忘れることができない
69年すぎた今も・・・