最近ではあまり聞かない質問ですが、「尊敬する人は誰ですか?」と以前聞かれたときは、そんな人は歴史上も現在もいませんと答えていました。近頃は迷わず「河野義行さん」と答えることにしました。といってもこの二十年くらいは一度も聞かれておらず、決めたのに質問されないとどうもお腹がふくれるのでここに書くことにしました。それでこの河野義行さんのことなんですが、名前を見てすぐにピンと来る人はあまりいないと思います。しかし松本サリン事件のことはみんな覚えていますよね、そう言うとすぐにおわかりになるでしょう。そうです、あの事件で最初に犯人扱いされて、その後オウムがもっと真犯人に近い容疑者だということになったために無罪放免された、あの一般人の方です。
詳しく知らない方のために一行紹介すると、サリン事件で奥さんも自分も被害を受けたのに警察とマスコミに犯人扱いされて日本中からバッシングを受けてさらに暴力的な取調べも受けたのにそれにめげずに真実を主張し、容疑が晴れた後もオウムについて自分と同じように「まだ判決が出たわけではないので犯人扱いはおかしい」とどこまでも公平公正な取り扱いを主張し、現在では元アーレフの信者を庭師として雇っていて、オウムを憎むところからはなにも生まれないと凄みのある発言をしている、そこらへんのチンピラ政治家が百人束になってもかなわない迫力のある信念と驚異的な精神力の持ち主です。
実際にこの人の精神力は常人では考えられない超人的なものだと思います。同じように立派な人というと、横田めぐみさんのご両親の滋さんと早紀江さん、それからインドの独立運動の指導者マハトマガンジーくらいしか思い浮かびません。そしてこれらの人物に共通するのは徹底した非暴力と決して揺るがない信念です。ガンジーは誰でも知っている有名な人でその主張は現実に有効な政治手法であることが実証されています。中学生のときに習いました。「暴力はふるわないし抵抗もしない、しかし決して服従しない」ことがどれだけ大変な覚悟なのか、いまだに想像すらできません。キリスト教も同じように非暴力を説いていて、想像もできない大変な覚悟をしろと言っているのですが、世の中のキリスト教徒のどれくらいの人がそれを理解しているのか、はなはだ疑問でもあります。
それはともかく、河野さんは松本サリン事件があるまではそれはもうまったくの一般の勤め人だったわけで、もし事件がなかったらおそらく今も真面目な勤め人としてあの超人的な精神力を発揮することもなく平凡に暮らしていたのでしょう。そう考えると、世の中には河野さんのような人もまだまだいるかもしれないわけでして、そう考えると、こんないやな世の中ですが、まだまだ捨てたものじゃないかもしれないと思うわけで、そう考えると、ならどうしていつも選挙は絶望的な結果になってしまうのかと思うわけで、そう考えると、やっぱり世の中どう転んでも救いようがないのかなと思ってしまいますね。
世の中には優れて仕事のできる人がいて、そういう人は「できる人」と呼ばれますが、それ以上に人格的に優れた人がいて、そういう人は「できた人」と呼ばれます。「できる人」にはそれなりの才能があってそれなりの努力をすればなれると思いますが、「できた人」にはなかなかなれないでしょう。この「できた人」と「できる人」の話を教えてくれた人は「できた人」になりなさいと言っていましたけれども、そもそも「できた人」になれ、なんて言う人はたいてい自分自身は「できていない人」で、その人も例外ではなかった。「できた人」は人に何かを押し付けることをしないんですね。
河野義行さんは稀に見る「できた人」だと思いますが、「できた人」の法則に従って、人に何かを押し付けることをしません。人に何かを押し付けない人が政治や経済の中心になることができるほど、人類は成熟していません。だから政治経済の中心人物はたいていが「できる人」のレベルで、自己中心的で自分の得になるように世の中や会社や経済を動かそうとするし、それ以外のほとんどの人はそういう人に魂を売り飛ばしてなんとか糊口を凌いでいるのがこの世の仕組みです。絶望的ですな。
「できた人」に比べるとずっと手前の段階に感じますが「いい人」というのがあります。リーダーは「いい人」になるな、というのがビジネス業界の鉄則ですが、見かけ上は「いい人」と「できた人」の区別があまりよくわかりません。それに比べて「いい人」と「悪い人」の違いは割とわかりやすい。割と、と書いたのはいかにも悪人面の「いい人」がいたり、どう見ても「いい人」の悪人がいることも世の中結構あるからです。で、いまの世の中は人間がまだまだできていないので、「悪い人」が牛耳ることになります。「できる人」でしかも「悪い人」が現代のリーダーの条件なんですね。オリックスの宮内さんを例に出すまでもなく、たいていの人はご自分の周囲のリーダーたち、中小企業のおっさんとか警察署長とか自治体の首長とかやくざの親分とか、そういう連中はたいていが「できる人」で、ひとりの例外もなく「悪い人」です。そうでしょ?
できることなら「できた人」が政治経済社会を緩やかにリードしていく社会になれば過ごしやすいと思いますが、そこまで人類が成熟する前に、人類自体が存続しているかどうか、危ぶまれるところです。