hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

高井戸プール

2013-10-21 06:43:06 | 日記

台風は行ったばかりだというのに、朝から強い雨。どうも一日止みそうもなく、ゴルフの日本オープンやパリーグのクライマックスシリーズも早々と中止や順延を決めたようだ。こういう日は運動も兼ねてと高井戸プールに出かける。かなり気温も下がっているが、温水プールなので安心である。

高井戸プールは高井戸清掃工場の排熱を使った温水プールで工場が1982年に造られたのに続き、1983年4月完成、2012年5月にリニューアルされている。もう、このプールに通い始めて5年をこすが、リニューアル後はジャグジーも完備して、寒い日も体を温められるようになった。

夏のシーズンの間は小学生が多いが、今の季節はかなり人も少なく、ゆっくり泳ぐことができる。今日も250円のチケットを自動販売機で購入、更衣室に入るとガラガラ。水着に着替えて、シャワーを浴びて、準備体操の後プールに入るが、あまり暖かくない。始めに平泳ぎとクロールを交互に250m泳ぎ、そのあと水中ウォーキングを500m、これだけでくたびれてしまうのが、我ながら情けない。その後ジャグジーに入って約40分間の運動をすることができた。シャワーを浴びて外に出ると冷たい雨。風邪をひかないように慌ててオオゼキに入って、買い物をし、帰宅。これで、少しは腰の痛みも緩和されるかなぁ。


べったら市

2013-10-20 08:03:12 | 日記

急に秋らしくというか、寒くなってきたが、夕方にべったら市が開催されている宝田恵比寿神社を訪れる。この神社は日本橋七福神の一つで約2ヶ月前に訪れた際には時間貸駐車場に挟まれた小さな前を通り過ぎそうな神社だったが、今日は周りに数えられないほどの提灯が並べられ、神社の場所がわかるように赤い大きな丸い提灯が吊るされている。

べったら市の歴史は古く、江戸時代から10月19日の恵比寿講の前日に神社周辺の通りで市が開かれて、べったら漬けが売られるようになった。

べったら漬は沢庵と違い、大根は干さない。塩漬けした大根を砂糖・米・米麹で本漬けしたもので『皮付き』のものと皮を剥いた『皮なし』がある。食べ方も沢庵と違い厚く切る。ところで、べったらの意味だが、表面についた甘酒の米麹がベタベタすることに由来する。

とにかく、店の種類も多く、それぞれで試食すると甘いやつや、甘さ控えめのものなど、始めこそ違いが微かにわかるが、だんだん食べているうちに分からなくなる。それでもうまかったと思った小さく包んであるものを1000円で購入、合わせて大根の葉を塩漬けにしたものをつけてくれる。


その後、椙森神社の方に向かうが、その途中もべったら漬けの屋台と七味唐辛子、刃物などの昔ながらの屋台、綿菓子や唐揚げ、クジなど、普通の縁日に並ぶような屋台、果てはくまモンのスーパーボールをすくわせる屋台まで沢山出ている。

椙森神社のそばまで来て、屋台に並ぶ列を発見。よく見ると人形町魚久の詰め合わせを売る屋台が店開きしており、家族四人セット(700円)、銀ダラの3切詰め合わせ(1200円)、などがあったが、普通の900円の詰め合わせを購入、そして参拝。雨も落ちてきたが、暗くなるにつれ人は増えてくる。たた、椙森神社の先で屋台は終わり、その先は食物やが片手間でつまみを売るのがポツポツある程度。それにしてもワインを飲ませるバルのような店が多い。

その後少し歩き、人形町で開催中の人形市を冷やかして、6時になったため、焼き鳥の丈参で夕食、充実した散歩となった。

道路元標

2013-10-19 00:38:49 | 日記

仕事で人形町から日本橋を目指す。小舟町支店の前を通過するが、ここは富士銀行の発祥の地らしい。その前を通過、江戸橋、昭和通りを過ぎると間もなく日本橋に到着する。

今の日本橋は高速道路の下にあるが、今の橋が出来たのは1911年その際に道路元標も備えられたようだ。元々、この道路元標のベースになった里元元標の設置が太政官令で規定されたのは1891年、東京市の道路元標が置かれたのもこの橋が作られたのと同時のようだ。簡単にいうと鉄道のゼロキロポストと同じで東京まであと◯キロとは全てここからの距離である。

ただ、今の橋の中央の都電の架線柱に付けられていたが、その後1972年に都電が廃止になる際に今の北西側に移された。その際に東京市道路元標のあった橋の中央部には50センチ四方の石板が埋めてある。

この道路元標は小さな公園のようになっていて、各地までの距離なども記載されている。近くには日本橋の船着場、向かいには三越本店、さらに歩くと日銀や日銀貨幣博物館などもある。


人形市

2013-10-18 06:35:35 | 日記

人形町界隈は夏の陶器市に引き続き、祭りのムードに。昨日は台風の影響で人影もまばらだったが、夕方からテントの設営が始まり、徐々に賑やかになってきた。

江戸初期に中村座、市村座の江戸歌舞伎2座が開場し、その周りに人形浄瑠璃や芝居小屋、そして人形師たちが集う街となり、古地図にある『俚俗人形町通り』が町名の由来となった。その人形町の名残りを残すイベントで、久月や吉徳をはじめとする有名店から個人の手作り人形まで56の露店が水天宮前から人形町交差点の両側に所狭しと並び、競い合う。


まだ、初日の木曜日というのに結構な人出がある。店は皆特徴があり、西洋人形の専門店、来年の干支である馬の置物を並べる店、なぜかパンダのぬいぐるみを置いている店、千差万別である。また、期間中はちょうど中央に位置する大観音寺では人形供養も行われる。


アクセスも、地下鉄駅が水天宮前と人形町の2駅利用できるほかに、土曜日までの3日間は日本橋から無料バスが期間中走っており、便利がいい。土曜日からは椙森神社でべったら市も行われ、秋の人形町は益々賑わいを見せる。こういった観光地に事務所があるのもいいものである。

三笠鉄道村

2013-10-17 06:41:11 | 日記

鉄道シリーズ その8。三笠鉄道村は北海道のほぼ中央、旧産炭地の三笠市にある。そのうち三笠鉄道記念館は1987年に旧幌内線の幌内駅跡に、ほど近いクロフォード公園は1992年に旧三笠駅跡に作られている。

ここを訪れたのは2007年8月のこと。まず、目を引いたのは室蘭市で工場の入れ換えに使われていたSー304という小型蒸気機関車、動態保存されており、短いながら構内を乗ることができる。この他に室内に蒸気機関車が2両(9600、C12)、電車機関車が1両(ED76)、屋外にはディーゼル機関車が6両、気動車が3両、客車が6両、貨車が7両など大量の車両が保管されている。


特にラッセル車のキ274や鉱山車両(三井芦別鉱山、住友石炭赤平鉱山などでつかわれたもの)など珍しいものもあり、北の大地で奮闘していた強者が静かに余生を暮らしている感じである。ただ、当時でも外に置かれた車両は厳しい気候のためか、錆が出ているものもあるのが心配。気動車やディーゼル機関車好きの小生としてはDD15のラッセル仕様やDE10など好みの車両も多い。

また、室内には展示室があり、弁慶号を始め、北海道の開拓と鉄道の歴史を展示しており、その苦難と栄光を知ることができる。埼玉の鉄道博物館もいいが、北の鉄路の記録として貴重な資料や模型を見ることは大きな収穫で思わず時間を忘れてしまう。

クロフォード公園は幌内鉄道建設の際に北海道開拓使顧問として指導にあたったジョセフ.Y.クロフォードにちなむ公園で当時は特急おおぞらやDD51などが静態保存されていたのみだったが、その後トロッコも旧幌内線の線路を使い、営業しているようである。いずれにしても素晴らしい資料や車両があるにもかかわらず、それほど有名でないため、訪れる人が少ないのが気がかりである。
また、併せて不祥事続きで大変なJR北海道の再起を望みたい。

MARU 吉祥寺グルメ

2013-10-16 06:42:37 | グルメ

三連休の中日、この連休でようやく秋らしい日となり、家から吉祥寺まで散歩する気になった。神田川沿いに歩き、一本奥に行くとつい先日女子高校生が襲われたあたり、今は嘘の様に静かだが。合掌。
そのまま明星学園そばをとおり、井の頭公園に。ふと対岸をみるとテントがでていて、くまモンやチェブラーシカなどの店もでるなどイベント開催中。いつも楽器を鳴らしながらパフォーマンスをやっているおじいさんが、あれじゃだれも俺の所へ来ないよとぼやくのが聞こえた。

今日のお目当ての店は『MARU.マル』、商店街から一本入った地下にあるお店で、日本酒や焼酎の種類が豊富。まずはビールで乾杯。注文はまずは串物。白レバーと豚バラは塩、つくねはタレ、200円でこれだけの味はなかなかない。特に白レバーは片側だけカリッと焼いて風味豊かな仕上がり。ビールが美味い。次に『牛スジと大根の煮物』、これは想像と異なり、鉢に盛られ、汁多め。スジは柔らかく、大根はしっかり(勿論、下ゆでされており、硬いわけではない)。味も甘さ控えめで、酒に合う。お酒は篠峯(奈良県御所市)、相性抜群。

次いで『金目鯛のかぶと煮』、大きなかぶとが二つに割られ、生姜と昆布で煮てある。味はしっかり、添えられたゴボウも役割を果たしている。この料理と約10分格闘、上手く捌けた。今日は金目は一尾だけでありつけたのも運がいいが、結構身もあり、大満足。酒は南(高知県)、羽根屋(富山県)、前者は秋上がりらしく、力強い味、一方、後者は口触りがよく、鼻に抜ける旨味がいい。漬物を齧って、最後に写楽(福島県会津)と結構重いお酒を堪能。締めに鳥茶漬。酒も料理も大満足の上に満腹。

MARU
武蔵野市吉祥寺本町1ー13ー6
地下1階

鉄道の日

2013-10-15 06:39:53 | 日記

鉄道シリーズ その7。鉄道の日は、10月14日と定められている。これは明治5年10月14日(新暦)に新橋~横浜間に鉄道が開通したことを記念したもので、日比谷公園など各地で色々なイベントが開催される。また、今の鉄道の日(当時は鉄道記念日)は制定されたのは鉄道50周年の翌年の1922年と古く、1994年からJRだけでなく、全ての鉄道を対象とした『鉄道の日』に変更された。また、2007年には今の鉄道博物館が開業している。ところで明治の開業時には今の新橋駅や横浜駅とは少し離れたところに駅というか、当時の停車場があったことを知る人は少ないのではないだろうか。

まず、新橋駅だが、元の駅は少し離れた汐留にあり、1914年の東京駅開業までは東海道本線の起点であった。また、その少し前に山手線の駅として1909年に開業した烏森駅が今の新橋駅で1914年以降は烏森駅が新橋駅に、旧新橋駅が汐留駅となり、後者は荷物専用の駅となった。その後、汐留地区の再開発に際し、旧新橋停車場が発掘され、今は当時の建物が再現されて展示室となっているのは前にこのブログでご紹介した。


一方、横浜駅(停車場)は、今の桜木町あたりにあった。(因みに今の横浜駅辺りはまだ海だった)しかし、その後、1877年に国府津まで東海道本線が延伸すると一旦左手に折れて旧横浜駅に入り、反転して国府津を目指すという遠回りをしなくてはならなかった。そのため、1898年にこのスイッチバックをしなくて済むように横浜以西に行く優等列車は神奈川駅に(上りは保土ヶ谷駅)停車するように変更。その後、1901年には今の横浜駅西口近くに平沼駅が開業、さらに地下鉄高島町駅そばに横浜駅(二代)を開設した。しかし、関東大震災で横浜は大打撃を受け、駅舎も全焼。仮駅舎は建てられたが、1928年に平沼駅そばの今の場所に三代目横浜駅が開業している。かなり、紆余曲折があった訳だが、横浜駅が元々の横浜の中心部である桜木町や関内などから離れている訳はそうした経緯によるものらしい。

また、開業時の錦絵に直ぐ海の端を走る汽車が描かれているが、これは海岸を埋め立てし、さらに盛土を施してその上に線路を敷き、汽車が走ったためである。しかし、その後どんどん埋め立てられ現在では東京~横浜間の車窓から殆ど海が見えなくなってしまっている。できない相談だが、タイムマシンでも使って海沿いを走る東海道本線の岡蒸気に乗ってみたい気がする。


トロッコ王国 美深

2013-10-14 07:47:57 | 日記

鉄道シリーズ その6。10月14日は鉄道記念日だが、その直前の10月10日に多摩動物公園駅前に京王レールランドがオープンした。これも京王電鉄100周年記念の事業らしい。

日本は鉄道大国のためか、日本各地に鉄道の記念館や施設が多いが、今まで約半世紀、幼稚園児のころに青梅鉄道公園に魅せられて以来、北海道から九州まで色々な施設を回って来た。今回より、北から順に幾つかの場所をご紹介していくこととしたい。これには廃線となった路線を偲ぶもの、廃線を活用して車両を動かしているもの、活躍した機関車や気動車を展示したもの、また、大規模なものからNPOが頑張って支えている小規模なものまで色々ある。
第一弾は最も北にある(と勝手に思っている)『トロッコ王国 美深』、これは1985年に廃止された美幸線(美深~仁宇布、21.2キロ)の先端部分を使って、保線工事用エンジン付きトロッコを運転できる施設。1993年に開業、地元のNPO法人が運営している。

因みに美幸線は建設時には北見枝幸まで延伸が計画されており、起点の美深の『美』と終点の北見枝幸の『幸』を取って名付けられたもの、当初から乗客が少なく、延伸が果たされることはなかった。そして、1981年に廃止対象の第一次特定地方交通路線に指定され、一時は逆に最も営業係数の悪い路線として当時銀座でPRし、有名にはなったが、廃止は免れられず、小生も乗ることができなかった路線の一つ。

仁宇布駅は美深から21.2キロ山に向かった方にあり、よくこんな所を終点にしたなと思うほど山の中。もちろん携帯電話もつかえず。2007年夏に訪れた際も長袖のジャンバーを着なければ寒いほど。到着時に入国料(当時は1人1300円)を払い順番待ちをする。言っては悪いが、こんなところにも来る客が他にいたこと自体驚き。待つ間に昔からの色々揃ったスタンプを押したり、記念の切符を購入したりして、自然に気分は高揚する。

そして順番がきて、乗ったトロッコは四人乗り、2人で乗るが、人力でなくエンジン付きのため、少々燃油の匂いがするが、楽チン。北海道の雄大原生林の中を真っ直ぐな約5キロ線路は続き、20キロが最高速度のトロッコでも往復45分程度かかり、かなり長く乗ることができる。本物のJR線の線路を自分で運転する機会など滅多になく、鉄道ファンなら是非行きたいポイント。それにしても、これだけ雪深い中、施設を守っている職員の皆様に心から感謝‼︎
また、折角ここまで足を運んだならば、音威子府駅に併設されている天北線資料館を覗かれることをぜひお勧めしたい。

次は三笠鉄道村をご紹介する。

三鷹農業公園

2013-10-13 08:02:48 | 日記

この一週間は台風が日本海側を北上した影響もあって蒸し暑い日が連続、史上最も遅い真夏日が記録されるなどなかなか秋らしい日がこない。
しかし、玄関先に置いてあるテラコッタの中の日々草もさすがに花が咲かなくなってきて、そろそろ植え替え時期になってきたので、思いきって三鷹農協の緑化センターに花の苗を買いに行く。

三鷹農業公園は東八道路沿いにある平成16年に作られた市立の農業公園で農業体験もできる。また、桜やぶななどの大きな木に囲まれた広場ではバーベキューも楽しめるとあって、特に花見や夏休みにはいつも大混雑。今日も早くからかまどを作って火をおこし、バーベキュー大会の用意がはじまっている。幾つものかまどに炭と着火ようの木材を並べ、火を起こすが煙が大量に出て、こちらまで煙い。さんまでも焼かれたら臭くて大変だろう。


農業公園の施設内には農協の緑化センターがあり、近隣の農家が苗や作物を持ち寄り、安く販売されていて人気がある。その裏では柿や蜜柑などの実のなる木やハナミズキ、松など色々な種類の苗も売られていて、小さな植物園のようで、見ているだけでも楽しい。今日もブルーベリーの葉が美しく紅葉している。

庭の植物を買おうと売り場を見るが、マリーゴールドやコスモス、金魚草など色々目移りしたが、結局、パンジー3種類に落ち着き購入。

これを持ち帰ってからがまた大変、日日草を抜いて、土を振るいにかけ、土壌改良剤や肥料を混ぜ、テラコッタに戻し、苗を植え付ける。これを3鉢やるだけで、汗だくにはなるは蚊には食われるは、まあ何とか終了。まあ、衣替えみたいなものか。

奥浅草

2013-10-12 08:09:17 | 日記

浅草を訪ねる。お決まり通り雷門を通り、仲見世を行くが、平日とは思えぬ混雑。中国を中心とした外国人観光客と修学旅行生、さらにちょうどお帰り時刻が重なった浅草寺幼稚園の子供と父兄など仲見世が朝の渋谷駅のような混雑、しかも方向が一定しないのだから始末に悪い。止むを得ず、仲見世の裏通り経由で本堂をお参りする。


あまり慌ただしいのでいつも行かない方に向かう。本堂の左側には影向堂(ようごうどう)がある。ここは観音様に協力する仏様をおまつりするお堂。まず、元禄6年に作られた阿弥陀如来、隣は宝暦11年に作られた宝篋印塔(ほうきょういんとう)。さらに行くと川が流れていて、橋が架かっており、その先には六角堂も。これは室町時代建立とのこと。


さらに観音裏に向かう途中に銭塚地蔵堂。これは江戸時代享保年間に山口氏の妻が庭先で寛永通宝が沢山入った壺を掘り当てたが、これに頼ると家が滅ぶと考え、埋め戻したところ、その心掛けもあり、一家は繁盛した。そのため壺の上に地蔵を祀ったもので、商売繁盛を祈る人が多い。


その隣はカンカン地蔵がある。管理している人がいうに、この二つの地蔵は離れたところにあったが、移されて隣同士となっただけらしい。因みにカンカン地蔵はもとは大日如来像だったが、天災にあい、今は変わり果てた姿で全くただの崩れた石のよう。しかし、置いてある黒い石で叩き祈ると願いが叶うとの言い伝えがある。ただ、叩かず削る輩もいてさらに小さくなっている。(寺男氏曰く、お金は銭塚地蔵、それ以外はかんかん地蔵と担当が分かれているとのこと。)


その先にはバス駐車場と市川団十郎の銅像、さらに雷おこしのやっているゴロゴロ会館などがある。ゴロゴロ会館は浅草では数少ない団体での食事できるとバス駐車場の施設を持つ。今はホールを吉本に貸して浅草吉本と称して演劇をやっているが、元々は女剣劇の浅香光代の舞台である。左に曲がると、向かいには有名な大学イモを売る千葉屋さんがある。その前のバス停の名前を見るとなんと『奥浅草』、元浅草や西浅草、浅草橋は知っていたが、こんな地名もあることを発見。