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『江戸の坂・東京の坂』その51。菊坂周辺の坂の後編。梨の木坂を上り降りして汗をかきながら炭団坂を探すが発見できず、ただ、ウロウロしているうちに『鐙坂』の標識の前に出る。名前の由来は『鐙の制作者がそばに住んでいたから』『鐙に似た地形であるから』と説があるが、真ん中が低くなり、鐙のような地形が正しいような気がする。横の石垣や標識の前の家など味もあり、中々いい坂道である。
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元の菊坂まで戻る途中にぶどうの房が下がる美容室、今も営業して江戸のいるのか。さらに階段の下には宮澤賢治の旧居跡、この辺りに住んでいたらしい。
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菊坂に戻り、しばらく行くと右手に上がる急坂、『胸突坂』その名前の通りである。坂の左右にはマンション、しかし、その先には『旅館鳳明館』、本郷らしい風景。
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また、坂を下り、菊坂下まで行く。これを右折するとすぐに急坂があるが、これが『新坂』。
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標識によると文京区には新坂が6つあるらしく、殆どが明治以降の坂であるが、この坂は江戸時代からある。金田一京助の世話で石川啄木が住んだ蓋平荘など高等下宿が多く、二葉亭四迷、徳田秋声、尾崎紅葉など文人も多く住んだ場所とのこと。
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本郷は戦災で焼け残った場所が多く、なんとなく懐かしい街である。もう少しいい気候になったら再訪したいと思った。最初の坂は緩やかであったが、最後は急坂ばかり、汗塗れの坂道探訪である。