hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日本橋箱崎町

2015-08-17 05:00:28 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その18。いよいよ、今回の日本橋箱崎町を除き、日本橋と人形町のみとなった。

日本橋箱崎町は今も隅田川と日本橋川に囲まれているが、元は江戸時代天正・寛永年間に埋め立てられたもので当時は箱崎川、浜町川も含め四方を川に囲まれた島地であった。1665年には船見番所も設けられ、水運の要所となり、また、その後水運を活用し蔵屋敷が立ち並んだ。明治以降は日銀が置かれるなど経済の中心となったが、1896年には本石町に日銀が移転し、再び倉庫の立ち並んだ町に戻った。さらに戦後は高速道路が隅田川沿いに建築され、周辺は一変、東京シティエアターミナルも建設され、交通の要衝として今に至る。

高速道路を越えて箱崎町に入る入り口、高架下には箱崎川第二公園があり、テニスコートも整備されているが、このあたりは箱崎川が暗渠となり、埋め立てられたものである。

すぐに校舎のような建物があるが、これは都立日本橋高校の跡地に作られた日本橋ビット、東京芸術劇場が運営する舞台の稽古場として活用されている。


その先には日本IBMの建物、巨大でいつも人が出入りしている。


その先には高尾稲荷神社の小さな社があるが、ここには紺屋高尾太夫が仙台藩主伊達綱宗に斬り殺され、遺体が引き揚げられたこの地に神霊高尾大明神を祀ったもの。

さらにIBMの敷地に沿って歩くと『日本銀行跡地』のレリーフ、1882年に旧永代橋のたもとにあった開拓使物産売捌所後に入居したもので、当時は職員が55名と小所帯であった。


その先が豊海橋、これは日本橋川に架かる橋でこの辺りで隅田川と合流、その下流に永代橋がある。


そこからは隅田川を遡るが、すぐ先には隅田川大橋、さらにその先には清洲橋が見える。新型の水上バスが大勢の客を乗せ通り過ぎ、さらにどういう人なのか、投網を持って川を下る人もいる。

その先の高速道路を潜り抜け、左に曲がると東京エアーシティターミナル。


元は1972年に東京国際空港へのバスターミナルとして作られたが、1978年に新東京国際空港(成田空港)への窓口となり、海外航空会社の搭乗手続や出国審査の機能も持っていた。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ以降出発空港以外での北米線の搭乗手続ができなくなったため、2002年7月に出国審査業務を廃止、また、リムジンバスのターミナルに戻った。そのため、昔ほどの賑わいはないが、それでもキャリーバッグを抱えた旅行客を目にすることができる。

箱崎町は日本橋の外れに位置するが、繁栄と衰退を繰り返し、また、その名残を残す町である。