hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

やぶ久〜八重洲ランチグルメ

2018-11-20 05:00:01 | グルメ

日本橋地区の老舗蕎麦屋というと室町砂場が思い出されるが、もう1軒は八重洲にある『やぶ久』が挙げられよう。場所は八重洲中通りを永代通りから少し入ったあたり。よく見ると並びは『よもだそば』『一心たすけ』と立食いそばが2軒も並んでいる。

店はそれほど間口は広くないが奥行きが長く、1階には4人掛けが3つ、2人掛けが2つ、これが埋まると2階に上げていくシステム。メニューは多少悩んだが、『かつ丼+カレーそば』(1026円、税込)にする。ちなみにランチのお得な組み合わせは小丼がカレー丼・たまご丼・イカ天丼・親子丼、そばがたぬきそば・肉南蛮・ネギ南蛮・おろしそばからの選択となる。

私は2人掛けを占領、少し早いからかまだ空いている席もあったが、12時が近づくと満席で2階に誘導される。注文をすると『セットの場合はカレーそばは豚肉となります。』と言われて名物のカレーそばには辛さが3種類、具が鶏肉と豚肉があることを知る。

5分ほどして丼と蕎麦がトレイに乗せられて到着。ここで悩むのが、先にどちらから食べるかだが、私は蕎麦から行くことにしている。

蕎麦はしっかりとしたカレー風味、豚肉と玉ねぎ、さらに長ネギの刻んだものを振り掛けて食べる。なるほどこれは美味い。風味がよく、少し辛い。かえしとカレーの融合とは日本人の工夫の凄さに改めて感心。

蕎麦を食べ終わり、かつ丼に。小ぶりな丼に厚切りトンカツが3切れ、ご飯は少ない目なのが助かる。やや、濃いめの味付けだが、トンカツが柔らかいのにはびっくり。これも中々のもの、細かく刻んだ柴漬けに時々箸をやりながら完食。

いや、この取り合わせは味が濃いもの同士と懸念したが、いずれも美味い。満腹になってお茶をいただき、おあいそをする。店の人が如何でしたお味の方はと聞かれ、さすがですね、特にカレーにこんなに蕎麦が合うとはというとニコニコ笑ってまたお待ちしますとのこと。ご馳走さまでした。

やぶ久
中央区日本橋2ー1ー19
05058680404

日本橋川の橋を渡る(2)

2018-11-19 05:00:53 | 川と橋

『ぶらり橋巡り』その75。俎橋を渡り、喧騒が少なくなる。わずか100mほどなのに竹平通りにかかる地味な橋が宝田橋である。高速道路がほぼ覆っていて昼間でも薄暗い橋。

この橋自体は昭和になってから作られたものだが、由来はこのあたりの元の地名、『下平河宝田村』から来ている。江戸中期に江戸城の拡張により住民は立ち退きを求められて中央区日本橋大伝馬町に移転を余儀なくされたが、その名残がべったら市や日本橋七福神で有名な宝田恵比寿神社の名前に残されている。

その先を歩いて行くと川はゆっくりと右に曲がり、奥に江戸城内濠に架かる竹橋が見えるあたりにあるのが雉子橋である。歴史ある鋼製のアーチ橋であるが、1925年に作られたものである。橋の下の方をよく見ると内濠の方向に管が繋がるようになっているのがわかる。


橋の名前にある『雉子』であるが、勅使として来日した数万人の唐人をもてなすために幕府が全国から雉子を集めた。その鳥小屋がこの辺りにあったため、雉子橋と呼ばれることとなったのである。明治には大隈重信の雉子橋邸があったが、現在では信じられないような話である。

日本橋川はこの先は一ツ橋、神田橋などを経て日本橋に繋がるのだが、この先は次の機会に歩くこととする。

博多どんたく〜小伝馬町ランチグルメ

2018-11-18 05:00:30 | グルメ

事務所の周りにはうどん屋か多数、名前をあげてもきしめんの『寿々木屋』、讃岐うどんの『ほし野』、『ちょうさ』、『谷や』といずれ劣らぬ名店揃いではあるが、博多うどんのようなコシのないうどんも食べたくなる。

と探していたら8月に別の店が潰れて新たに『博多どんたく』という昼はうどん、夜は居酒屋の店がオープンしていた。

場所は人形町通りから一本内側に入った神社の前の通りを歩くと左側にある。殺風景な店内に入ると店の人がいてオーダーをしてその先はセルフとなる。今日は『ゴボウ天うどん+かしわ飯』(580円+100円)という博多にいたころの昼飯風。博多の店のように青ネギと揚げ玉は入れ放題となっていて、出てきたうどんに青ネギをプラス。

席に着いて食べるが、珍しく布製のおしぼりが付く。ゴボウ天は2種類、ピーラーで薄くスライスし、これを丸くかき揚げ風にしたものとやや厚目に切ったもの(ネギの下敷きで写メには写っていない)が2つ、計3つが乗っていて、そのまま齧ると硬いが汁がしみるとすぐ柔らかくなる。

ごぼうの独特な香りがいい。うどんは讃岐と違いふんわり柔らか、出汁ももカツオがガツンではなく、優しい味である。

また、かしわ飯は懐かしいの一言、色の割には味は濃くなく、醤油が甘いため子供にも優しい。柴漬けが少し付いてくるのも嬉しい。

店を見ると1〜2名連れが殆ど、丸天も肉うどんもカレーうどんもよく出ていた。ご馳走さま、くせになりそうである。

博多どんたく小伝馬町店
中央区日本橋大伝馬町3ー9
0335272910

日本橋川の橋を渡る(1)

2018-11-17 05:00:55 | 川と橋

『ぶらり橋巡り』その74。この企画も猛暑に耐えきれずしばらくやらなかったが、11月になり、久々の登場。今回は水道橋付近の日本橋川にかかった橋を巡ってみたい。


日本橋川は名前の通り日本橋の下を流れる川だが、スタートは水道橋駅から近い神田川の小石川橋から分かれて内濠の近くを経由し、日本橋、さらに八丁堀に近い亀島橋を通り、東京湾に至る。今回は日本橋川の最初の橋である三崎橋から数えて3つ目の新川橋から歩く。


新川橋は靖国通りの三崎町2丁目の交差点から高速道路に向かう道にある。立派な親柱があるが、新川橋という名前は江戸時代に埋められた堀留橋〜三崎橋を1903年に改めて掘削して水路を通したため、新川と呼ばれたことによる。

元は江戸時代高松藩上屋敷など大名旗本の屋敷があったところでその跡も発掘されている。


少し川を下ると堀留橋、ちょうど首都高速西神田ランプのあたりで江戸時代の旧飯田川はここまでであった。それではその先はというと、排水のための小さな水路があったらしい。現在では周囲にも大きなオフィスビルが立ち並び、川は高速道路の下にあるため、覗き込む人もない。

西堀留橋という青く塗装された橋を通り、次が俎橋、上を靖国通りが通り、幅も広い。


1983年に現在の橋ができたのだが、当時は工期も長く、渋滞のひどい橋であった記憶がある。江戸時代は川に二本の板を渡しただけの粗末な橋であったためにこの名前となったらしいのだが、現在はその面影はない。(以下、次回)

カニチャーハンの店〜渋谷グルメ

2018-11-16 05:00:10 | グルメ

渋谷を歩いていたら『カニチャーハンの店』と書いた看板を発見。雑居ビルの3階で1階の激安酒場は潰れているという何とも言えない雰囲気であったが、思い切って行くことにした。

場所は狭い井の頭通りを歩き、東急ハンズの少し手前あたり。階段もあるが狭いので奥のエレベーターで3階にあがる。エレベーターが開くと目の前に券売機、店員さんのいらっしゃいという元気な声が聞こえてくる。メニューは『カニカニチャーハン』『カニ海鮮五目チャーハン』『半熟たまごのカニ玉チャーハン』『エビ中華マヨチャーハン』などチャーハン8種類にサイドメニューの餃子、鳥唐揚げ、カニ焼売などを追加する方式。次の人が待っているので『半熟たまごのカニ玉チャーハン+鳥唐揚げ』(940円)にする。

カウンターと奥にボックスの細長い店内。窓際にはカニの赤いネオンが輝いている。席の前はオープンキッチンになっていてチャーハン用に一人前ずつご飯を計り、コックが鍋を振って作る。

そのため、少し待たされるが、まずは鳥唐揚げ2ピースが到着、ネギがたっぷりとかかっていてかなり美味そう。

少ししてチャーハンも到着、フワフワ卵の上にとろみのある餡がかかり、さらにカニ身がトッピングされている。まずは一口、ちゃんとカニ身の入ったチャーハンで優しい味。確かにパラパラで脂もそれほど多くない。

その上、卵のトロトロと合わせて食べるのであっさりとしていて美味い。鳥の唐揚げも揚げたてでタレがかかっているが、ボリュームがある。チャーハンは少しずつ崩しながらいただくが、好みの味付けであった。

ただ、壁のメニューにはカニの味噌汁付きとあったが、これは最後まで出てこなかったのが残念。食べ終えてしまったため、特に文句もつけなかったが。ご馳走さまでした。

カニチャーハンの店渋谷店
渋谷区宇田川町31ー4篠田ビル3階
0357842443

2000円札を極める(2)

2018-11-15 05:00:36 | 日記

前回に続いて『2000円札を極める』実践編である。まずは手元に2000円札を用意しないと話にならないため、事務所近くのみずほ銀行の支店に行く。まずは機械式の両替機を覗く。しかし、札の種類は1万円、5000円、1000円の3種類のみ。
そこで案内の女性に聞いてみると『新札はありませんが、旧札でよろしければ両替可能です。』との返事。両替票を書いて窓口へ。余談だが、今の銀行は口座がないと両替してもらえないようだ。窓口で両替票と1万円札を出す。すると10分程度で2000円札が5枚手に入った。

それでは2000円札は市中でどういう扱いを受けているのだろう。まずはチェーンのドラッグ、レジは若い男性で『2000円札は普通に使えますよ。しかし、よく持っていますね、それにこのお札自体が失敗ですよね。』と問題なし。次に本屋、昔ながらの本屋である。ここで来年の日記帳を買う際に出してみる。すると『不思議ですね。数年見ていなかったのに、なぜか昨日使う方がいて、2人目ですね。別に使えますよ。』やはり、たまには使う人はいるらしい。


次に機械はどうなのか、まずはみずほ銀行に預けて見ると問題なく2000円を受け入れてくれた。次に駅の券売機を見ると東京メトロも都営地下鉄も京王も札の口に『1万円、5000円、2000円、1000円』と現行4種類が書いてあり、もちろん受け入れてくれる。


結論としては券売機やATMなど使えない機種はあるらしいが、2000円札も大半の店や機械でも受け入れるようになっている。十分使用に足りる存在であることを実感できた。
まあ、当たり前ではあるが、2000円札はちゃんと流通しているのである、滅多にお目にはかかれないが。

味の曙〜日本橋ランチグルメ

2018-11-14 05:00:54 | グルメ

事務所から5分ほど歩いたところに小網神社がある。日本橋七福神の一つだが、道を挟んで反対側に食堂が何軒か並んだところがある。店の建物自体はかなり古く、昭和初期に流行した看板作りの店もある。飲み屋が多いが、ランチの看板が出ている『味の曙』という店に入る。看板には串揚げとあり、夜はそこそこの値段がする模様。

店内はカウンターとボックスが4つ、質素な作りではっきり言って古ぼけている。もちろん私は1人なので特に何も言われなくてもカウンターに座る。店はお爺さん、お婆さん、若い職人さんの3人で切り盛りしているが、特にホール担当のお爺さんとお婆さんは愛想がいい。店に来る客はほとんどが串揚げ定食(800円)を注文する。

まずはサラダとお茶が出されるが、人参、レタスと刻みキャベツ、ワカメにミソのドレッシング、味付けがよく、なかなか美味い。


串揚げは揚げ立てを出してくれるため、7、8分は待たされる。注文とぼぼ同時に油の鍋に串を入れる音がして、出来上がり、油を切ったらすぐに運ばれてきた。

串揚げは全部で8本、ソースと塩が入った皿、ご飯、味噌汁が登場。ご飯・味噌汁はおかわり可とのことである。

左から食べ始めるが、1本目は豚ロース、それからタマネギ、牡蠣、鶏ネギ、イタヤ貝、イカ、うずら卵、エビであった。いずれも美味いが、その中でも特にというと牡蠣とタマネギ。大粒の牡蠣の絶妙な火加減、シャキシャキ感を残したタマネギは大変美味かった。

また、うずら卵には自信があるみたいだったが、確かに黄味が柔らかくしっとりしている。総額800円は流石に人形町・茅場町と言えども安い部類に入るだろう。この辺りは流石にハズレが少ないランチスポットである。さらにお茶もご飯のおかわりも心配してくれてサービスは満点、ご馳走さまでした。是非、次は夜に来てみたい。

味の曙
中央区日本橋小網町13ー4
0336663948

(ブログ2000日記念)2000円札を極める(1)

2018-11-13 05:00:41 | 日記

hokutoの気まぐれ散歩(ブログ)も今回でめでたく2000回を迎えることができ、2013年5月以来ほぼ毎日更新できたこと、読者の皆様には拙文を読んでいただいたことに深く感謝申し上げたい。その一区切りとして何かそれらしい企画と足りない知恵をひねり出し、『2000』に注目して『2000円札を極める』というテーマでブログを書いてみることにした。

皆様も2000円札にはとんとお目にかかることもないと思うが、実は発行枚数は8億8000万枚、現在でも1億枚が流通している。しかし、私も東京でお釣りにもらったことももう数年ない。ではどこで流通してのであろうか。これはお札が発行された経緯やデザインと関係がある。

もう忘れてしまったのかもしれないが、2000年はそごう破綻やみずほFG設立など身近に色々と事件もあったが、ミレニアムブームがあった。さらに7月に沖縄サミットが開催されたことがきっかけで森内閣の時に2000円札が発行された。通常の紙幣であり、記念紙幣ではないのだが。紙幣の表の柄には守礼の門、裏には源氏物語絵巻が描かれている。守礼門=沖縄県ということもあり、沖縄では600万枚が流通しており、さらに現在でも流通量も増加しているのだ。

2000円札は①深凹版印刷、②潜像模様、③パールインク、④ユーリオン、⑤光学的変化インクといった当時の技術の粋を集めた紙幣である。特に⑤は額面表示の『2000』を券の見る角度により緑や紫など色が変化する高度な技術であり、2000円札のみに使われている。持っている方は是非試してもらいたい。

なぜ2000円札は全国的に普及しなかったのだろうか?明治以来日銀券として発行された紙幣のうち『2』がつくといえば200円紙幣と20円紙幣のみ。うち20円紙幣は大正6年(菅原道真の肖像)と昭和6年(藤原鎌足の肖像)と2回発行されているが、昭和初期でも現在の20〜30万円の価値があったというからかなりの高額紙幣。

また、200円紙幣は昭和2年の昭和恐慌の際に紙幣不足に陥り、時間がないので表のみを印刷した特殊なもので『うらしろ』と呼ばれた。こちらは騒ぎが収まると回収されてしまったのである。 (その後、昭和20年に藤原鎌足の肖像の200円札も発行されているが、こちらも新円切替で1年余りで廃止)20円札は高額のためにあまり流通しなかったし、200円札はいずれも短命かつ臨時的な要素が多かったなどの理由から日本では『2』という単位が紙幣には浸透しないのかもしれない。
まあ、2000円札のプロフィールはともかく、実際に手にして、さらに使ってみることとしたい。(以下、次回)

かめや〜小伝馬町ランチグルメ

2018-11-12 05:00:06 | グルメ

またもや立食い蕎麦、ただ、今回のお店は椅子が全くない本当の立食いスタイル。店は東京メトロ日比谷線小伝馬町駅近くで交差点を中心に2軒あるが、少し人形町よりの『かめや』(もう一軒は田そば)。人形町通りから少し路地を入るが、並びの天ぷら屋なども良さそうな店。

何となく広そうだと思ったら2つに分かれてはいるが、同じ店のようである。朝は7時開店だから朝そばもいける。麺類以外にもカレーライスや中華そば、チャーハンもあるようでわざわざ『チャーハンあります』と書いてあるくらいだから人気なのかもしれない。

天ぷらがたくさん並んだショーケースの前で注文してお金を払うシステム。今回はかき揚げそば(360円)を注文、因みにかけそばは260円である。

すぐにアツアツのそば、ただし、メラミンの丼のため、熱くはない。本当に昔ながらのかき揚げそばで、かき揚げはポテッと玉ねぎ90%、桜えび10%、箸で切りにくいが玉ねぎがたっぷりでツユに浸して柔らかくなると食べやすい。

蕎麦も典型的な茹でおきの蕎麦を再びあっためたもの、また、ツユも味は濃いが辛くはない。美味いと言われればまあ普通程度だが、癖になりそうである。

揚げたて天ぷらや打ち立てそばと言った贅沢な立食い店がある中で昔ながらの味が何となく懐かしくなった時には嬉しいタイムスリップ系。カレーライスもチャーハンも食べたくなる。ご馳走さまでした。

かめや
中央区日本橋大伝馬町4ー4

新大塚付近の坂(2)

2018-11-11 05:00:16 | 坂道

『江戸の坂、東京の坂』その110。砂利場坂から左に曲がり、細い道を行く。左側にある古い集合住宅には丸山町南住宅(文京区丸山町40番地)とある。住居表示が千石に変わったのが1967年のことだから、この住宅は50年は立っているのだろう。


そのまま真っ直ぐに歩くと不忍通りに突き当たるが、千石3丁目交差点を底に坂道が左手に伸びている。この坂道が『猫又坂』、大正時代くらいまでは千石3丁目には千川(小石川)が流れていて、かかっていた橋が猫又橋のため、この名前となったが、その親柱は残っている。『猫又』の由来は橋自体を木の根の股で橋を架けたため、『根木股橋』と呼ばれていた。


しかし、若い坊さんが白い獣に化けた狸に溝に落とされたという言い伝えから猫の化け物である猫又になったようである。


不忍通りの猫又坂に対峙する千石3丁目を底とする坂道が『白鷺坂』である。現在では大塚小学校になっている土地に江戸時代に伊達宇和島藩の下屋敷があり、池を中心とした庭園があった。

明治となり荒廃するが白鷺の営巣地として鳴き声に悩まされるほどであったということが、名前の由来と言われている。

白鷺坂は長い坂道で大塚3丁目交差点まで登っている。さらにその先、護国寺に向けてまた下るのだが、この坂道が『富士見坂』。


坂の上からよく富士山が見えたことからつけられたものだが、確かに標高は28.9mと都内幹線道路の最高地点となっている。東京には他にも富士見坂や潮見坂は多くあるが、ビルやマンションの建設により、実際に見ることができる坂道はないようである。