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『東京の坂、日本の坂』その116。2番目に訪れた鼠坂は新宿区にある。市ヶ谷駅を降りて左側に橋を降りていく。橋の下には中央線・総武線の線路と外堀がある。ほぼそのまま真っ直ぐに外堀通りを渡り、少し右に曲がって次の信号を左に行く。
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すると車は通れるが狭い坂道となり、これを登るのだが、この坂が『左内坂』。坂の上の町名も左内町だが、その名前はこの坂道を作った名主の島田左内に由来する。
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道の反対側は市谷本村町、またこの土地は防衛省の土地になる。さらに歴史を遡ると陸軍士官学校である。
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それにしてもこの辺りの町名は一部を除き、住居表示未済地区であり、「市谷〇〇町」と付く地名だけでも15もある。さらに〇〇丁目がない単独町名がうち12と街歩きをする者には興味深いエリアである。
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突き当たりまで坂を登り、右に曲がると開けて道も広くなる。目の前には大日本印刷の巨大な本社。周辺にも同社の関連施設は多い。DNP本社の前の道が初めは安藤坂、降りて登る坂が中根坂である。以前、坂道歩きをした際には中根坂の表示板はあったのだが、道の改修で無くなっている。
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中根坂の途中を右に曲がると左側に新しく整備された中根坂東公園が見えてくる。その縁を歩くと道が狭くなり、坂となるがこれが『鼠坂』。
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2015年3月に一度訪れたことがあるが、当時は周辺は工事中。坂の左側はまだ区の建物の取り壊しの最中であった。残念ながら狭くて細い坂道には案内板はない。
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この辺りは市谷鷹匠町なのだが、家の数が少なく、またあっても大きな屋敷が多い。町を一回りするが町の名前が書いてあったのはコインパーキングと一棟のマンションのみであった。ただ、かなり離れているが、浄瑠璃坂の決闘の案内板は依然として今もポツンと残っている。
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市谷鷹匠町に沿って右に曲がると短い階段坂、これが『芥坂』。ただこの坂の途中からは歩道橋に変わっていてかつての風景とはかなり変わっている。また、その先は先程きた道に戻ってしまう。
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芥坂上まで戻り、右手に坂を降りていくと外堀通りに向かう下りの坂道となるが、この坂が『浄瑠璃坂』。浄瑠璃坂の名前の由来は①近くにあった光円寺の本尊薬師如来が東方浄瑠璃世界の救主だから、②この坂であやつり浄瑠璃の小屋興行が、行われたからなど諸説ある。
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それにしても市谷〇〇町は複雑で由来も面白いため、別途町歩きをしてみたい。