東京オリンピックで儲けようという人たちの中には、ホリエモンのことをゼニゲバだとか自分さえ儲かればいいんだとか、そう言って非難していた人たちがたくさんいまして、彼らはどう言っているかというと、「経済効果」という言葉を持ち出して、なにも儲かるのは我々だけではなくて、皆さんもちゃんと儲かりますよと、なんとか正当化しようとしています。あくまで噂ですけれどもね。
再来年のオリンピック開催が決まっている北京では、工事だけでなくて社会全体のモラル向上に努めているようです。その内容は、
道路を横断するときは横断歩道を横断する
交通信号を守る
タバコをポイ捨てしない
ごみをポイ捨てしない
むやみに痰を吐かない
つばも吐かない
立小便しない
他人の自転車を勝手に使わない
鼻毛を伸ばしっぱなしにしない
毎日入浴する
鳩を捕獲して食べたりしない
といった、笑えるものから私たちも身につまされるものまで、たくさんあります。
そして人がたくさん集まると集まってくる売春婦やスリ、ばくち打ち、香具師、偽物売り、クスリ売り、ダフ屋、蛇頭、暴力団、チンピラ、政治家、書記などを取り締まるために、警察はじめ公安関係者の綱紀粛正に勤めているそうです。中国の警官は犯罪の取り締まりや治安維持よりも自分の立場維持や利益追求に一生懸命で、これは実は日本の警官とまったく同じですが、日本の警官が立場維持のほうに重点を置くのに対し、中国の警官は立場維持よりも身近な利益を求める傾向にあるそうでして、知り合いの中国人に聞いたところ、中国では道でお金を拾っても交番に届ける人はいない、自分がネコババしなければ警官がネコババするだけだ、と言っていました。そしてそれが当たり前という倫理感覚だから、警官がネコババしたのがばれても大問題になることはないそうで、日本では大問題になるから警官がネコババしないだけの話です。日本の警察官が優れているわけじゃありません。
むしろ日本に比べてはるかに法律の厳しい中国の警察官のほうが、修羅場に強いかもしれません。日本では、草加の交番の事件を覚えている方もいらっしゃると思いますが、やくざに狙われた人が交番に逃げ込んだのに、そこにやくざが飛び込んでくると、交番の警察官たちは知らん顔で、やくざがその人を連れて行くのにまかせました。そしてその哀れな男性は大怪我をしたそうです。その場にいた警察官は4人、やくざは3人でした。4人の警察官はやくざが怖くて手を出さなかったそうです。
いいでしょう、この警察官たちは暴力に反対だった、だから手を出さなかった、それならそれでいい。しかし市民を守るのが警察官の仕事なら、やくざに手を出さなくても、その男性を抱え込むとか、上に覆いかぶさってやくざたちの殴打から守るとか、そういったことならできたでしょうし、もっと普通に考えれば、警察官は日常的に逮捕術の訓練を受けているわけですから、なぜそれを使わなかったのかと、いろいろ疑問はありますが、人間というのはとっさのときには本性が出るんですね。それともくぐった修羅場の数によるんでしょうか。または訓練不足だったのか。ともかく、警察官がこんなレベルで大丈夫かあ?というのが、感想でした。3人のやくざに対してもこのていたらくなんですから、オリンピックを誘致して悪党が大挙して押し寄せてきたら、どうなるのか、本当に心配です。凶悪事件の検挙率も年々悪くなる一方だし、1964年の東京オリンピックのときとはだいぶ違うと思います。
長野県も冬季オリンピックが終わった後、莫大なお金をかけた設備や施設は負の遺産となって県民を苦しめました。石原慎太郎は臨海副都心を負の遺産だと言っていましたが、もしオリンピックが開催されたとしても、その後に負の遺産となりかねない。ましてや、オリンピックの誘致に失敗した場合、その場合でも施設は建設されたり修復されたりしているわけですから、経済効果はないわ、お金はすでに使ってしまったわで、単に無駄なハコモノを増やしただけとなって、やっぱり負の遺産に変わりはありません。
どう転んでも、日本国民にとっても東京都民にとっても東京オリンピックを誘致することになんのメリットもありません。開発途中でほったらかしにされていたところがとにかく何らかの結末を得るだけです。都庁の中にどうしても途中で放り出したプロジェクトを何とかしたい分子がいて、利権がらみでそこにつけこみたい政治家や暴力団や土地ころがしや土建屋、金貸しなどがいて、自己顕示欲をかなえたい都知事がいて、この三者の思惑が一致したのが、今回のオリンピック誘致なんですね。
福岡市のアンケートではオリンピックの候補地として立候補することに賛成なのはわずかだったと聞きます。8割以上の市民が反対だった。東京都民も半分以上が反対でした。政治家というのは、どういう神経なのか、理解に苦しみます。そういえば小泉さんも、一方では国民の支持を訴えながら、一方ではたとえ国民に反対されてもやらなければいけないことがある、と言っていました。この理屈が通るのなら、政治家はやりたい放題ができることになりますが、そういう政治家を許しているのが国民自身なのですから、言うことはなにもありません。有名な格言で、国民は自分たちのレベルに見合う政治家を選ぶ、というのがあります。その意味が、日本国民は救いようのない国民で、日本は救いようのない国だ、ということにならなければいいのですが。