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日本橋町巡りシリーズ その12。今回は日本橋馬喰町。町の位置は中央区の北東の端、西側に小伝馬町、南側に横山町、東側に東日本橋に接し、北側は千代田区東神田、また、神田川にも面している。
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隣の横山町同様に繊維問屋街を形成、ただ、横山町より大きな会社が多く、特に『エトワール海渡』のショップは至る所にある。また、pop商品の『シモジマ』も多い。
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地図をふと見て気がついたのだが、馬喰町だけあって不思議なことにちょうど馬の首のような形状で一丁目が『首』、二丁目が『頭』のように見える。
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因みに『馬喰』とは『博労』とも書き、元々は馬の良し悪しの鑑別人や馬の医者なども指す言葉だったが、近世には馬の売買あるいは仲介をする者のことを指すようになった。そして、この町の名の由来だが、天正年間に博労頭高木源兵衛・富田半七が住んでいたという記録はあるものの、それが起源か否かまではわかっていない。
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江戸時代の馬喰町は旅籠屋の町として知られ、42の旅人宿があつまっていた記録がある。これは元は浅草橋のたもとに郡代屋敷があったため、訴訟のために地方から上京した人が宿泊するため発達したらしいが、問屋が近く、商人もやがて盛んに宿泊するようになったらしい。因みに今もその郡代屋敷の跡が浅草橋のたもとに碑になり残っている。
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アクセスはJR総武線馬喰町駅に加え、都営新宿線の馬喰横山駅、また、都営浅草線とJR総武線浅草橋駅も至近にあり、極めて便がよい。ただ、それ故か裏道に入っても建物は殆どが新しく、昔の風情を感じさせない町となっているのは残念である。
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ホテルやオフィスビル以外には日本橋女学園の建物くらいしかないが、神田川沿いの校舎もよく見ないとオフィスビルに見紛う高層ビルである。今や清洲橋通りや江戸通り、靖国通りなどに挟まれ、すっかり新しくなった町である。
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