『古刹を巡る』その37。会津は酒や白虎隊などともに寺そして仏像が素晴らしい。会津で仏教を語る上で決して忘れてはならないのが『徳一』(とくいつ)上人である。徳一上人は767年に生まれたとされるが、806年に会津磐梯山が大噴火をして、猪苗代湖を作ったとされるが、会津地方は被害が大きく、住民が困難を極めた。その為、徳一は京都から慧日寺に移り住み、その後810年に勝常寺、円蔵寺を作ったとされる。徳一は伝教大師最澄とも長く激しい論争をしたことでも知られ、徳一が開いた寺は40にものぼるとされる。
慧日寺は明治の廃仏棄釈で廃寺となり、今はないが、その後には磐梯山慧日寺資料館として整備されており、中門と金堂は再興されている。(付近に恵日寺はあるが、これは後に建てられたもの)
この展示を見ると徳一の偉業がよく分かる。京都からやってきて荒む住民に仏教を伝え、寺院を建てたことはその苦闘は大変なものであったであろう。その後も根強い信仰により慧日寺は発展し、薬師如来像も何回か火災で焼失しかけ、その度修復されてきたが、残念ながら慧日寺は1872年の火災で金堂もろとも仏像も焼失してしまった。
最後に奥にある徳一の廟と伝えられる石塔にお参りする。
次に訪れた勝常寺は磐梯町の隣にある湯川村に静かに建つ真言宗豊山派の古刹。お寺に着いたのは午後3時過ぎだったが、丁度同じような夫婦の方が住職に参拝をお願いされたタイミングでご一緒させてもらう。
この寺には木造の薬師如来三尊仏(国宝)があり、まずは薬師如来像を見せてもらう。やや薄暗い堂内だが、懐中電灯を使うことを許して頂きじっくり見るて下唇の下に膨れた顎があるお姿、全体的に丸みを帯びて両感のある優しいお顔である。光背も7枚の板を継いだものが創建時と同様残され、化仏こそ1体(後世のもの)しかないが、完全に残っていることに驚く。
日光・月光の両脇侍(国宝)は宝物館にあり、これも見せて頂く。手の先は破損しているが腰をややひねり、足を前に踏み出そうとする姿は聖林寺の十一面観音像を彷彿させる。
ほかにも、大きな十一面観音像や聖観音像、地蔵菩薩像2体、天部立像の5体も収蔵庫には安置され、いずれも一木造りで平安時代の作である。(重文)特に十一面観音像は見上げるほど大きく、当時の人にいかに大切にされたのかと感じた。この地は会津盆地の中心にあり、徳一上人が仏教を広めるのに適した場所と考えたのかもしれない。